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ブラック・ドッグ・タウンへようこそ!~第四話 たましいたちがいるところ

4・たましいたちがいるところ

 さて、ドンちゃんとはじめとした一行は、ちかちかまたたく星空の下を進んで、《思い出の入り江》までやってきました。白い岩崖にできた、ぽかりと広い隙間に、青い青い海が寄せて返して波になっています。銀色の月明りが波を照らして、白い泡がきらりきらりと光ります。

 べたつくような、生ぬるい潮風にキヌタが鼻をひくひくさせました。塩辛くて、少し生臭いような、海のにおいです。

「この街に、こんな場所があるなんて……」

 ドンちゃんがうんうん、とうなずきます。

「ここにはいろんな海のおばけが住んでいるんだよ! ほら、あっちの岩壁を見てごらん。洞窟がたくさんあるだろう? あそこが彼らの家なんだ」

 たしかに、岩壁にはぽかん、ぽかん、といくつもの穴が口を開けていて、そこにざあんざあん、海の水が入っていきます。

 その中にひとつ、入り口がふさがっている洞窟がありました。岩を何個も積み重ね、隙間をワカメでふさいで、それはもうきっちりとふさがっているのです。

「あそこがミズキさんの洞窟です」

 ため息交じりにつぶやいたドンちゃんは、その洞窟に向かって歩き出しました。みんな、そのあとをついていきます。

 洞窟はおとながふたり、手をつないで歩けるくらいの穴の広さです。岩の向こうから、波の音とは違う、パシャン、と水を打つ音がしました。なにかがいるのは間違いなさそうです。

ドンちゃんはぐう、と背筋を伸ばして、大きな声を出しました。

「ミズキさん、聞こえる? ぼくだよ、ドンちゃんだよ。ミズキさん!」

 ドンちゃんの声は《思い出の入り江》中に響きました。他の洞窟に住んでいるのおばけたちが、驚いて顔をのぞかせます。ですが、岩の向こうはシンとしたままです。

「……いつもこの調子なんです」

「ふうむ、とにかくこの岩を取り除かないと、まともに話ができそうにないですね」

「でも、この岩、向こう側に引っ張り込むように組み立てられているので、こちら側からいくら押しても動かないんです」

 それは困った、とみんなが頭をひねろうとしたとき、なんでもないように、ワラシが言いました。

「ねえ、メアリーさん! メアリーさんならこの岩、すり抜けられない?」

 ワラシのことばに、ロシーさんが手をポン、と打ちます。

「そうか! メアリーさんは壁もすり抜けられる幽霊ですし、岩だって!」

「え、ええ。できますわ! でも入って何をすればよろしくて?」

 メアリーがとまどったように首をかしげました。ロシーさんはニヤリと笑って指を二本立てました。

「まず、ミズキさんの様子を見ること。そして、できるならミズキさんに外に出てもらえるように説得すること。このふたつです」

「うまくいくかしら……」

「せめて様子だけでも見てきてください。もし弱って出てこられないだけだったら大変です!」

 わかりましたわ、とメアリーがうなずきます。そして、メアリーのふわふわの金髪や、シルクのネグリジェが、するり、と岩の向こうへ消えていきました。ロシーさんたちは、ごくりとつばを飲んで、待ちました。すると……。

「きゃあああああ、おばけえええええ!」

 甲高い悲鳴が響いたかと思うと、何かがドンッ、と岩にぶつかる音がしました。すると、きっちり組みあげられていた岩ががらりがらりと崩れ出し、みんな大慌てで洞窟から離れました。

「あらあら、まあまあ」

いつの間に戻っていたのでしょう。呆然とするみんなのそばをメアリーがふわふわ飛んでいます。キヌタが震える声でメアリーに尋ねました。

「ど、どう、どうしたの、これ」

「どうもこうもありませんわ。ミズキ様ってば、人の顔を見るなりおばけだなんて」

「でも、おばけでしょ?」

 ワラシのツッコミに、「そうでしたわね」とメアリーがすっとぼけました。

「まあ、どうあれ、外に出ていただけたのは助かりましたわ。あの岩、内側からの衝撃にはもろかったようですわね」

 たしかに、その通りでした。崩れた岩の向こうに、人影があります。ショーットカットで、透き通るような白い肌をした若い女の人。海水に浸かっている足は、腰のあたりから滑らかなうろこの魚になっています。この人がミズキさんです。

 ロシーさんが、気を取り直したように、一歩ミズキさんに近づきました。

「これはこれは、ミズキさん。私、ブラック・ドッグ・タウンの町長のロシーと申します。住民登録の時に一度お会いしましたね」

「ひっ!」

 にこやかなロシーさんに、ミズキさんが後ずさりします。その様子を見て、ワラシが「あっ」と声をあげました。

「もしかして、ミズキさん……おばけがこわいの?」

 シン、とみんなだまりこみました。ミズキさんはといえば、うつむいて小さく震えています。

「な、な、なによ! おばけがこわくて何か悪い?」

 上ずった声でミズキさんが叫びました。ふうむ、とロシーさんはキヌタに何かささやきました。キヌタも、小さくうなずきます。

「ミ、ミ、ミズキさん」

 ちょこちょこと近づいてきたキヌタに、ミズキさんは少しホッとしたような表情を浮かべました。

「あら、あなたは人間の男の子?」

「ううん……」

 キヌタは、ポンッ! と煙を上げて、タヌキの姿に戻ります。ふさふさの毛並みが海に落ちてびっしょり濡れました。

「キャッ! やだ! おばけ!」

 ミズキさんは悲鳴を上げて、洞窟の外……ドンちゃんがいるあたりへ逃げました。それを見て、ロシーさんは目を見開くと、小さくうなずきました。

「それでは、ミズキさん、我々は退散しますね!」

「えっ、ロシーさん!」

 慌てるドンちゃんに、ロシーさんがそっと耳打ちしました。

「ミズキさんはただおばけがこわかくて引きこもっていたわけではなさそうです。でも私たちがいるとおびえて何も話してくれないでしょう。私たちは近くで見守っていますから、あとはドンちゃんの仕事ですよ」

 そう言ってそそくさと、ロシーさんたちはその場を去りました。残されたドンちゃんとミズキさんはぽかん、とその背中を見送ります。

「ミ、ミズキさん……」

 ドンちゃんがおそるおそる声をかけると、ミズキさんはドンちゃんをにらみました。

「あなたも帰ってよ!」

「そうはいかないよ! せっかく外に出たんだし、街を散歩しない?」

「あなた、私が人魚だってわかって言ってるの?」

「う、うん! ぼくがおぶっていくから……」

「ああ、もうやだ! やだ!」

 ミズキさんはかんしゃくを起こしたように、しっぽで水面を打ちました。ばちゃばちゃ上がる水しぶきに、近くの岩かげからのぞいているロシーさんたちはハラハラします。

「なんなのよ、あなた! 私のことはほっといてって前に言ったわよね! 私は人魚でなんかいたくないのよ!」

 えっ、とドンちゃんは驚いた声をあげました。

「なんで人魚がいやなんだい? そんなにきれいなのに!」

「どこがよ! 気味が悪いだけだわ!」

 顔を真っ赤にして怒るミズキさんは聞く耳持たず、といった様子です。

「人魚は素敵だよ! ほら、こんな広くてきれいな海を自由に泳げるんだよ。見てごらんよ、あの波!」

「海なんて見たくないわ。私も、家族も、友だちも、みんな波にのまれたもの」

 あっ、とドンちゃんが小さく声をあげました。

「ミズキさん……君は、海で……」

「そうよ。だから海は嫌いだし、人魚も嫌なの。わかったでしょ、ほっといて!」

 潮風が強く吹いて、ミズキさんの短い髪がバサリと跳ねました。ドンちゃんは、ふう、と息をつきます。

「ほっとけないよ。だって、ぼくの仕事は人の話を聞くこと。そして、それをみんなに伝えること。話を聞くまでは、みんな心配しちゃうよ」

 ドンちゃんが差し出した手を、ミズキさんが勢いよく払いました。そして、眉間に眉を寄せて、怒鳴り散らすように言いました。

「だったら教えてあげるわ! 私はね、ダンサーだったの! バレエだってずっと習ってたし、ヒップホップやハウスだってうまかったのよ。ダンスのチームだって有名になってきて、これからって時に、波にのまれて……! 目が覚めたら、おばけになってたなんて、信じられない! しかもなんでよりによって人魚になってしまったの? なんで、私の足はもうないの? 私は、なんでもう、踊れないの? なんで、私ひとりだけがここにいるの……」

 だんだんとミズキさんの声が小さくなっていきました。震えるミズキの肩をなでるように、やわらかな潮風が吹き抜けていきます。ドンちゃんはそんなミズキさんの隣の岩にそっと腰を下ろして、言いました。

「ぼくはなんで自分がミイラになったのか、分かる気がするんだよ」

 ミズキさんはちらりとドンちゃんを見ました。

「……なんで?」

「だって、ミイラってカラカラに乾いた死体でしょ? ぼくも一瞬で体中の水分が吹っ飛んじゃったんだ。爆弾でね」

 ミズキさんがハッと息をのみました。ドンちゃんは構わずに話を続けます。

「それに、ミイラは人の手が入った死体でもある。……ぼくは、君みたいに自然じゃなく、人の手によって消えてしまった」

 いつものにぎやかな声ではなく、ゆっくりと、ぽつりぽつりと語られるドンちゃんの話に、ミズキさんは黙り込みました。その話をこっそりと聞いているロシーさんたちも、です。

「ねえ、ミズキさん。ぼくたちが同じだとは絶対言わないけど、それでもぼくたちは似ているんじゃないかな。ひとりぼっちで取り残されたような気分。やり残したことがいっぱいある気分。悲しくて、さみしくて、それなのに今生きてることがうれしいような、どうしたらいいのかわからない気分……」

 また潮風が吹いて、波がざあん、と穏やかな音をたてました。ドンちゃんは海を眺めたまま続けました。

「あれだけいっぱいの人が消えたのに、なぜぼくだけがこうやってブラック・ドッグ・タウンに来たのかはわからない。でもぼくは、消えた人たちのぶんも、満足するまで生きなくちゃいけないと思うんだ。まあ、多少姿は変になっちゃったけどね。……ミズキさんも、そうでしょ?」

「…………そうかもしれないわね」

 ミズキさんがつぶやきました。強い光を帯びた、深く透き通った藍色の瞳からは、海の水に似た涙がまっすぐに流れています。

「うん、それでね!」

 ドンちゃんの声がパッと明るくなりました。

「この街に住む人のほとんどは、ぼくらと同じなんだ! ひとりぼっちの元人間、居場所をなくした本物のおばけたち、そんな者たちが集まっているのがブラック・ドッグ・タウンだよ! だからさ、ミズキさん」

 ドンちゃんの手が、ミズキさんの手をとります。ミズキさんは一瞬だけ体を震わせましたが、じっとドンちゃんを見つめました。ドンちゃんは嬉しそうに言いました。

「ぼくたちをこわがらないで。自分のことをこわがらないでよ。そんでもって、ぼくたちはもっともっと幸せにならないと損だよ! 僕たちが笑わないで、誰が笑ってくれるんだい?」

 そのままドンちゃんは、ミズキさんを抱きしめて、そのままお姫様のように抱き上げました。メアリーさんが思わず「きゃあ!」と嬉しそうな声をあげます。

「ちょっと! あなた! 濡れちゃうわよ! ミイラが濡れたら大変でしょ!」

 ミズキさんが止めるのを聞かず、ドンちゃんはくるくると回りました。

「大丈夫! ミズキさん、踊れないって言うなら、ぼくが抱き上げて踊るよ。君が見たかった景色は、みんなみんなここで見せてあげる! だからさ、」

 足を止めて、ドンちゃんは海を見ました。ミズキさんもつられて海を見ました。銀色の月明りを受けた水面は、どんな真珠よりも美しく輝いています。沖の方でなにかがパシャン、と跳ねました。人魚でしょうか? 水しぶきがキラキラ光ります。

「キレイ……」

 ミズキさんが目を細めてつぶやきました。ドンちゃんも、嬉しそうに言います。

「ミズキさん、生きようよ。もう一度、みんなの中で。ぼくたちおばけは簡単に消えられないんだからさ!」

 そのドンちゃんのことばを合図にしたように、ドンちゃんの腕の中からミズキさんが飛び上がりました。そしてするりと水しぶきも立てずに海に飛びこむと、少し深くなるあたりまで泳いで、イルカのようにジャンプしました。何度も、何度も、何度も。

それはまるで、星をまとって踊っているようでした。

その様子を見て、ロシーさんは小さくうなずきました。

「もう、あの二人は大丈夫でしょう」

 ロシーさんのささやきに、やじうまたちはそっと《思い出の入り江》を後にしました。


 帰り道、メアリーとワラシについていくように、ロシーさんとキヌタは並んで後ろを歩いていました。

「キヌタくん、さっきは『ミズキさんの前で化けろ』というお願いを聞いてくれてありがとうございました。あれで、ミズキさんが本当はドンちゃんを頼りにしてることがわかりました。でもびしょ濡れにしてしまいましたね」

 すみません、とロシーさんがキヌタに謝ります。キヌタは首を横に振りながら、ちら、とロシーさんを見上げました。実はキヌタは《思い出の入り江》にいた時から気になっていたことがあったのです。

「あ、あの、ロシーさん」

「なんですか、キヌタくん」

「ど、ど、どうして、ミズキさんは人魚になっちゃったの?」

 キヌタの質問に、とロシーさんは、うーんと首をひねりました。

「理由はわかりませんが、たましいがおばけになるときは、たいていその人の死と関わる姿になるんです。爆弾で死んだドンちゃんがミイラであるように、海で死んだミズキさんが人魚であるように」

 そう言って、ロシーさんはほんの一瞬だけメアリーとワラシのことを見ました。ふたりともその視線に気づかなかったのか、楽しそうに前へと進んでいきます。

「おばけというのは謎ばかりです。でもね、元人間のおばけたちはね、人であった自分とおばけとしての今の自分と、両方とも大切にしているんですよ」

その声があんまりにも優しいので、キヌタはもう一度たずねました。

「ね、ねえ、ロシーさんも、元人間、なの?」

 ロシーさんはハッと目を見開きます。そして、返事の代わりに、その少し冷たい手でキヌタの頭を撫でました。その目元が少し光っていたような気がして、キヌタは胸がドキリとしました。

でもそれはほんの一瞬のことで、ロシーさんは明るい声をあげました。

「ところで、メアリーさん!」

「なんですの? ロシー様」

「たしか、お祭りのメインイベントが決まっていないって言ってましたね?」

 メアリーはとまどったようにうなずきました。

「私にいいアイディアが浮かびました。次の会議はいつですか?」

 そのロシーさんのことばに、メアリーがはじけるように飛び回りました。

「明日ですわ! やっとお仕事なさる気になりましたのね! わたくし、先に帰って資料を準備いたしますわ!」

 そう言うやいなや、メアリーは突風のように飛んでいき、見えなくなりました。

「さて、ワラシさん。キヌタくん」

 ロシーさんは、ワラシとキヌタの肩に手をおいて、しゃがみこみました。そして、ふたりの目をのぞきこんで、いたずらっ子のようにウインクをひとつしました。

「あなたたちに、頼みたいことがあるんです」

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