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ブラック・ドッグ・タウンへようこそ!~1話 墓場の下で朝食を

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 皆さんは、ブラック・ドッグを知っていますか?

 イギリスの伝承で、「古い道や十字路に現れる黒い犬を見たら、不吉なことが起こる」というお話。

 不吉。そう、たしかに不吉。

 でもブラック・ドッグの中には、ちょっとはいいやつだっているんですよ。

 特に墓場にいるやつなんかは、迷子を案内するくらい、いいやつです。

 名前を呼べば、ブラック・ドッグは世界中の墓場に現れます。そして「迷子」を案内してくれる。……生きていようと、死んでいようと。

 そう、ここはブラック・ドッグ・タウン。

 黒い犬に導かれた「迷える魂」が集う町。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

1・墓場の下で朝食を


 ギーン、ゴォーン、ギィーーン……。

 教会の鐘の音が空にひびきます。

 石造りの町は、まぶしい陽の光をさんさん浴びて、活気づいていきました。朝ごはんを買い求める人や、犬の散歩をする人が商店街を行きかいます。さわやかな朝です。

 そんな商店街を、ひとりの男の人が歩いていました。右手に抱えた紙袋からは、焼きたての長いバゲットが飛びだして、左手は野菜がいっぱい入ったビニール袋をさげています。

 それだけならふつうの男の人です。ですが、その人は「ふつう」と言うには少し変わっていました。

 まず、真っ黒のえり立てマントに真っ黒のズボン、真っ黒の髪を後ろに撫でつけて、黒いつば付帽子をかぶって、と、黒・黒・黒の黒ずくめ。そのくせ肌は気味が悪いほど白く、血の気がありません。とろんと眠そうな目の下にはくっきりとくまがあります。まったく、さわやかな朝が似合わない人です。

 ひょろりと背が高いその人は、まるで雲の上で踊っているかのようにふわりふわりと跳ねながら進んで行きます。

 そして時折、「おはようございます」と、店主たちにあいさつをしていきます。あいさつをされた人たちは、その男の人の低く響く声におびえながら、「おはよう」と返事をしました。

 なにより不気味なのは、男の人の歯でした。男の人が買い物をした店の人が見たところ、その歯の中に四本、いやに鋭くて大きな歯があったというのです。そこで商店街の人たちは、たまにこうやって朝早くにやってくる男の人のことをこうウワサしていました。

「朝一番の吸血鬼」と。


 黒い服の男の人がやって来たのは町はずれの公園の中にある墓場でした。人気がない墓場には、立派な墓石がいくつもいくつも並び、心地よさそうに太陽の光を受けていました。

「ノン」

 男の人のやわらかな声が墓場に響きます。すると奥から、のっそり、のっそりと、大きな犬が現れました。男の人と同じで、真っ黒の犬です。

 ノンと呼ばれたその犬は、黒い服の男の人を見上げてくあー、とあくびを一つすると、ふさふさのしっぽを揺らして墓場の中を歩きました。男の人はそれについて行きます。

 広い墓場の奥の奥、とても立派なお墓がありました。大きな石がまっすぐに立つそのお墓は、どうやら誰かひとりのお墓ではなく、自分のお墓を持たない人たちのためのもののようでした。

 ノンはそのお墓の前でピタリと足を止めると、お墓に呼びかけるように「ワンッ」とひと吠えしました。

 一瞬の静けさのあと、ゴゴン、と音を立てながらお墓がゆっくりと倒れます。お墓があった場所にはぽっかりと四角い穴が開いて、それは男の人が通れるくらいの大きさでした。よく見ると、闇の中に下に続く階段があります。男の人はノンの頭をひとなですると、やっぱりふわふわした足取りで階段を降りて行きました。

 黒い服の男の人の姿が見えなくなると、穴は消えて、お墓は立ち上がり、墓場には風がひとつ吹きました。その風に黒い毛を揺らしながら、ノンがひとつ、あくびをしました。

 長い階段を降りて、先に続く暗いトンネルを進むと、大きな扉がありました。黒い服の男の人は肩で押すようにその扉を開いて中に入ります。

 そこは、もう墓場ではありませんでした。暗いは暗いけれど、トンネルの暗さとは違う夜の町です。べっとりと黒ペンキで塗りつぶしたような夜空には、ばかに大きな月がぎらりぎらりと白く輝いています。ここではずっと夜なのです。

 それでも夜空の下に広がる町は、外の世界の昼間と同じように、わいわいがやがや、おおにぎわいでした。

 石畳のメインストリートには八百屋や服屋、レストランなどのお店が建ち並び、たくさんのお客さんでごったがえしていました。

 メインストリートの先には高い高い時計塔がそびえたち、大きな文字盤がゆったりと時間を進めていきます。時計塔の下は広場になっており、噴水やベンチがありました。子どもたちが遊んでいる姿も見えます。それに何人ものおとながお祭り用のやぐらを建てています。まったく、平和そのものです。

 ただ、皆さんがその町の人たちは目を丸くするでしょう。町の人たちは、羽が生えていたり、空を飛んでいたり、獣の姿だったりしているのですから! でも黒い服の男の人はそんなことを気にしていないようです。

 にぎやかな街の様子に、ふふふ、と微笑む黒い服の男の人を見つけて、何人かがわっ、と声をあげました。

「ロシーさん!」

「ロシーさん、おかえりなさい!」

 ロシーと呼ばれた黒い服の男の人は軽く頭をさげました。

「ただいま戻りました」

 道行く人やお店の人に声をかけられながらロシーさんはメインストリートを歩きます。

「ロシーさん、今日はどちらに?」

 牛乳屋の前を通りがかった時、大きな二本のツノを頭から生やした女の人がロシーさんにたずねました。ロシーさんは足を止めて、にっこり笑いました。

「今日はフランスの田舎町の商店街へ。あそこのバゲットは世界一ですから! それに野菜も! これとうちのトマトを合わせて、トマトシチューでも作ろうかと思いまして」

「そりゃいいねえ。ロシーさん、あんたは本当にトマトが大好きだねえ」

「ふふふふふ、だって僕の名前は、ルーマニア語の『トマト』なんですよ。本来は『赤いもの』って意味だったみたいですけど、ぼくはトマトのほうがいいです」

 女の人は、「ロシー……ロッソ……ああ、なるほどねえ」とつぶやいて、あっはっは、と大笑いしました。

「でも、料理もいいけど、またあんたのとこの秘書さんがあんたを探して飛び回ってたよ。本業も忘れちゃだめだよ、ロシーさん。聞いたよ、まだ次のお祭りのメインイベントが決まっていないんだろ?」

「ああー……」

 ロシーさんは眉をひそめて、肩をさげました。それを見て女の人は苦笑いを浮かべます。

「みんな祭りを楽しみにしてるんだからさ! 早いとこ決めちゃっておくれよ」

「そうします。はあ……」

 さっきまでの踊るような足取りはどこへやら。ロシーさんはとぼとぼと歩き出しました。

「あ、そうそう!」

 女の人の声に、ロシーさんが振り向きました。

「さっき言ってたトマトシチューのレシピ、今度教えておくれよ! うちの坊主どもに食べさせてあげたいからさ!」

 そのことばにロシーさんは大きくうなずき、心なしか、足取りも軽くなったようでした。


 さて、ロシーさんが帰ってきたのは町の真ん中に建つ高い高い時計塔でした。あんまり高いので、この塔の頂上まで登る人はめったにいません。なので、頂上の鐘も、ずっと鳴っていません。

 ロシーさんもぐるぐるとらせん階段を三階まで登りました。今、時計塔で使われているのはこの階までです。ロシーさんは、荷物に気を付けながら木戸を開きました。

 上品な赤いじゅうたんが敷かれた部屋は、どっしりとした机と本棚、そして来客用のソファが置かれた、たとえるなら校長室のような部屋でした。

「ただいま戻りました」

 ロシーさんがそう言うと、人の影がない部屋の中に、何か軽い布のようなものがふわりと舞いました。いえ、それは布なんかではありません。白いシルクのネグリジェを着た女の子です。その身体は、金色のやわらかな髪と一緒にふわふわと宙に浮かび、向こう側が見えるくらい、透けています。

「ロシー様! 仕事を放りだしてどこに行っていたんですの!」

「メアリーさん、そんなに怒鳴らないでくださいよ。ただ外まで買い物に出ただけじゃないですか。見てください、このバゲット!」

「あら、ほんと。おいしそう……じゃなくて!」

 メアリーは目をつりあげてロシーさんにせまりました。

「読んでいただかないといけない書類は山積みですし、会議だってありますのよ! それなのにフラフラと買い物なんて……。おつかいでしたら、秘書のわたくしが行きますのに!」

「だって、メアリーさんは外の世界の人には見えないじゃないか……」

 荷物を応接机に置きながら、ロシーさんがぼやきます。もちろん、メアリーに聞こえないように、です。メアリーはロシーさんのマントをマントかけにかけてから、たくさんの紙の束をロシーさんの机の上に置きました。

「まずはこちらの書類に目を通してくださいな。今日の会議の資料ですわ。議題は、次のお祭りの……」

「メアリーさん、私はトマト畑の様子を見に行きたいんですが……」

「いけませんわ!」 

 メアリーがロシーさんの鼻先に、ビシッと指をつきつけました。

「しっかり働いてくださらないと! あなたはこのブラック・ドッグ・タウンの町長なんですから!」

 そうです。ロシーさんはもうずいぶん長い事、この町……ブラック・ドッグ・タウンの町長を務めているのです。

 でもロシーさんはそんな町長の仕事に飽き飽きしていました。町の人の役に立てるのは嬉しいのですが、仕事といえば書類を読んだり、会議をしたりばっかり。それよりも、自分のトマト畑の世話がしたくてしょうがありません。

 トマトが大好きなロシーさんは、時計塔の裏庭でトマトを育てています。ですが、この町は太陽が昇らないのでなかなかうまく育ちません。なので、ロシーさんは月の光だけでも真っ赤な実がなるトマトの品種改良に夢中なのです。

「今日はおいしいバゲットもあるから、トマトシチューと、あとトマトペーストとチーズのブルスケッタを作ろうと思ったのになあ……」

「仕事が終わってからにしてくださいな」

 メアリーにピシャリと言われて、ロシーさんは机の上の書類の山を見ました。その量の多さに、大きな大きなため息をついた、その時です。

「ロシーさあん!」

 甲高い大声がして、ロシーさんの部屋……町長室のドアが開きました。そこにいたのは着物姿の小さな女の子です。

「ワラシさんじゃないですか。どうかされましたか?」

「ろしっ、ロシーさんっ、ひっく、あた、うう、あたしのね、うっ、にっ、にせ……」

 こらえきれずに泣きだしたワラシの声は、窓ガラスをビリビリ震わせます。メアリーはさっさと壁をすり抜けて避難したようです。ロシーさんは耳をふさぎたい気持ちをこらえて、そっとワラシの背中をなでました。

「ワラシさん、泣いていてはわかりません。ゆっくりでいいので、何があったのか説明してくれますか?」

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