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コムギというひつじ


コムギさんは当初小さな子どもに対して「頭突き」癖のある羊だったのです。最初の仔は双子で、マイペースなコムギさんは姉貴分のプリンさんに子育てを任せて独りでふらふらしがちでしたし、自分の子どもでも、目の前にいるとドンと頭突きしてしまう様子の羊でした。

 牧場外で生まれたコムギさん。田布施農業高校の生まれでした。まだ幼さが残るうちにBAABAAファームに来てしばらく、基本的には穏やかな動物たちではあっても、コムギさんの立場は一番下で、なおかつマイペースなので、牧場主が「こらー!!」と言っているときは大抵コムギさんに向けてのものでした。よちよち歩きの我が子(人間)等の後ろにいつの間にか近づいてドンと頭突くので、子どもたちはどれだけ尻餅をついて泣かされたことか。コムギさんが子どもに近づいて来たときは、要注意だったのです。
それは大抵、大人が目を離してるとき、なんですけれど。
同じ頭突く羊、コムギさんのお父さん、雄羊のロクさんは、大抵大人、特に男性に向かって行きました。(夫は何度かすっころばされていました。雄羊から目を切るなど命知らずにも程があるんです)コムギさんの頭突くのは違いました。いつも標的は「小さい子」だったのです。そんなわけで子育て上手なプリンさんとマイペースでわがままなコムギさんという認識で周りの人間も自然と見てしまっていました。

 ところが、コムギさんがBAABAAファームでの時を重ねて行く中でコムギさんは変わりました。それを最初に認識したのは、コムギの仔が柵にかけられた網に引っかかって動けなくなっていたときです。以前のコムギさんなら気がつきもせずに網に取られた子どもを放置して小屋に帰って来ていたところ、そのときは仔の側に留まり、牧場主に鳴いて異変を知らせたのです。牧場主は、だから当初は「コムギさんが網に引っかかったようだ」と思ったものですが、近づいてみて、その様子を見て驚きました。コムギさんは「仔」のために牧場主に助けを求めたのです。
プリンさんの産んだ仔の世話を焼こうとしたり、お産の手伝いをした我が娘に仔を託したり、BAABAAファームの群れの中で、委ねたり、世話を買って出たり、自らの役割を果たせるようになって来た頃には、いつも頭突きされていた小さかった我が子たち(人間)はもう立派な少年になっていたので、コムギさんの頭突きがいつおさまったのかを私は考えたこともなかったのです。ですが、気がつくと牧場に小さな子(人間)が遊びに来ても大人の目を盗んでそっと近づいてドンと頭突きすることはなくなっていました。
最後までマイペースなのは変わりなく、逃げ遅れて野犬に追われたりもしていましたが、それにしても、困った個性というものも、環境や立場や学習や経験やいろんなもので変わるものだと、コムギさんは教えてくれたようです。

 「いきりの三下奴」というのはあまり上品な言葉ではないけれど、「立場」や役割を果たす「力量」や、「自信」がないが故に、弱い者いじめるような困った動きは人間の子どもたちの集団を見ていてもよくあるようです。人間である彼らには、大人の手をちゃんと借りて、仲間の肩も借りて、弱い者いじめなんてしなくても良いような「力量」や「自信」をつけて欲しいと願っています。(…が、見かけたり、聞き及ぶと怒りは感じますよね、私だって。特に我が子が標的になっているときは)「力量」や「自信」をつけるにあたって、発達的な凸凹や注意散漫や視野の狭さやこだわりが邪魔をしている事に気が付くことは、本当に多いのですが、それはまた別の話です。(そういう対応にこそ教育の専門性が発揮されれば良いのにと願って止みません)

 見た目だけは良いお姉さんになった娘は順調な成長の元、悩み多き時を過ごしていますが、そんな彼女が群れの中で厳しく言われがちなコムギさんに心を寄せていたのは、意外でした。確かにコムギさんがBAABAAファームに来る事になったのは、まだ幼かったコムギさんを同じくまだ幼かった娘が指さして「この子にする」と言ったからで、コムギさんの命尽きるまで娘はコムギさんに心を寄せて、迎えた責任を果たしたのでした。
 娘は、集団の中で居場所がないからといってどうも「弱いものいじめ」はできないタイプのようで、それはそれで、大変そうです。他人を蹴り落としてでも勝ちに行けとまでは言わないけれど、あまり余裕のない社会の中で、多少のアグレッシブさも必要だとは思う…のだけれど、できないものはできないのだから仕方ないわけです。

 2020年春、新型コロナ感染症のための休校時にBAABAAファームに疎開していた我が子たち。その春の盛りに娘が羊の産婆さんとして取り上げたコムギさんの仔がさくらという名前で愛知牧場にいます。昨年はつむぎちゃんという雌を、そしてこの春もまた雌の仔羊を産みました。一つ一つ命が繋がっていきます。
羊の時間と人間の時間の進み方は違うからこそ、コムギさんが生きた軌跡と残したものが、この社会の中で彼女が彼女らしく優しく朗らかに生きるに当たっての根っこの一つになれば良いと母は祈るのでした。(優しくなんてなくていいから、とりあえずどこかで自立できると良いな…

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