自称犯罪学者Vtuber「犯罪学教室のかなえ先生」に関する考察まとめ


■はじめに

 はじめに述べておきたいことがある。
 これから記述する内容は、開示されているいくらかの情報に基づいて、あくまで僕が「考察」「推測」した「意見」「論評」であることを皆さまにはしっかりと認識していただきたい。
 これらの内容を「事実」であるものとし、現実世界・SNS等のインターネット空間において流布することは極力控えていただくようにお願いしたい。
 その結果、誹謗中傷や名誉棄損などの罪に問われても、僕は何ら責任を負うことはないし、負うことができない。
 またかなえ先生ご本人やその周辺の方々についても、この文章があくまで「意見」「論評」であることを踏まえて内容を査読いただきたい。僕がここで述べる内容は、特筆しているもの以外は「事実の適示」ではなく、「推理」「推測」、あるいは「妄想」「妄言」の類である。
 なお「エマーキット」に関する問題については現在取材中であるので、動画および記事の投稿については今しばらくお待ちいただきたい。
 また僕の得意分野の一つである「占い」という観点からの考察も、現在まとめを行っている最中であるので、動画・記事の投稿についてはお待ちいただければ幸いである。

■かなえ先生、「山姥切長義」の軽装姿模倣・盗用疑惑で炎上

▼炎上の時系列

 正直な感想として、あの語り口と倫理観でこれまで炎上していなかったのが不可解ではあるが、一気にこの人が他界隈に知れ渡ったのはこの出来事であろう。
 簡単に炎上の経緯を以下にまとめる。
 
7月7日 かなえ先生が自身の和装イラストをX(旧Twitter)にて公開。
  同日 刀剣乱舞ユーザー(以下審神者とする)から同ゲームの「山姥切長義」の軽装姿(衣装差分)とデザインが酷似しているとの指摘が入る。
  同日 かなえ先生がライブ配信冒頭において謝罪。当該ツイートを削除。その際問題となったキャラクターである「山姥切長義」を「なんちゃら長義」と呼称。誠意のない態度と、あきらかに不自然な間違い方によって炎上案件へ発展する。
  同日 担当イラストレーターの「とがせ景」氏が謝罪・釈明ツイートを投稿。
  同日 かなえ先生が同氏のポストを引用する形で謝罪ツイートを投稿。
  同日 かなえ先生が「山姥切長義」の軽装姿(装い)を着たいと発言していたこと、それを見たリスナー(と思われる人物)がファンアートを投稿し、かなえ先生が「家宝にします」と発言していたことが発覚し、「山姥切長義を知らなかった」という弁明が虚偽であったことが判明。そもそもかなえ先生のアバター自体が「山姥切長義と似ている」と指摘されることはあった模様。さらに炎上が加速する。
  かなえ先生の言葉をお借りすると、「消してもなかったことにはできないぞ」
7月8日 かなえ先生、この件について権利元(おそらくニトロプラスか刀剣乱舞公式)に謝罪と報告をする(?)
7月11日 公式から回答があった旨、これから弁護士「等」とも相談しつつ対応をすすめていく「予定」である旨を報告。
7月13日 担当イラストレーターの「とがせ景」氏が、これ以上言及しないと言っていたにも関わらず、なぜか追加で釈明をポスト。かなえ先生が模倣・盗用の指示をしたのではないかとの疑惑について、このポストを引用する形でかなえ先生も否定をする。
 8月26日 現在、かなえ先生が最初に謝罪を行ったライブ配信のアーカイブは削除されている模様。

▼問題点まとめ

1.X上における釈明・謝罪については、すべてイラストレーターが先にポストを行っており、基本的にかなえ先生はそれを引用する形をとっている。これは絵師側に避難を誘導させているようにも取れる。

2.対応の窓口を一元化していないこと。あくまで発注内容の検討・イラストの公開の判断を行ったのはかなえ先生であるので、かなえ先生はまず「この件についてはイラスト担当者に問い合わせず、すべて自分に問い合わせるように」と、アンチ/リスナー含めた全ての人々に伝えるべきであった。

3.かなえ先生が最初の謝罪において著作権元のキャラクターを軽視するような言動を取ったこと。(「なんちゃら長義」発言)

4.かなえ先生が、「山姥切長義」の「軽装イラスト」を明確に認識しているにも関わらず、「知らないフリ」をしたこと。(なぜすぐバレる嘘をついたのか)

5.炎上案件に発展した後も、謝罪ポストを固定欄に置かず、自著の宣伝を優先して固定ポストに配置し続けたこと。

6.炎上後、審神者側を煽るかのように「エセ著作権」などのポストを引用リポストしたり、「ヤカラに火を点けられた(意訳)」と審神者側の被害妄想であるかのような発言をしていること。

7.かなえ先生自身がこれまで炎上対応や謝罪の「かくあるべき」について持論を展開してきたうえで、今回のような対応に至っていること。

※上記のように「リスナーから見放される」要素が多いにも関わらず、「なぜか」チャンネル登録者が増加を続け、「なぜか」24時間テレビへの出演(一か月程度前のかなり近い時期に炎上したVを採用するのはテレビ局側としてもリスクしかない)が決定した。不思議だねぇ。

■かなえ先生の人物像を紐解く

▼実年齢についての考察

 結論から言うと、かなえ先生はアラフィフ以上、というのが僕の見解だ。
 まず一つの事実適示として、X上におけるかなえ先生のユーザーアカウント名は「@towanokanae1984」であり、明らかに「39歳(2024年時点)という年齢を意識している。Pixiv百科事典においても、「アンケートによる予想は39歳が多数だった」との記述がある。
 かなえ先生の発言の傾向としては、「他人のことはイジるし批判するが、自分がイジられる、批判されるのは許せない」という傾向が見られる。この上で、「39歳」というリスナーからの評価が「マイナスの評価」になる場合、かなえ先生がそれをネタとして積極的に押し出すというのは、かなえ先生の言動からすると今一つ噛み合わないのだ。
 「いくつに見える?」とか聞く時点で「めんどくせえメンヘラおばさんかよ」と思うところはあるのだが、上記の性格的傾向を考慮しなくとも一般的な感性であれば、リスナーから見て「実年齢より高齢に見られていた」としたら普通の感覚なら凹むであろうし、40手前という妙な生々しさも相まって、IDに「リスナーが推測した」生年を書き込むなどということをかなえ先生がするとは思えないのだ。
 以上のことから、かなえ先生の実年齢は少なくとも「39歳よりは上」であると推測することができる。
 さて、かなえ先生を「犯罪学者」として見た時、その発信内容について決定的におかしなことがある。
 それは「宮崎勤」についての解説を行っていない点だ。この人物については、若い人でも名前くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。日本の犯罪史上に名を刻まれるシリアルキラーの一人である。
 内容としてあまりにもおぞましい事件であるので、詳しい犯行内容については言及しない。何なら、wikipediaで概要を見るだけで気分が悪くなるレベルの事件だ。日本の犯罪史という観点から見ると、犯罪学者がこの男について言及しないのはかなり不自然なのだ。実際かなえ先生がよく絡んでいる懲役太郎氏も宮崎勤についての解説動画を配信している。
 ところで、これは事件そのものと直接関係のないところで起こった出来事であるのだが、この人物とその事件は、オタクとオタク文化の形成においてかなり「悪い意味で強い影響」を及ぼした。
 はっきり言ってしまうと、長らくマスコミと彼らに扇動された大衆がオタクにヘイトを向け続けた原因の一つとなった人物でもある。これは後の「酒鬼薔薇聖斗事件」において、マスコミが流布した誤った犯人像にも少なからず影響を与えている。
 同じオタク・カルチャーと少なからぬ関わりがある「京アニ放火事件」「酒鬼薔薇聖斗事件」を取り上げるのに「宮崎勤事件」を取り上げないのは、明らかに何らかの意図があってのことであろう。繰り返し申し上げるが、それほど世間に大きな衝撃を与えた、おぞましい事件なのだ。
 ではなぜかなえ先生がこの人物について取り上げていないのか。それはかなえ先生が、宮崎勤事件により発生した「オタクヘイト」の直撃を受けた世代だからではないだろうか。そのことがある種のトラウマとなり、宮崎勤事件を取り上げることを忌避しているのではないだろうか。
 逆にかなえ先生が言及している「酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺傷事件)」においては、前述したマスコミによって「犯人はマンガやアニメの影響を受けた30~40の男性」という、誤った犯人像(実際の犯人は中学生の少年であった)が流布されている。
 この事件についてかなえ先生は何度か配信を行っているようだが、ある動画の冒頭において真っ先に「オタク文化(アニメ・マンガの影響)へのバッシング」について言及している。とはいえ、多くのリスナーにとってはかなり昔の事件であるため、内容がかなりおぞましいことを考慮しても、まず事件概要から説明するのが自然であろう。
 当時のマスコミの報道姿勢について、もちろん批判すべき点はあるだろうが、マスコミ(報道)がクソであることは今も変わっていないので、あえて真っ先にこのことについて言及したかなえ先生の思考の中に、当時のマスコミによる「オタクヘイト」への強い憤りを感じるのは僕だけだろうか。
 宮崎勤が逮捕されたのは1989年頃のことだ。30年以上昔の話である。これはあくまで僕の妄想に近い、個人的考察であるが、かなえ先生はこの頃にはもうオタクとして活動していたのではないだろうか。
 オタク活動には何かとお金がかかる。かなえ先生がそこそこお金持ちの家に生まれている(らしい)ことを考慮しても、ある程度アルバイト等で小遣いを稼ぐ必要はあっただろう。そうするとこの時点で高校生~大学生であったことは想定できる。このことからかなえ先生は50歳を超えている可能性が高い、というのが僕の推論だ。
 もちろん年齢が高いからVtuberとして活動してはいけない、とは思わない。若作りをするな、とも思わない。そもそも「若さ」というものは消費され、すり減ってていくものであり、誰もがいつかおっさんまたはおばさんになる。だからかなえ先生がアラフィフという点をあげつらって、そこを叩くつもりは僕にはない。それを言い出したら僕自身も含めて色んなところに飛び火してしまうからだ。
 ただ人物像を紐解いていく上で実年齢(と、行動から類推される精神的成熟度の比較)は重要な要素であるし、本人が自称する経歴について真偽について語る上でも、その経歴が複雑であればあるほど、年齢が高い方が説得力が出る。こうした理由から実年齢についての推測をさせていただいた。
不快に思われた方もおられるだろうが、どうぞご理解いただきたい。

▼法務教官になった理由と、そのエピソードについての違和感

 かなえ先生曰く「職業がオレを選んだ(キリッ)」とのこと。
 だが現実には「説明会に来ていた先輩法務教官が可愛かった」からとのことで、つまり「下心」から勉強を始めたらしい。これ自体を否定はしない。「モテたいからギターを始める」中学生と似たような心理だ。そういうマインドを大学生になっても持ち続けていることも否定しない。
 社会に出るまでは所詮子供だし(女性からすると若干引くかもしれないが)とりわけ学生のうち、男の精神的成熟というのは、女性と比べると遅くなりがちなものだ。社会人となるとまた話が変わってくるが。
 さて、かなえ先生のこの辺りのエピソードだが、どうにも時と場合によって内容が変わるようだ。懲役太郎氏の会談において、説明会に来ていたのは「男女二人組」であり、「実際に職務に着いた時、女性職員はかなえ先生のことを覚えていなかった」と話している。
 一方、就職に悩むリスナーからのマシュマロ回答においては、「150cmくらいのかわいい女の人が説明してくれた」「スレンダーグラマーって感じだった(キモい)」「キンモクセイの匂いがした(だいぶキモい)」「実際に現場にいったら「ほんとにきた~!」と言われた(つまり懲役太郎氏の対談とは違い女性は「かなえ先生のことを覚えていた」)」とのことだ。
 最後に女性職員は結婚していたというオチまでついており、このエピソードはかなり具体的だ。かなえ先生の持ちネタの一つなのかも知れない。
 事実かどうかはわからない。かなえ先生によると、法務教官もまたなんらかの武術の訓練を受ける場合が多いらしいが、調べる限り身長・体重に制限はない。小柄でかわいらしい女性が法務教官となっていることについて、特に不思議はないだろう。
 そしてかなえ先生は「なんか珍しい職業に就きたかった」と述べている。これも法務教官に課せられる社会的責任という観点から見ると、理由としてはどうなのかと思うが、まあ本人と周囲がそれを受け入れていたのであれば、別に我々がどうこういう話でもない。
 とにかくどういうきっかけで職業に就こうが、それが下心から来るものであろうが、それは自由だろう。真面目に職務を果たしていれば問題はないのだから。
 さて、かなえ先生は法務教官を目指した動機については下記のようなエピソードを「note」のインタビューにおいても語っておられる。
 というわけで、失礼ながら以下「VIRTUAL LOGUE」様のインタビュー記事「【Vtuber独占インタビュー】犯罪学教室のかなえ先生【犯罪学は誰のため?】」における、かなえ先生のありがたいお話をご拝読いたそう。

 話の 内容が ちがぁう!!!

 あと、警察官に幻滅って、かなえ先生の発言を信じるのであれば、弟さんは現役の警察官だ。「弁護士も警察も嫌になっちゃった」とか、思いっきりご親族にぶっ刺さっているが、その辺り大丈夫なのか。
 というより、そういう「問題のある警察官や弁護士(≒世の中の理不尽)をどうにかしたくて法務省の官僚を目指していた」のではないのか。
 そもそもインタビューの流れ的に「法務省を目指していた」という話が「警察官僚を目指していた(警察官は警察庁(東京の場合警視庁)だ。法務省ではない)を目指していた」にいつの間にかすり替わっていて、支離滅裂なのだが、どうなっているのだ。
 一瞬で自己矛盾始めるの、やめてもろて。
 まあ弁護士になるのも警察官になるのも「嫌になった」のはそれは別に個人の考えだし、好きにすればいい。
 法務官僚の道について言及していない点については、まああれだ、武士の情けということで。うん。結局法務教官も法務省管轄の公務員という点では大差ないよな、うん。
 まあともかく、かなえ先生が抱える問題点は「時と場合によって言ってることがなんか違う」という点にある。
 身バレを防ぐためにエピソードにフェイクを織り交ぜるのは配信者として至極当然の対応だし、事件に関する解釈もその時の情勢や経験を積んでいくことにより変化することはあるだろう。
 しかし「過去の比較的他愛ないエピソード」についてその内容が一貫しないのはいかがなものか。なぜそのようなことになるのか。
 その点について、僕はかなえ先生という人間は「嘘を吐くことに対する心理的ハードルが低い」のだと思っている。
 だがらその時々で過去のエピソードが食い違っても気にしない。それを指摘されたところでかなえ先生は「悪い事をしている」とは思っていないのだから、それについてダメージを受けることはない。もちろん人を救うために、自分を含めた誰かを守るために(沈黙することも含めて)吐かなければならない嘘もあるだろう。
 だがかなえ先生が、「嘘をつくことに対し罪悪感を持たない」人間であることについて、情報を受け取る側はよくよく注意しなければならないだろう。
 無論かなえ先生に限った話ではないが、彼がリスナーに、あるいはその他の全世界に向けて発信している情報の中に「悪意ある嘘」が含まれていないという保証はどこにもない。
 僕はかなえ先生が純度100%の悪人だとも思わないが、逆に100%の善意から動いている人間だとも思わない。何せ本人が「オレは性格が悪い」「金にうるさい」と言い切っているのだ。露悪的な言動をカッコイイと思っているおっさんは実のところ珍しくない。
 まあその振る舞いがカッコいいかどうかはともかく、かなえ先生のような、利益や保身を優先する気質というのは、社会の大半を占める、自分の利益と安定を第一に動く「普通の人」の範疇に含めて良いものだとも思っている。
 僕だってそうだ。自分の性格が良いとも思わない。性格が良い人間は、そもそもこんな粘着質なnoteを書かない。生活したり遊んだりするためのお金はほしい。自分が一番かわいい。
 ただ自分のそういう利己的側面について、大なり小なり罪悪感を覚えながら生きているのが「理性」や「道徳」のある人間である。
 かなえ先生はどこかこの「理性」と「道徳」という、人としてのブレーキ装置のようなものがぶっ壊れているように感じられるのだ。


 ちなみに、かなえ先生。「ショタコン」であることをカミングアウトしているようですが、まさか法務教官になった理由って「そっち」の目的ではないですよね? 怖いからもしこのnote見ていたら「違う」と明言してください。

▼かなえ先生の思想的立ち位置とWBPC問題にまつわる違和感

 この話題については、頭にアルミホイルを何枚か巻いて聞いていただきたいと思う。
 かなえ先生は「カルト教団の恐しさ」について解説するライブ配信において、「パナウェーブ研究所」を話題にしている。
 「みんなパナウェーブ研究所って知ってる?」のような軽い調子で話しているが、年長者が昔話題になった出来事について年少者に聞いているような言い回しである。あくまで個人の感想であるが、なんとなく「おっさん臭さ」を感じるのは筆者だけであろうか。まあうん、実際おっさんだから仕方ないね……。
 さて「パナウェーブ研究所」についての僕の認識であるが、正直なところ子供の頃の話なのではっきり覚えていない。僕も実年齢を言い当てられてしまいそうなので個人的にはあまり言及したくないのだが、かなえ先生の実年齢をいじった上で僕の実年齢が割れる可能性のある発言を拒否するのはアンフェアだ。
 当時のテレビ番組で、白ずくめの衣装の人々が面白おかしく取り上げられていたことがなんとなく僕の印象に残っている。
 また、僕は昔から当時の貧弱なネット回線をいじって遊んでたクソガキであり、その中で「パナウェーブ研究所」は「危険なカルト思想集団」というより、今でいう「ネットミーム的なネタ集団」として扱われていたのがぼんやりと思い出される程度だ。
 当時のネット文化というと、「ギコ猫」などのアスキーアートであるとか、「朝目新聞」がネットユーザーの娯楽として注目を集めていた時代である。
 当時のインターネット通信速度の進歩というとそれはもうとんでもないもので(この頃のコンピューターやインターネット通信の異常な進化は『フルメタルパニック!』でも重要な伏線として触れられている)もう少し時代が進むと「ラーメンズ」「ペリー提督」「なつみステップ(ぜひ検索してみて欲しい)」などのflashアニメが注目を集めるようになった。その頃にはパナウェーブ研究所の存在など完全に忘れ去られていたが。
 そんなわけで、ネタとしても相当古いし、「カルトの怖さ」について語る配信で出てくるような話題でもない。
 まあ、当時の2chにたむろしていたような連中なんてのは、創価学会だろうがオウム真理教だろうが面白がっていじくり倒して玩具にするようなネジの外れた連中が大半であったから、パナウェーブ研究所の印象が薄いのはある意味当然といえば当然である。
 ただし「年代の差」という点を踏まえると、かなえ先生が感じていたことと当時クソガキだった僕が感じていたこととでは、ある種危機感や切迫感のようなものが違ったのかも知れない。
 パナウェーブ研究所が日本海側に活動拠点においていたのもあるかも知れない。京都出身(話し方の品のなさや育ちの悪さを見るととてもそうは思えないのだが)であるかなえ先生は、パナウェーブ研究所の実活動を生で体験した可能性はゼロではない。
 クソガキなんてのは、基本不謹慎であるし、箸が転がっても笑うもんであり、大前提大馬鹿者である。それはいつの時代においても変わらない。バイトテロなんかの話も、ただSNSという媒体が登場したことで可視化されるようになっただけの話だ。
 だがかなえ先生は当時もう「クソガキ」時代を終えていたのだろう。
 あるいは1990年代後半時点で社会人であったのかも知れない。この辺りでもかなえ先生アラフィフ説が補強されている。ちなみにパナウェーブ研究所自体は2011年時点で消滅が確認されているらしい。だからかなえ先生もネタにすることができたのかも知れない。かなえ先生の漢気(笑)
 さて、このパナウェーブ研究所なのであるが、調べてみると興味深い事実があった。彼らは「反共産主義」「反共産党」の団体でもあったのだ。
 ※実は旧統一教会にもそういった側面はあるらしい。
 ネタとして古い、伝わる可能性の低いパナウェーブ研究所を揶揄したというのは、「活動を停止しているため反撃されない」という理由もあっただろうが「反共産思想の団体のため揶揄の対象として挙げやすかった」というのもあるのではないだろうか。
 ここからかなえ先生の思想的立ち位置というか、かなえ先生の一連の行動に関して、僕が持っていた「違和感」に対する回答があるような気がするのだ。
 かなえ先生は「トー横問題」「夜職界隈」「毒親」と言ったテーマを取り上げ、主婦やツイフェミを攻撃する割に、歌舞伎町を活動の拠点としている「一般社団法人colabo」の不正会計問題やその活動実態について、目立った言及をしていない。
 「公金を使ってこのようなことをするのは許せない」と触れたことがあるらしいが、おそらくこれはただのリップサービスだろう。
 本当にかなえ先生が仁藤夢乃(一般社団法人colabo)のやり口に怒りを抱いているのなら、それを配信の主題にしないのは明確に「不自然」だ。しかも某所ではかなえ先生の「アンチフェミニズム」「ミソジニー」などと言った思想の片寄が指摘されているのだ。
 これで仁藤夢乃を叩かないのは不自然過ぎないか? 仁藤夢乃だの北原みのりだのは、いかにもかなえ先生が「嫌いそう」な女の要素を煮詰めてヌガーにしたような感じの存在だと思うのだが。
 何せ当時のcolabo問題と言えば、時事系Youtuberからしてみるとこれ以上ないほどホットな話題だったのだ。これを「元法務教官」として非行少年の更生に携わっていたかなえ先生が斬る、なんて配信をもし実行していれば相当な再生数を稼げたであろうことが容易に想像できる。数字にこだわる傾向があるかなえ先生が、の話題を取り上げないなど、かなえ先生が自由に発言できる立場ならあり得ないのだ。
 しかし現実には、かなえ先生はそのような配信を行っていない。
 最初にcoloboの活動と会計について問題点を指摘した暇空茜氏はこのような言い方を多用する。
 
 「共産党と強いつながりを持つ仁藤夢乃さん」
 
 これはもう、ほぼ答え合わせと言えないか。確かに暇空茜氏が指摘する通り、仁藤夢乃氏は日本共産党の代議士を応援していたり、保護するなどしてつながりを持った女の子を日本共産党が主導する辺野古基地の座り込みに動員するなど、共産党と少なからず関わりがあると疑われても仕方がない、そのような行動を取っている。
 そしてこれまた興味深い事実として、かなえ先生は犯罪学者を標榜しながら日本の犯罪史――いや昭和史あるいは現代史、世界史において極めて重要な出来事である「日本赤軍事件」について今のところ(2024年8月10日時点)について、懲役太郎氏とのコラボチャンネルでしか言及していない。
 懲役太郎氏は重信房子がメディアにおいてヒロインのような扱いを受けていることについて明確な怒りを示していたが、かなえ先生の反応はどうにも歯切れが悪かった。
 まあ、よその配信にいったかなえ先生が借りてきた猫のようになるのはいつものことと言えばそうなのだが。
 またこれはかなえ先生本人が動画内で言及しているが、日本赤軍事件についてはそもそも20分で語り切れるものではないだろう。つまり、日本赤軍やその活動の背景(日本共産党上層部との対立や左派界隈との関わり)についてはこの動画だけでは不足している≒誤解を招く可能性があるということだ。
 で、あれば。かなえ先生の歯切れも悪さもある程度は理解できるのだが、それならそれで「今度僕のチャンネルで詳しく解説していきますので~」と誘導すれば良い話である。
 この動画は2年前(2022年)に投稿されたものだが、その後、かなえ先生が自身のチャンネルにおいて日本赤軍および重信房子について詳しい解説を行っている様子は見受けられない。
 そして重信房子を持ち上げているメディアと言うと朝日新聞、毎日新聞、東京新聞など「おなじみ」の面子である。逆に右派的な傾向のある産経新聞は重信房子に対するメディアの取り扱いに警鐘を鳴らしている。
 またかなえ先生は「主婦」や「令和的フェミニズム」「男性に経済力を強く求める女性(婉曲な表現)」を強く非難する姿勢を取ってはいるものの、仁藤夢乃や北原みのり、重信房子等と言った「左派活動家そのもの」を攻撃の対象にはしていないという点も注目するべきだろう。
 もっと分かりやすいのが「草津町冤罪事件」に対する反応だ。「いただき女子りりちゃん」については配信テーマとして取り上げているのに、「草津町冤罪事件」「草津フラワーデモ」について取り上げることを、かなえ先生はしていない。「冤罪は最低の人権侵害だ」と熱く論じているにも関わらず、だ。
 とにかくかなえ先生は、「ツイフェミ」は嬉々として叩くのに、「フェミ活動家」に対しては当たらず触らずの姿勢を通しているのだ。かなえ先生のこうした挙動に違和感を覚えるのは僕だけではないだろう。
 こうした話題の選別の仕方にも日本共産党に代表される左派界隈に対する「忖度」が見え隠れすると思うのは僕の勘違いだろうか。そもそも社会学界隈自体、左巻の人が多いというのはある程度事実であるのだが、勘違いであってほしい。勘違いだと言ってくれ。
 そして「共産党や公明党に忖度などしていない」と示すため、今からでもいいのでWBPC4団体、仁藤夢乃、北原みのりといった左派活動家をバッチクソに叩いてくれ。
 ――といわけで、僕の個人的願望はおいておこう。
 さて、これもまた興味深い事実なのだが、かなえ先生は小学館から書籍を出版している。暇空茜氏が攻撃の対象としている「Bondプロジェクト」の代表理事として橘ジュンという人物がいるが、この方も小学館から書籍を出版している。これは偶然の一致だろうか。
 「セクシー田中さん事件」についての配信を見ても思ったが、かなえ先生はどちらかというと小学館側を擁護するような論調だった。版元である小学館のイメージが悪くなれば自分の書籍も売れにくくなるし、今後の仕事に影響もでるだろうから当然のことだが……本当に「それだけ」なのだろうか。
 そうそう、これは今ふと思い出したのだが、けっこう昔の話、かなえ先生と似た経歴というか、キャラクターの人物が一時期話題になっていた。
 「夜回り先生」と呼ばれる人物なのだが、皆さんはご存じだろうか。この方は「どういうわけか」公明党を強く支持しているらしいのだ。
公明党の支持母体である創価学会と言えば、二世、三世が脱会できない、であるとか、学会員でない子どもたちをバーベキューなどの名目で誘い出し、グルーミングしている――という手口が指摘されたこともある。フランスなどの一部国家では、カルト教団として指定されている場合もあるほどの、まあそれなりにヤバい連中なのだ。
 そしてこの公明党について、福祉利権などに強い関わりがあると暇空茜氏は指摘し、「日本のガン」だと強く糾弾している。
 例えば公明党や一部メディア等の左派系勢力ががかなえ先生のことを「第二の夜回り先生」として担ぎ上げようとしていても、不思議はないと思う。
公明党と共産党にしてもいつだってバチクソにやり合っているわけではない。地方議会などで利害が一致していれば、協力体制を取る場合もある。共通しているのはこの二政党が「親中」だという点だ。
 そういう意味で、国政において「与党」と「野党」という立ち位置から両者がバチバチにやりあっているのも、一種の「プロレス」だと解釈できなくはない。
 まあとにかくだ。暇空茜の主張――公明党・共産党批判やWBPC問題への対応に同調せず、時事系として「乗るしかないビッグウェーブ」に便乗していない時点で、少なくとも某サイトに書き込まれているように、かなえ先生が「暇空シンパ」でないことは断言できる。
 事件解説のやり口は似ている’(褒めていない)が。
 「あの立場で、あの感じで活動したかった」という意味ではシンパなのかも知れないが、むしろ暇空茜に成果を出されると困るのが、今のかなえ先生の立場だろう。
 実際かなえ先生は暇空茜から名指しで「クズ」呼ばわりされているし、そのことについてほとんど言及も反論していない。これもこれで不自然な話だ。僕は胡散臭いって言っただけでつるし上げにされたのに……。
 社会から理不尽をなくそうと、青い正義感に燃えていた青年が、利己的な自益と保身に走った結果、自由な発言もままならない立場に置かれているとしたら、なんとも物悲しいことである。

▼かなえ先生の書籍出版

 かなえ先生は現在三冊の書籍を出版しておられる。個人Vtuberの立場でこれをやっているというのは、それなりにすごいことだ。
 しかし、どういう経緯で出版社はかなえ先生に声をかけたのだろうか。その点を掘り下げていきたいと思う。
 まずこれは筆者個人の経験談であるが、僕が商業ベースで小説を出版した時は、編集者がWEB上で連載していた僕の小説に興味を持って声をかけてきたのがきっかけだった。
 例えばインフルエンサーで書籍を出版している白饅頭氏や借金玉氏、先述の暇空茜氏もnoteなどの媒体で文章掲載を行っており、その内容に価値を見出した編集者が声かけたという経緯があったようだ。上記の例に限らず、WEB小説サイトのランキングや閲覧数を根拠として、書籍化につながる事例は多数ある。
 いわゆる「なろう系」の流れだ。すでに人気を得ている作品(エッセイであれば筆者そのもの)ならば、ある程度の売り上げが確保できるという、出版社の戦略の変化はよく指摘されることである。
 しかしかなえ先生の書籍出版については上記事例とは経緯が異なる。出版に至った経緯は、かなり不透明な部分が多い。
 過去に文章関連の創作活動を行ってはいたらしいが、少なくとも現時点において、かなえ先生はnote等の媒体で執筆活動を行っている様子が見られない。つまり文章力や、その思想・経験、およびインターネット媒体などを含めた各書店での訴求力も含めて未知数なのだ。
 では個人で活動を行っているVtuberに過ぎないかなえ先生がどのようにして書籍出版にこぎつけることができたのか。面白そうなVtuberがいるからなんか本書かせてみようぜ! とはならないだろう。リスクが高い。編集会議というのは、結構シビアなのだ。成功した漫画家たちが語る過酷なエピソードは、誇張でもなんでもない。
 かなえ先生の処女作は「もしキミが、人を傷つけたなら、傷つけられたなら(2022年/フォレスト出版)」である。
 このフォレスト出版と言う出版社なのだが、どうにも胡散臭い。そもそも2009年に行政指導を受けている企業であり、この時点で大概なのだが、それはそれとしてこちらのサイトをご覧いただきたいのだ。
 
「Forest Writers Academy」

 僕はかなえ先生がフォレスト出版が行っているこのサービスを通じて書籍を出版したのだと言っているわけではない。
 フォレスト出版がこういうサービスを提供しているという事実を提示しただけである。その点について勘違いしてはいけないし、かなえ先生がこのサービスを利用して実質的な自費出版を行っただとか、絶対にそういう「デマ」を流布してはいけない。
 ま、経緯がどうであれ、結果論から言って、かなえ先生は翌年小学館から書籍を出版している。仮に何らかの「仲介人」がいたとしても、商品価値が認められなければ大手出版社は本など出させてくれないのが普通だと思う。これは一つの成果として称賛に価するものだと僕は思う。
 内容は犯罪学とかこれっぽっちも関係ねぇ自己啓発本だが。まあかなえ先生がそれでいいならいいんじゃないっすかね(鼻ほじ)

▼学歴と専門分野に関する「嘘」

 さて、「かなえ先生は嘘を吐くことに対する心理的ハードルが低い」という考察は前述した通りだが、ではかなえ先生は某サイトで言われるような「虚言癖」の持ち主であるのか、という点について論じたいと思う。
 あくまで心理学・精神医学的文脈における一般論ではあるのだが、病的虚言傾向にある人というのは、あまり利益や保身を意識せず嘘を吐くようだ。「え、なんでそんなウソつくの?」と、正常な人には理解できないような、目的の分からない嘘を吐くのが、精神病理における虚言癖と言える。
 そういう意味ではいえば、かなえ先生は虚言癖ではない。
 あくまで普通人に理解できる範囲の合理的利益のため、あるいは自衛・保身のための嘘だ。
 そしてかなえ先生が配信者であり、その経歴や取り扱っている話題の内容から「身バレ」が他のVtuberより高いリスクを持つことを忘れてはいけない。ある程度の誇張・フェイクなどを織り交ぜるのは当然のことだ。
 その観点から考えれば、かなえ先生が「虚言癖」の持ち主であるというのは、少し無理があるというのが僕の考えだ。
 ただ、それを踏まえたうえでもかなえ先生の言動には「嘘」が多い。
 まず「初手」の自己紹介からかなえ先生は嘘をついている。これについて、自覚があるかどうかはわからない。
 自己紹介動画において、かなえ先生は「心理学と社会学が専門」と話している。これは、かなえ先生が「法学部」出身であることを考えると明らかにおかしい。あくまで一般論であるが、法学部の出身者が「専門」とするのは「法律」「法学」やその隣接学問だろう。「心理学と社会学」という同じ人文学系とは言え別の学術分野を専門として挙げるものではない。
 あり得るとしたら「司法心理学」「法社会学」という分野だろうか。それにしても専門分野が「二つ」というのはおかしな話だ。「得意分野」ならまだ話はわかるが、「専門分野」というと普通は「一つ」ではないか。
 法務教員を目指したエピソードからして、かなえ先生が心理学と社会学を学んだこと自体は事実であろうし、大学という場において、「法学部」の所属であっても心理学や社会学を学ぶことは難しくないだろう。
 だが少なくとも、所属大学において国家公務員の説明会を体験した時点においてかなえ先生が「心理学を学んでいなかった」ことは、本人が語るエピソード(今から心理学を学んでも……との発言)から明確にわかる。もちろんそれが嘘でなければの話だが。
 つまりかなえ先生は、法律・法学における基礎研究部門である「法社会学」を専攻分野としていた可能性はあるが、「司法心理学」を専攻としていた可能性は低いのだ。
 法務教官を目指すことになったことを契機として転科したりゼミを移動した可能性もあるが、それならそれで、そのことを明言するだろう。
 極め付けはかなえ先生の配信スタイルである。かなえ先生の事件解説やマシュマロ回答のスタイルは、「心理学」や「社会学」の切り口ではない。基本的に「法律」「法学」「過去の判例」などから切り込んでいくのだ。これは完全に「法律」の専門家のスタイルである。
 ちなみに「法学部」で犯罪学を学ぶのは特に難しいことではない。色々な呼び方はあるものの「犯罪学」の目的は「犯罪の抑止」や「犯罪者の更生(刑事政策)」なども含まれる。これらの内容を専門として研究している法学部の学生もいるだろう。
 では、なぜかなえ先生はわざわざこんな嘘を吐いたのか。
 
 それは恐らく「自信がないから」だ。
 
 学歴・学力に対するコンプレックスを過去に持っていたことはかなえ先生本人が告白していることではあるし、「法学」という側面から見ると大学で得た成果というのは、実のところ芳しくなかったのかも知れない。
 「一流大学の出身ではない」+「その中でも落ちこぼれの部類だった」のコンボの可能性はある。実際、高校時代「落ちこぼれ」だった人が、大学に入った途端に「秀才」になれるとは、なかなか考えにくい。もちろんこれはかなえ先生の「勉強ができない」という発言が、どのようなニュアンスのものかにもよると思うが。
 ただ、その。理系がうまくいかないから文系に移りました! そしたら成績が爆速で上がりました! とか、文系の人に怒られそうな話だと思うのだが、まあかなえ先生にそういう配慮を求めるのは無理難題かも知れない。
 事実どうであったかはわからないし、そういう状況が起きる可能性がゼロであるとも言い切れない。
 もしだ。かなえ先生の発言や振る舞いに反して、仮に大学時代の成績が悪かったとしても、法務教官としての勤めを問題なく果たして、Vtuberとして銀盾まで取ってるのなら、恥ずかしがることでもないんじゃないかと僕は思うのだけど、かなえ先生の中ではそうでもないのだろう。
 いちいち「ちょっといい大学」「ちょっといい学校」なんて匂わせをするのは、「学歴厨」「学歴コンプ」から抜け出しせていない証拠だ。
 本当に学歴コンプを脱したなら「いわゆるFランって言われるような、偏差値としては低い大学だったんだけど、そこで学びたいことがあったからそこを選んだ」くらいのことはさらりと言えるはずではないのか。
 そもそもかなえ先生が本当に「優秀な学生」だったなら、行政書士の資格くらいは在学中の片手間で取っていそうなものである。というか勉強熱心で名家の生まれ(伝統や古い体裁を重んじる家風をそう呼ぶのなら)なら、大学院への進学を勧められそうだが……まあ、アルバイトに明け暮れていた大学生活なら、勉学がおろそかになっていても別に不思議ではない。
 さて、その上で申し上げるが、かなえ先生の「専門分野」が嘘でない可能性が一つだけある。それは「京都産業大学法学部社会安全コース(偏差値52~54)」の出身である場合だ。
 ここに所属していたのであれば、「司法社会学」と「司法心理学」がカリキュラムに組み込まれているため、これらを同時に学ぶことができるのだ。
 この条件なら「かなえ先生が法学部出身でかつ社会学と心理学を専門分野としている」という自己申告も説明がつく。
 まあ、さすがにこんなピンポイントなことはあり得ないと思うので、まあ嘘というか、「濁した」んだろうなと僕は考えるけども。
 まあ少なくとも「京都大学」の出身であることは「絶対にない」と断言できる。京都大学において「犯罪学」は「刑事学」と呼ばれているからだ。
 コンサータの処方が必要となる程度のAD/HD特性を持ち、配信内においても誤字を頻発するかなえ先生が仮に京大で「犯罪学(刑事学)」を履修していたのなら、言い間違いがないのはおかしい。
 逆にそういう言い間違いをすれば、いい感じの「匂わせ」になるので、かなえ先生はぜひ参考にしてほしいかな(笑)
 まあとにかく、かなえ先生は「本当の専門分野」についてつつかれた時、「正しい回答ができない」「議論に勝てない」ことが「怖い」のではないのかと僕は推測する。
 「ビビり(≒メンタル的に打たれ弱い)」ことは本人も自称していることだし、それは不登校になったエピソードを加味しても間違いない。かなえ先生の攻撃性は、心の弱さの裏返しでもある。
 要は、かなえ先生は自分をより大きく、強く見せたいのだ。レッサーパンダが立ち上がって体を大きく見せ、相手を威嚇するようなものである。
 だからこそ、かなえ先生は「Twitter(現X)怖い」と言いながらエゴサーチをし、自分への批判ポストはつるし上げ、直接真っ当な議論はせず、「信者」への攻撃を誘導する。
 本当に自信のある人は、批判ツイートを見たところで微動だにしない。そもそもエゴサ―チをしないだろう。
 結論から言うと「自分を大きく見せるためのホラを吹く、嘘を吐く」という意味で、それが常態化しているのは確かだろう。そういう意味での、ある種のスラングとしての「虚言癖」だというのなら、かなえ先生はそうであると言えるかも知れない。
 だがVtuberはエンタメだ。時には嘘やホラを使って、話を盛るのも必要なことだ。パフォーマンスとして嘘を吐く、それを僕は否定しない。
 ただ、もしかなえ先生が自分の保身のための、あるいは自分を強く、優秀に見せるための嘘に「依存」して、「使い分け」ができなくなっているのなら、それは「健康な精神状態ではない」とだけ指摘をさせていただく。

▼「双子の弟」に関するいくつかの違和感

 かなえ先生には、「現役警察官」の双子の弟がいる、らしい。
 さて、某サイトでも「実在するのか?」という疑う書き込みが存在するが、さすがに、実在、する、よね? 実在しなかったら軽いホラーなんだけども。
 まあとにもかくにも、だ。この「双子の弟」については、いくつかの違和感がある。
 まず、かなえ先生の「いじめ」と「不登校」にまつわるエピソードについてだ。
 かなえ先生は小学校時代、教師から「クラスの癌」と呼ばれたり、クラスメイトからからいかいの域を超えた「いじめ」を受けていたらしい。そしてそれで、保護者同士のトラブルにまで発展し、警察沙汰にまでなったとも。
 しかし上記のように「双子の兄」がいじめられているのに、「双子の弟」が動かなかったのは、なんでなのかってのは、純粋に疑問ではある。
 というか、いじめっ子目線からすると「双子」っていじめの対象にはしにくいんじゃないかと思うのだ。
 片方をいじめの標的にしたら、もう片方との関係も当然こじれる。それぐらいのことは、小学生にだって想像はつくだろう。
 あえてそこを積極的につつきに行く理由はあまりないと思うのだ。「よほどのこと」がない限り。
 もちろん双子の生徒・児童なんかはクラスは別にされていると思うが、後に警察官になるような子なわけだから、「コイツの弟にバレたら面倒」くらいの認識にはいじめっ子側にもあったのではないか、と僕は考える。
 それでなくともかなえ先生は不登校になった経緯があったわけだから、弟さんもその辺り気を使ってただろうし、親御さんも同学年の兄弟や、かなえ先生と親しくしていた近所の子供たちにそれとなくフォローしてあげてね、って言うのが自然だと思う。それが良いか悪いかは別として。
 で、弟さんがかなえ先生を助けなかった理由があるとしたら、
 
 ・ガチでいじめに気付いてなかった(いじめられているようには弟さんには見えなかった)
 ・弟さんも「いじめる」側に加わっていた。
 ・兄弟仲が悪く、見て見ぬフリをしていた。
 ・まさかとは思いますが……
 
 このいずれかだろう。
 その上で、かなえ先生と弟さんの間には、少なくとも現在においてはわだかまりやしこりのようなものがあるように見えない。
 僕は男三兄弟の末っ子だが、長兄とは会話をした記憶すらほとんどない。
 それを考慮すると兄弟仲は良好であるように思えるし、昔から「腹を割って話せる」、ある種理想的な兄弟関係を構築していたように思える。
 実際、法務教官をやめる決断をした時は、数時間にわたって兄弟間で話し合ったと、かなえ先生は語っている。
 さて、僕の個人的な体験についてはどうでもいいだろう。もう一つ、弟さんについて不思議なことがある。それはかなえ先生の持ちネタの一つである「職質」の件だ。
 かなえ先生は配信内で、自分がよく職務質問を受ける原因について、周囲の人に尋ねたことがあると語っている。それは元反社の知人であったり、Vtuberの同業者であったり、色々なのだが、その尋ねた相手の中に、普通なら絶対に尋ねていないとおかしい相手が存在しないのだ。

 もうお察しだろう。「現役警察官の弟」である。

 あくまで一般論ではあるが、警察官であれば職務質問を行う際の基準についても承知しているはずである。その警察官が、ごく近い身内にいるにも関わらず、自分が頻繁に職務質問を受ける理由について尋ねなかったというのは、どうにも不自然な話だ。
 その一方で、「かなえ先生の双子の弟」は、「職質」の話題についてかなえ先生と楽しげにやり取りをしている。
 内容はと言うと、「俺もよく職質される」「最後には保健証のコピー見せて「俺も警察なんだわ」って(笑)」みたいな感じらしい。
 後半、かなり意地が悪い。さすがはかなえ先生の弟というか、現場の警察官からしたら甚だ迷惑な話だ。そもそも自分の相手をしている間に、「本物の犯罪者」を逃したらどう責任を取るつもりなのか、という話でもある。
 最初から身分証を呈示して俺警察官だからといえば良いだけの話で、場合によっては、現場の警察官の間で「あの人警察官だから職質やめとけよ」みたいな情報が共有されていそうな話ではある。警察官は職業柄人の顔を覚えるのは民間人と比べれば得意であろうし。
 「かなえ先生の弟は現役の警察官」である以上、「職務質問を行う対象を決める基準」を知っているはずで、つまり職務質問を受けないように振る舞うのは容易なはずだ。
 にも関わらず兄と同様に「職質を頻繁に受ける」というのはどういうことか。
 理由としては以下が考えられる。
 
 ・かなえ先生の弟は、職務質問とはまったく関係のない部署でキャリアを積んできた、現場の経験や知識がない人物である。
 ・かなえ先生の弟は現場の若手警察官や、職質を頻繁に受ける兄をからかって遊ぶ性悪である。
 ・かなえ先生の弟が「現役の警察官」「双子」であるという設定そのものが身元特定を防ぐための「フェイク」である。
 ・まさかとは思いますが……。
 
 あとは「一卵性の双子」か「二卵性の双子」かを開示していない点もおかしい。
 祖父母の介護を契機に法務教官をやめる決意した際、他のご親族(例えば、20代で結婚する割合が高い警察官が身内にいる場合「自宅で介護をする」となればお嫁さんに対する配慮なども考えなくてはならないはず)の話が全く出ていないのは妙だ。
 弟さんが未婚である可能性ももちろんある。だが警察官に限らず公務員となると、いい年をして結婚していないとキャリアに影響するというのはよく聞く話だ。
 くわえて伝統を重んじる名家で、一族に要介護者が出た場合、その家だけで解決するものなのだろうか。ご両親にご兄弟などの他の御家族は存在しなかっただろうか。ご両親は息子以外の親類に相談する、という選択肢がなかったのだろうか。
 その他にも。「一卵性の双子特有の面白エピソード」がない点や、弟さんに「発達障害特有のエピソード」がない点からして「二卵性の双子」なのだと思われるが――。
 「弟と比較された」みたいな話がほぼでてないのも、なんだか不思議な話がする。単に親ガチャSSRだった可能性もあるが。
 
 まあそもそも、そもそもである。
 「現役の警察官の双子の弟がいる元法務教官」
 なんて情報が事実であれば、それだけで身元が特定されそうな話だ。
 元法務教官、という肩書があれば、お礼参りなんてことも起こり得るだろう。この辺りの話は基本的に「フェイク」の範疇として聞き流すのが適切な対応だと思う。これは我々の精神衛生上、肝に銘じておきたい話である。

▼「発達障害」と「いじめ」に関するいくつかの違和感

 かなえ先生は大人(おそらくVtuber)になってから、「取材」という形で精神科に行ったらしい。この時の話にも、僕は少々違和感を覚えた。
 まず「精神科に入ること自体に抵抗(心理的ハードル)があった」とのコメントについてだ。心理学を学んで、少なからずメンタルに問題を抱えた子供たちと向き合う仕事をしていた人が、そのような(ある種の)偏見を持つものだろうか。
 この辺りから僕は「あれ?」と思ったのだ。
 「取材名目」であればVtuberになり情報発信を行うようになってからであろう。だとすればごく最近の話であるので、今時精神科・心療内科に抵抗を持つ人はあまりいないのでは、とも思う。
 極め付けは診断についてだ。発達障害の診断には心理士との面談(2時間程度・かなりきつい)の他、事前の筆記テスト、保護者などの第三者による生育記録の提出などが必要である。その場でパパパッとどうにかできるものではない。それでなくとも、多くの精神科においてカウンセリングは数か月の予約待ちが当たり前の状態だ。
 こうしたことを考慮すると、ふらりと取材にやってきたかなえ先生にいきなり心理検査を持ちかける、というのは、どうにも考えにくいのだ。
 だがこれも、かなえ先生が創作した「フェイク」エピソードであるとすれば説明がつく。
 たとえば、かなえ先生が精神科を受診したのは、「取材名目」ではなく、純粋に「治療」のためであったとすればどうだろうか。かなえ先生には「不登校」と「いじめ」の経験がある。これを、かなえ先生は家族の支えだけで乗り越えたということだろうか。
 かなえ先生の発言内容から、かなえ先生の御母堂は、伝統ある家柄の出身でありながら、我が子のためなら形振り構わず行動するエネルギーを持っているように思える。我が子のためなら騒ぎが大きくなろうと、外聞が悪くなろうと構わない、行動力の塊のようなパワー系ビッグマムだ。
 そんな母親が、学校でいじめを受けたり、不登校になったりして傷ついている息子をただ放置するにとどめるだろうか。「時間が解決するだろう」と割り切れるだろうか。
 僕はそう思わない。かなえ先生の御母堂が、カウンセリングや心療内科・精神科(当時の呼称は神経科だった可能性もある)への通院を提案した可能性は高いだろう。
 もしかしたら、通院を拒否するかなえ先生を自宅に置いて、母親だけ相談に行った、そんなことがあったのかも知れない。AD/HD、ASD、LDといった発達特性が「発達障害」とまとめられたのは比較的最近(2000年代中頃)のことだ。
 残念ながら、少なくとも20~30年以上は昔であろうその当時、どのような診断の下し方をしていたのかはわからない。ただ分類法が違っただけで「発達障害」という概念だけは1970年代の時点で日本にも伝わっていたようだから、詳細は分からないものの似たような検査手法が取られていた可能性はある。
 もしそうだったなら、色んなことに合点がいく。
 治療を通して心理検査を行った結果、発達障害、あるいはそれに類する障害が判明し、かつ知能指数と言う面(かなえ先生自身は「IQが高い」と発言している)で通常授業に適合できる症状であったのなら、保護者としては学校側に配慮事項を伝えた上で、表面上は他の生徒と同じ様な学校生活を望むだろう。
 ただその結果、かなえ先生が(無自覚に)何らかの問題を起こして「コイツは発達障害だから」というレッテルとともに教師からつるし上げにあった、というような出来事が起こるのは別におかしなことではない。
 ……それと似たようなことを大人になったかなえ先生がやってるのはちょっと笑えないが。
 ASD傾向のある子供は、とにかくストレスを溜め込みやすく繊細だ。その割に対人関係ではデリカシーにかける言動が目立ったりもする。まあそんなわけで、「学校」というコミュニティではうまく馴染めないことが多いのだ。
 またAD/HD傾向が強く出ているのであれば、教師からは猶更疎まれやすいだろう。トーマス・エジソンの幼少期における教師との衝突などは、その典型例ではないだろうか。
 で、まああまり言いたくはないのだが、かなえ先生が挙げた具体的なエピソードとして「水泳の時間にパンツを降ろされた」というのがあるが、この程度のいたずらならクソガキは割とやらかす……とだけ言っておく。
 今の子供たちがどうかは知らないが、仲のいい友達同士でも、結構危険な遊びや悪戯が流行ったりはしていたのだ。
 心理学にお詳しいかなえ先生ならお分かりになるだろうが、思春期の男児は他人のおてぃんてぃんに興味津々なのだ。
 個人差はあるが、発達心理学の観点から小学校高学年から中学生くらいの年頃だと、そういう傾向があるのはどうもマジらしい。更衣室でボロンッ! とかよくあったし。あ、もしかしたら友達がいないと分からないのかも話なのかも知れない。だとしたら申し訳ない。心からお詫び申し上げる。
 ※そういやその年頃だと女子も女子同士でパンツの見せ合いとかしてたから(男子の目のない場所だともっとすごいこととかしてたのかも・あと多分僕は男子として扱われてない)、女の子も他の子のおっぱいとかそういうのが気になるのかもね。まあそれはさておき。
 ここで問題になるのが、かなえ先生が(本人の申告によると大人になってから)軽度のASD傾向があると発覚したことである。
 これはいいとか悪いとかではなく、ASDの子供はそういう傾向がある、という話だ。
 普通の子供たちが仲間同士の悪ふざけで流せるようなじゃれ合いを、ASD傾向の子供はガチで受け止めてしまったりする。いいとか悪いとかではなく、そういう傾向がある。
 僕もASDの診断を受けた時、臨床心理士の先生に「当時の出来事が本当にいじめであったのかは考え直した方がよい」とはっきり言われた。
 かなえ先生が自主的に女子におてぃんを見せつけたことにしちゃったのは普通に悪質なので、そこを考慮すると「いじめの一環」ではあった可能性は否定できないと思うが、僕から見ると「え、具体的なエピソードそれだけ??」と若干拍子抜けしたところはある。
 女教師の話はさすがにやべえが、でもやべえ教師って現実に結構いるわけで、それも別に珍しい体験とは思わない。
 僕個人の体験だと、児童の足を掴んで窓から逆さ吊りの体罰を課す男教師とか、生徒指導室に連れていかれたら男性の担任がガチに焦った顔で「助けに行くぞ!」ってクラス全員引き連れて引き取りにいくことになった女教師とか……いたけど……。まあそれは、個別の体験でありますし、受忍限度というのは人それぞれですから……うん。
 うーん、あれだよ。かなえ先生の世代だと、まだ一般の教職員レベルでは発達障害に対する理解なんてなかっただろうし、軽度のASD傾向かつコンサータの処方が必要なレベルのAD/HDなら、そういう対応を取る教師がいても不思議はないような気がするんですよ。
 教育委員会に物申すべきレベルの、教師としての資質を問われるべき案件なのは確かだけど、教師の側にも対処法が周知されてなくて、誰が悪いかっていったら、誰が悪いと言い切るのも難しいんじゃないかなぁと僕は思う。
 強いて言えば、生まれてきた時代が悪いっていうか。
 かなえ先生ってAD/HD特性とかが(本人の申告だと)後に判明しているわけだから、どう対処していいかその先生も悩んで、追い詰められてたんじゃないかな、って視点を持つのも、大人になってから過去を振り返る上では大事なことなんじゃないだろうか。
 かなえ先生には、そういう俯瞰的な視野がかけている気がする。幼稚、とまでは言わないが、どこか大人になりきれていないのだ。
 そもそもかなえ先生がそのクラスで、具体的にどんな行動を取っていたかもまたはっきりしていない。かなえ先生の自己申告だけで誰が悪い、あいつが悪い、というふうに、「かなえ先生しか知り得ない」過去の出来事について僕たちが決めつけることはできないだろう。
 かなえ先生の視点から見た都合のいい情報だけが切り取られている可能性を、僕たちは失念してはいけない。
 それから僕は、いじめられる側に、「いじめを受け入れる義務や責任」はないけど、「いじめのターゲットになる要因」はあると思う。
 この違いが皆さんにはわかるだろうか。
 「いじめられる側にも原因がある」っていう言葉がSNSに登場すると、これは定期的に炎上するけれど、こういう、言葉を発信した側と、受信した側の解釈の違いっていうというのか……、絶妙にニュアンスが違うというか、かなえ先生もそんなようなことを配信で言ってた気がするけど、基本、大衆は被害者側の感情に寄り添うわけなので。
 例えば、「いじめのターゲットになる要因」という話をする上で、僕の個人的体験だと「言葉遣いが違う」といったことだ。僕は関西出身ですが、小学校高学年の時に関東に越してきたので、周りと言葉や諸々の生活習慣が違った。
 それはしばしばからかいの標的になった。
 こういうのを指して「いじめられる側にも原因がある」と言っている人が多いんではないかなと。「被害者にも責任があるよね」というニュアンスで言っているんではないだろうと僕は思う。まっとうに良心が育っている人はそんな考え方をしないが、言葉選びを間違えることはある。正しく言葉を使える人は、僕たちが想像するよりも、ずっと少ないのだ。
 話を戻すが、他の人と少し違う、とか、例えば、ASD傾向がある子だと、周囲の子からすると接し辛かったり、ちょっと幼い振る舞いをしたり、理解し難い行動を取ることがある。
 そういうのを、個性としてキミ面白いねって受け止める子ももちろんいるけれど、異物として攻撃の対象にする子もいる。それは教師も同じだったりするのだ。所詮は人間ですからね。
 ともかく、いじめってそういう、コミュニティに紛れ込んできたある種の「異物」に対する反応が、エスカレートした結果のものだと僕は考える。
 もちろん異論はあるだろう。そもそもいじめはどんな理由があっても肯定されるべきではない。
 でも「なぜその子がターゲットになったのか」を考えるのは、その子が今後どう生きていくのか、を考える上でも大事なことだと思う。
 厳しいようだけれど、大人が守ってくれるのは子供のうちだけだ。社会において自立を目指すなら、自分の身は自分で守らないといけない。

 ※ほら、例えばかなえ先生はさ、僕のことつるし上げ引用リポストして信者に攻撃させましたよね。これは僕に「いじめられる要因」があるのはわかりますよね。
 かなえ先生と仲がいい訳でもないのに、ああいうことを言ったら、かなえ先生が怒るのもまあ無理はないかな、と僕は思う。だからお叱りを受けたり、喧嘩になったりすること自体は覚悟してましたよ。誰かを批判するって、そういうことでしょう。
 だからと言って、「いじめを受けた経験があると語っている人が」「ああいうやり方で反撃をするのは」感心しませんし、言われたい放題で黙っている義務も僕にはないわけです。だから謝罪するつもりはさらさらない。
 ただまあ、かなえ先生には言いたいことがあるなら正面からはっきり言えやチンカス都合のいい時だけ京都人ムーヴしてんなよって思いますね。

 で、話は少し巻き戻るんですが、もう一つ考えることとして、かなえ先生は「大人になってからもう一度検査を受けた可能性」もあるんじゃないかなって思うんです。
 例えば、子どもの頃のかなえ先生本人には診断結果が伝えられてなくて、でも大人になったかなえ先生は「あの時もしかしたら」って思いがあって、診断を受けようとしたのかと。
 だとしたら、かなえ先生が「怖い」と言った理由がすごくしっくりくる。かなえ先生が心理学を真面目に学んで、問題を抱えた子供たちと向き合ってきて、「実は自分も『あちら側』だったのでは?」という疑念を法務教官をやめて初めて持ったのだとしたら、それはとてつもなく怖いだろう。
 ただ診断自体はスムーズにいったんじゃないかと思う。それは、御母堂が当時のことを、克明に覚えていて「当時これこれしかじかな診断を受けた」と生育記録に記述した可能性があるからだ。
 この蓋然性は、かなえ先生が母親同伴で病院に行ったのならますます高くなる。メンタルケアには家族の協力が不可欠だし、別におかしな話ではない。かなえ先生が語るあのパワフルな母親像からすると「かなえ先生が拒否してもついてきそう」な感じはする。
 僕は別にそういうのを恥ずかしいことだとは思わない。例え周りがなんと言おうと、いくつになっても母親にとって子供は子供だ。特にかなえ先生のような、「手のかかる」しかも「男児」であればそうもなろう。理屈ではなくそういうものなのだ。

▼かなえ先生が語るその他のエピソードについての「違和感」

 僕が違和感を覚えるのは、かなえ先生の過去の断片的なエピソードや経歴についての雑多なものについても存在をする。この項ではそれらについてまとめて検証したいと思う。
 まずはかなえ先生が過去に「女性向けの創作界隈で活動していた」という件についてだ。ここで述べることは、あくまで僕の想像・推測に過ぎないことを最初に述べておく。この記事を根拠に、かなえ先生についての「デマ」を流すようなことは控えていただきたい。
 さて、かなえ先生は女性向けの創作界隈で「脚本」「シナリオ」などを担当していたということだが、これが事実であるかはわからない。仮に事実であるとすると、「夢女子系」か「腐女子系」かで大きく性質が変わってくると思う。
 僕が思うに、かなえ先生自身が「ショタコン」であることをネタにしていることを考慮するに、恐らく「腐女子界隈」にいた可能性が高いと考えている。まあつまり「腐男子」であったということだろう。自身のエロ絵を描かれることに抵抗がなさそうな点から見ても、この説はある程度補強できると思う。
 これは僕の知人(上京してきたけど結局ヘラって大阪に帰ったバカ)の話なのだが、「腐女子だったらオレでもワンチャンパコれるかも」という魂胆で腐女子系のサークルに参加し、結果としてゲイに転んでしまった友人がいる。そういうパターンもあるので、かなえ先生は実は「ゲイ」もしくは「バイ」の可能性があることは、これは強く提示しておくべきだろう。かなえ先生を推している方は、是非とも参考にしていただきたい。僕はかなえ先生で抜くとかムリだが。
 別に違和感とかなくない? と思われる方もいるだろう。僕も最初は特に違和感を持っていなかったが、「あれ?」となったのが以下のツイートだ。

 かなえ先生が、どのような形で創作に携わっていたかはわからない。ただ「シナリオ・脚本」という話になると、ゲームであったりだとか、動画・音声CDと言った類のものが想定される。そうなると「コンポーザー」や「サウンドエンジニア」と言った人々が必ず関わってくる。
 そう、価格にビビるまでもなく、過去にそういった分野に関わった経験があるのであれば、その「ツテ」を頼ればいいのに、かなえ先生はそうしないのだ。なぜそうしないのか。それはかなえ先生が何らかのトラブルをサークル内で起こして、「without」されたからではないか。
 何せかなえ先生本人が言っているのだ。「メンヘラの彼女に刺されたことが複数回ある」と。
 上記のエピソードが、事実か創作かはわからない。だがもし仮に事実であるならば、以下のような推測が成り立つ。
 
 ・かなえ先生が女性向け界隈に近づいたのは「オフパコ」目的である。
 ・そしてその目論見は、ある程度成功した。
 ・成功はしたが、粉をかけていた女性と何らかの理由でトラブルになり、それは刃傷沙汰にまで発展した。
 ・その後、サークルを転々としたが、噂は千里をかけ、女性向け界隈において出禁を言い渡されるようになった。
 
 こう考えれば、具体的に関わった作品名も出せず、顔出しもできず、さらには配信時はボイチェンまでかけて、「ツテ」を頼れない理由も説明がつく。
 そして「複数の女性に刺されていた」理由にも同時に説明がつく。
 僕も腐女子系のサークルに関わっていた時期があるが、そういう場というのは、男が極端に少ない。
 僕も同じくそのサークルに所属していた男の子も「ゲイ」であることを公表していたが、それでもサークルメンバーとの恋愛関係を噂されることはあった。
 「ノンケ」の上、「ノンデリ」をネタにしているかなえ先生が、「軽度のASD」かつ「AD/HD」傾向のあるかなえ先生が、そんなややこしい集団で「うまくやる」ことができると皆さんは思うだろうか。
 僕は思わない。
 今後、かなえ先生に関する「不名誉な」噂がどこかから浮かんでくる可能性があるかも知れない。ただ事実を確かめようがない以上、僕たちは極力そのことについて、触れない方がいいのだろう。

 続いてかなえ先生がよく口に出す「スタッフ」についてだ。
 これは、もう、実在するかが怪しい。いや、かつては存在したのかも知れないが、よく考えるとおかしな点が多い。
 まずかなえ先生が「スタッフ」に対してどのような「対価」を支払っているのかという点だ。それが金銭的なものであるのか、もしくはその他の何かであるのか、僕にはわからない。無償労働の可能性もある。
 だとしたら「ブラックだなぁ」と思うが、実際に何をやっているかもわからない人たちだし、そこはなんとも言えない。

 ただこの「スタッフ」について不思議に思うことが二点ある。

 まず「あまりにもかなえ先生の誤字が多い」点である。
 誤字が多い点に関しては、AD/HD傾向のある人物であれば不思議ではない。だがかなえ先生は自身の発達特性についても、誤字が多いことについても、自覚と自認があるはずだ。
 だとすれば、身の回りに自分をフォローしてくれる「スタッフ」が「本当に」いるのであれば、誤字がないか、簡単なチェックを依頼するのが普通ではないだろうか。
 もう一つ、僕もかなえ先生のライブ配信をすべて見ているわけではないので見落としがある可能性も高いのだが、「スタッフ」に対する具体的なエピソードが配信内で出てこない点も不可解だ。
 もし「本当に」「スタッフ」がいるのであれば、「スタッフのAちゃんが」「スタッフのBくんが」みたいな小話が出てくるのが自然ではないだろうか。もちろん「プライベートな付き合いも雑談も一切しない」関係ならばあり得る状況かも知れない。だが、それはそれで普通ではない。
 まあ……これはあくまで僕の「想像」だ。まさかとは思いますが……、なんてことがないことを祈りたいものである。

■かなえ先生の「オトモダチ」に伝えたいこと

 まず知っておいてもらいたいこととして、今は非公開アカウントとなっているため確認できないものの、「とがせ景」氏からは一連の騒動の中で、特に自身が盗用・模倣の指示を出した件について、イラストレーター側から「これ以上話せることはない」と言った上での、重ねて、追加の釈明があった。
 これは恐らく、過去の作品についての著作権侵害(内容から見て、おそらくはトレパク)の疑惑をかけられたこともあるだろうが、かなえ先生から何らかの指示があったか、あるいはかなえ先生リスナーからの凸が関係しているのではないかと僕は考える。
 実際、イラストレーター側としては最初の糾弾で「これ以上話せることはない」と明言しているのだから、これ以上何か釈明する必要は実際ないのだ。
 あくまで論点はかなえ先生の和装イラストについて、デザイン案の盗用や模倣が存在したかというのが話の争点なのであって、とがせ景氏が過去のイラスト作品においてトレパクや模写を行っていたかは関係がない。
 その上で、イラストレーター側としては沈黙を徹底した方がむしろ反省の姿勢を示すことができたであろうし、打てど叩けど反応しない相手に対して、攻撃を繰り返す人は次第に消えていったことだろう。
 とがせ景氏もそれは分かっていて、「自分から話せることはここまでだ」と釈明を締めくくっていたのではないか。
 にも関わらず、とがせ景氏は7月13日に追加の釈明ポストを投稿している。僕はこのポストに大きな違和感を持った。
 まずは文体だ。それまでのとがせ景氏は、努めて感情を抑えた文体でポストをしている。
 しかし7月13日に投稿されたポストは、そもそも投稿の様式からして違う。とがせ氏はポストの文字数制限(140字)超過する長文を投稿する場合、自身のポストに返信を行う形でツリーを作成している。
 しかしながら7月13日の当該ツイートにおいては「スクリーンショットを貼り付ける」という形をとっているのだ。
 しかも文体が、これまでのとがせ景氏の投稿と若干異なるのである。過去のイラストについてトレパク疑惑をかけられているにしても、ここまで攻撃的に他人を突っぱねるような言い方をする人なのだろうか、と、この方をよく知らない僕から見ても疑問に思うのだ。もちろん感情的になって「地」が出たのかも知れない。だが「それにしても」と思うのだ。
 何より「匂う」のは、かなえ先生への謝辞だ。
 「いつも通り活動をしてくれてありがとうございます」なんて文言は、まったくもって意味不明である。
 クライアントやそのファンに対する配慮は当然だが――なんというか、この文言は、当該ポストの中において明らかに「突飛」なのだ。
 結果的に炎上に巻き込まれたイラストレーターの側からすれば「何へらへら配信なんぞしとんねん、お前の仕事受けたせいでこうなっとるんやぞ」と思うのが普通の感性ではないか。
 それを踏まえた上でこの言葉が出てきたのは、とがせ氏がまともな感性の人間ではないか、追い詰められて思考がまとまらない状況にあったか、あるいは――。

 さてこの形式をとる場合、よく用いられているのはiOSのメモアプリであるように思う。だがこのポストに張り付けられているスクリーンショットの背景色とiOSのメモアプリの背景色と比較すると、明度が高いのだ。
 Andoroidのアプリを使用しているか……背景色を見ると、合致するのは「ダークモードを設定している状態のXのDM画面」だ。
 いや、これは僕の妄想だと思っていただいて構わないが、これは「誰かから送られていたDMを」「それとわからないようにトリミングして貼り付けた」ものである可能性があるのではないか。
 いやあ、年を取ると妄想が逞しくなって、よくないなあと我ながら思う。
まあとにもかくにも、である。現在進行形でかなえ先生と関わっているクリエイターの皆さまは、よくよく気を付けた方がいい。
 もし何かのきっかけでかなえ先生の「炎上」に巻き込まれた場合、かなえ先生はまず第一に保身に走るだろう。決してあなたを庇うようなことはしない。それどころか責任の所在をあいまいにし、あなたにヘイトが向くように仕向けてくる可能性がある。
 それにくわえて、かなえ先生の「信者」が「かなえ先生が炎上したのはお前のせいだ!」と攻撃を仕掛けてくる危険すらあり得るだろう。かなえ先生は気に食わない意見には耳を貸さない。配信中、気に食わないコメントは「荒らし」扱いしてブロックしているというのはよく指摘されている。エコーチェンバー化が進みつつあるのが、かなえ先生界隈だ。
 今回の「山姥切長義」の件などまさにそうだ。かなえ先生が最初に窓口を自身に一本化していれば、とがせ景氏にここまで攻撃の矛先は向かなかったのではないかと僕は思う。

 それから、かなえ先生と関わるメリットとデメリットについても考慮しておくべきだろう。
 15万人というチャンネル登録者数は個人Vtuberとしては「かなりの数字」ではあるが、「にじさんじ」「ホロライブ」と言った企業勢や古参のVtuberと比べるとやはり大きな差があるし、著名なアーティストなどは億単位の数値を叩き出している。それを踏まえると、自分のブランディングや集客と言う意味で、かなえ先生の持つ「数字」や「集客力」を利用するのはメリットとなるだろう。
 ただ、これは色々なところで指摘されているが、かなえ先生の影響力というのはあくまで「個人勢Vtuberの中では大きい」程度のレベルであって、「Youtuber全体」から見るとまるで大したことがない。
 かなえ先生が自身のチャンネル外に出張していわゆる「コラボ配信」を行っている場合、特別数字が伸びているかと言うと、「まあ、呼ばないよりはマシか」程度の数字しか稼げていないのが現実だ。
かなえ先生リスナーは「かなえ先生だけをみたい」のかも知れない。またよそのチャンネルで話しているかなえ先生は、若干歯切れが悪いところも影響しているだろう。内弁慶というか、普段の切れ味がないのだ。
正直なところ、僕はかなえ先生とコラボ配信をするメリットは、あまり大きくはないかな、と思っている。例えば懲役太郎氏のような類似ジャンルのVtuberとコラボするなら、それなりの意義はあると思うが。
 その上で、かなえ先生は「刀剣乱舞ファン」というかなり大きな集団に、悪い意味で認知されてしまった。かなえ先生はチャンネル登録者数15万人突破を喜んでいるが、必ずしもかなえ先生に「好意的」なリスナーばかりではないだろう……いわゆる「ヲチ勢」が潜んでいる可能性は十分にある。
 そして一度「やらかした」以上、周囲の目は厳しくなる。ログが流れても、ポストを削除しても「なかったことにはならない」。これはかなえ先生ご本人の弁だ。今回の騒動を知っている人からはマイナスのイメージを持たれているだろう。
 「類は友を呼ぶ」「朱に交われば赤くなる」とはよく言ったものだ。かなえ先生とつるんでいる人々は「同類」と見做される可能性がある――このことをよく旨に刻んでおくべきだ。
 かなえ先生と今後も付き合いを続けていくならば、相応の「覚悟」は必要だろう。

■むすびに

 最後になぜ僕が、かなえ先生をこうも強く糾弾しているのかをお話しておきたいと思う。
 このnoteの執筆を行っている8/26現在、ネット界隈では「アサクリシャドウズ問題」が大いに話題になっている。
 これはパリ五輪ともども、白人文化におけるアジア人差別やその文化・歴史に対する敬意のなさが露呈したことももちろん問題の本質の一つではあるが、もう一つ重大な問題として、日本の人文学系アカデミアの対応も指摘されるべきであろう。
 「アサクリシャドウズ問題」においては、実に9年という長い時間をかけて、「黒人奴隷は日本人が流行させた」という歴史改竄の事実が問題視されている。
 だがこの件について日本の人文学界隈の目立った動きと言うと東京大学史料編纂所特殊史料部門准教授の岡美穂子氏(を名乗る人物)が擁護ともなんとも言えないような支離滅裂な言説を繰り広げているくらいであり、特に歴史学者が強く抗議する姿勢というのは(まったくないわけではないが)ほぼ見られないのが現状である。
 これは当たり前の話だが、大学というのは教育の場でもあるが、何より研究機関であり、とりわけ公費を投じて運営されている大学ともなれば「国益」となり得る「成果」を出さなければならないのが当然だ。
 そのように考えると、今まさに日本と日本人の歴史や文化にまつわる名誉(日本の歴史的・国際的な評価≒国益)が傷つけられているというこの時に、「動かない」学者たちに「金を払う価値があるのか」という話になるのは当然の帰結だろう。
 今、日本の人文学系アカデミアはその真価と自浄作用を問われているのだ。「犯罪学教室」の看板をかかげ、自己紹介動画において「心理学」「社会学」が専門だと自称しているかなえ先生もまた、この中に含まれるだろう。
 かなえ先生は「学術系」と呼ばれるのを嫌っているらしいが、それはただの「逃げ」だろう。そのような考え方で情報発信を行っているのならば、今すぐ「犯罪学教室」の看板と「先生」の肩書を返上すべきだ。
 だが彼はそうしないだろう。それをやるとVtuberとしての実績が崩れてしまうから。かと言って暇空茜の問題提起を発端に、アサクリシャドウズ問題にいたるまで、今日本のネット界隈において巻き起こっている、人文学界隈への冷たい視線に、かなえ先生は巻き込まれたくないのだ。

 はっきり言おう、「あまりにも女々しくて虫唾が走る」と。

 仮にも「犯罪学者」を名乗り、「心理学」と「社会学」を専門分野と標榜しながら、Youtubeや書籍などで情報発信を行うことで本人曰くところの「飯のタネ」を得ているわけだから、かなえ先生も、その「価値」を問われる対象に含まれる。
 だがかなえ先生はどうやら「アサクリシャドウズ問題」について言及した内容を見る限り、ことの重大さや問題の本質をまるで理解していないようだ。
 別に、他人に攻撃的であるのはいい。毒を含んだ柄の悪い物言いを武器にするのもいい。だが自分をそのようにブランディングするのなら「逃げるな」と僕は言いたい。
 特にかなえ先生が専門を自称する「社会学」は、かねてからその学術的価値や正当性が疑問視されてきた分野だ。社会学者は例えば上野千鶴子のように思想性が強く、実験を行う際確証バイアスがかかっていることが多い。
 そして社会学者の収入源は主にそれらの実験を元にした書籍の販売なのだが、理系分野において一般的に行われている再現実験というのが、どうも社会学界隈においては滅多に行われないそうなのだ。
 どうにも、再現実験を行ったところでその結果を書籍として売りさばくことができないから「飯のタネ」にならないという理屈らしい。

 皆さんはSTAP細胞のことを覚えているだろうか。自身の実験結果を再現できなかった小保方晴子氏と、その家族がどのような末路を辿ったかご存じだろうか。
 実験が再現できなかった理系の学者は「インチキ」扱いされ、社会的に抹殺される。
 だが人文学者たちは違う。「バイアス(思想的片寄)」のかかった「結果ありきの実験」を元に、社会を自分の望むように誘導しても、これまで何ら糾弾されてこなかった。あまりにも不公平だ。
 そして社会学者たちの影響力は決して小さくない。以前の選挙において立憲民主党や日本共産党といった左派政党がどのようなお題目を掲げていたか皆さんは覚えているだろうか。「日本学術会議」が何をやっているか、皆さんはご存じだろうか。例えば「社会福祉」という大きな利権に群がっている「学者」「研究者」「活動家」が、どういった分野を「専門」としているか、考えをめぐらせてみたことはあるだろうか。
 これは大部分が僕の妄想なのかもしれない。そういう意味で、僕は暇空茜のことをどうこう言えないと思う。
 だが「大した学術的根拠もないいい加減な論証で他人の思考を誘導する」人種は、例えば僕のようなインチキスピ系占い師と大差ない。むしろ「研究と実験の結果です」とさも「科学っぽい」顔をしてる分、なおさら質が悪い。
 だから僕はかなえ先生を糾弾する。「やらない善よりやる偽善」とはよく言うが、かなえ先生は「口先だけのやらない偽善」だ。
 彼の目的はなんだろうか。社会の理不尽を正すことだろうか。心を病んだ人々を救うことだろうか。どちらも違う。本人が「セクシー田中さん」問題についてのライブ配信で名言していたではないか。

「飯のタネ」だと。

 要するに、「カネのためなら理想なんて投げ捨ててもかまわない」のがかなえ先生という男だ。
 そういうのを、あるいは世間では大人になったというのかも知れない。
 だが僕このような人間を、僕は純粋に腐ってるなぁ、許せないなぁ、と思うのである。


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