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第2部

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第29回~
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#進化心理学

【30】「男か女か」という二分法の必然 『ジェンダーと脳』批判(2)

〔前回の続き〕   ダフナ・ジョエルの著書『ジェンダーと脳』、前半にあたる第1部と第2部ではこれまでとりあげてきた「モザイク脳」論について詳しく解説されており、ここまではよい。だが後半にあたる第3部と第4部では「ジェンダーというのは幻想であり、だからジェンダーのない世界を目指すべき」というラディカルな主張が展開され、読み進むにつれて「いや、そこまではついていけない… 」という気持ちになってくる。  人は男性も女性も個人ごとに多様な内面を持っているので「男性(女性)はこういう

【32】男性性も女性性も実在する 『ジェンダーと脳』批判(4)

〔前回の続き〕  2つ目の論拠からも、「幻想」だと言えるのは ① の意味での「ジェンダー」のみだろう。「脳は様々な外的要因の影響を受けて変化する」とは言っても、脳にどこまでも無限の可塑性(かそせい)があるとは到底考えられない。変化できる幅には限界があるだろうし、変化しやすい資質もあれば、しにくい資質もあるのではないだろうか。  個人レベルで考えても、人の内面というのは、生まれ持った資質がまずベースとしてあり、それに様々な外的要因が加わって形成されていくもの、というのが一般的

【34】性役割を本気でなくそうとしたキブツの顛末(2)

〔前回の続き〕  女性が存分に労働参加できるよう導入された集団保育制の方も長続きしなかった。1950年代以降この手法は次第に廃れていき、多くのキブツで子供は核家族に返されていったという〈注1〉。  前回述べたように、キブツは「未開の土地に理想の平等社会を作る」という熱意を持つ人々によって創設された。ヨーロッパから移住してきた初期のメンバーは未婚の若者ばかりで〈注5〉、地理的にも歴史的にも伝統や慣習から自由なはずだった。  にもかかわらず、そのキブツにおいてさえ性別による分

【35】ジェンダー平等、もう一つの道(1) ダブルスタンダードでいい

男女は同質ではない 第1部も含めてこれまで34本の記事を書いてきた。この辺りで、世に言う「ジェンダー平等」というものについての私なりの考え、その大枠を示しておきたい。  まず前提として私はこう思っている。 ・性別というのは人間にとって宿命の一つであり、人は自分がどの性別に生まれつくかを自分で選ぶことができない。 ・そうである以上、男性に生まれても、女性に生まれても(あるいはそれ以外の性に生まれても)誰もがそこそこ幸福になれる条件が整った社会でなければならない〈注1〉