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ブラック・ドッグ・タウンへようこそ!~第三話 引きこもりの人魚姫

3・引きこもりの人魚姫


「さて、町に住むとなると、住民登録をしてもらわなければいけませんね」

 まだまだにぎやかなメインストリートを進みながら、ロシーさんが言いました。キョロキョロとあたりを見回すキヌタが迷子にならないように、その手をつないだワラシが首をひねります。

「じゅうみんとうろく?」

「そう。ワラシさんだって、町に初めてやってきたとき、書類を書いたでしょう。そうして初めてこの町の住人になるんです」

「え、あ、そ、その住民登録って、どこでやるんだ?」

 不安そうにキヌタが尋ねました。ロシーさんは、ふふふ、と笑って、銀色の月明かりをキラキラ受ける時計塔を指さしました。

「私の仕事場で、です」


 時計塔の階段をぐるりと上がり、三階のドアを開いたとたん、キヌタは思わず耳をふさぎました。いえ、キヌタだけではなく、ワラシもロシーさんも耳をふさいでいます。

 なぜって? 真っ赤な顔で怒っているメアリーが、ロシーさんを見るなり怒鳴りだしたからです。

「ロシー様! やっとお帰りですのね! まったく町長が仕事を放りだすなんてとんでもないですわ! 結局会議も進みませんし! 早くお祭りのメインイベントを決めないと、準備だってありますのに……」

 まくしたてるメアリーに、ロシーさんがにっこりほほえみました。

「メアリーさん、お客さんですよ。新しい住人のキヌタくんです」

 そのことばに、メアリーさんのお説教はぴたり、と止まりました。そして、ふわりふわりと綿毛のように部屋を飛ぶと、おびえきっているキヌタのことをじいっと見つめました。

「まあ! まあ、まあ、まあ! それじゃあ、この方がお祭りの!」

「お祭り?」

 ぽかん、と口を開けるキヌタに構わず、メアリーは上品にネグリジェのすそを持ち上げて、おじぎをしました。

「キヌタさんとおっしゃいましたわね。わたくしは、町長秘書のメアリー・フルーエット。以後お見知りおきを」

 キヌタは「よ、よ、よろしく」と返事するので精一杯です。メアリーはにっこりと笑うと、大きなえんじ色のソファを手で示しました。

「こちらにお座りくださいな。今、住民登録票をお持ちいたしますわ」

 キヌタとワラシがソファに座ると、すぐにメアリーが数枚の書類をもって戻ってきました。そしてキヌタたちの向かいに腰を下ろします……、と言っても、ふわふわと浮いているものですからしっかり座っているようには見えませんが。

「では、質問にお答えくださいね」

「は、はい」

「キヌタ様は、元人間ですの?」

「へ?」

 元人間? 混乱するキヌタの代わりに、町長机の椅子に座ったロシーさんが答えました。

「キヌタくんは純粋な化けダヌキですよ」

「あら、あら! 純粋なおばけの方がいらっしゃるのは久しぶりですわ!」

 メアリーさんはそう言って、書類に何か書き込みました。

「キヌタくんは知らないかもしれませんが、世にいるおばけの大半は、もともと人間だったことが多いんです。大体が無念を残したまま死んで、魂が迷い、変化して、おばけになってしまった……。だからメアリーさんは、キヌタくん元人間かどうか、と聞いたんですよ」

 ロシーさんの説明に、キヌタは目を丸くしました。もしかしたら、ワラシやメアリーや、ロシーさんさえも、元は人間だったかもしれない……。そんなキヌタを見て、ロシーさんは笑いました。

「でもみんな、おばけになったら立派におばけとして暮らしていますよ。そうでしょう、ワラシさん」

「うん!」

 元気よく返事をするワラシの顔がニコニコしているのに安心したのか、キヌタはホッと息をはきました。

「では、住民登録の続きをいたしますわよ」

 メアリーさんの手の中で書類がバサリ、と音をたてました。

 キヌタの住民登録の途中、ロシーさんはお茶を淹れようと席を立ちました。ロンドンで買ってきたおいしい紅茶があったのです。

(沸騰したお湯を空のポットとカップに注いで温めて、それからお湯を一回捨てて、茶葉を入れてまたお湯を注いで……ここで、勢いよく注ぐのがコツ。すぐにふたをして、蒸らして……ティースプーンでポットの中をひと混ぜしたら、茶こしを使ってカップに注ぐ……)

 ロシーさんがていねいにていねいに淹れた紅茶は、透き通った濃い琥珀色をしています。甘いような、かぐわしい香りがふわりと部屋の中に広がった――その時。

「ロシー町長! 新たな住人がやってきたって本当ですか! スクープじゃないですかー!」

 バターン! とドアが開き、にぎやかなお客さんが入ってきました。ロシーさんはもちろん、キヌタもワラシもメアリーも、びっくりしてそのお客を見つめます。

 その姿は一目見てギョッとするものです。なんたって顔を包帯でぐるぐる巻きにしているのですから! いえ、顔だけじゃなく、体全体が包帯で覆われていて、その上からカッターシャツに黄色のベスト、茶色いズボンを着ているようです。

「み、み、ミイラ!」

 キヌタは思わず悲鳴を上げました。メアリーは眉間にしわを寄せてため息をつき、ワラシは嬉しそうにソファを飛び跳ねます。

「ドンちゃん、キヌタくんを取材しに来たの?」

 ワラシの声に、ミイラ男はがくがくと頭を上下させました。

「キヌタくん! 君が新しい住人だね! ぼくは新聞記者のドンって言うんだ! みんなからはドンちゃんって呼ばれてるから、よろしくね! それで、君の紹介を新聞に載せたいんだけど、インタビューさせてもらっていいかな!」

 ドンちゃんと名乗るミイラは、キヌタの肩をつかんでがっくんがっくん、ゆすります。キヌタは、まくしたてるようなことばや、ゆさぶりに、頭がクラクラしてきました。

 その時です。キヌタはドンちゃんの体から何かかぎなれない香りがすることに気付きました。どこか湿っぽくて、しょっぱくて、生ぬるい香りです。それはキヌタの古い記憶……そう、じいちゃんが海から来た渡り鳥とおしゃべりしてきた時にかいだことのある香り……。

「潮の香り……?」

「えっ!」

 自分の腕をくんくんとかぐドンちゃんに、ロシーさんがたずねます。

「海にでも行ってたんですか?」

「いやあ、そのお……実は、仕事とは別に、町長に相談事があって……」

「相談?」

 ロシーさんは紅茶を注ぐ手を止めました。騒がしい取材には気がすすみませんが、町の人の相談となると話は別です。ロシーさんがドンちゃんの話を聞こうとソファに腰かけようとすると、メアリーの雷がピシャリと落ちました。

「その前に住民登録を済ませるのが先ですわ!」 


 無事キヌタの住民登録も済み、ロシーさんが淹れた紅茶が全員にいきわたったところで、ドンちゃんの話が始まりました。

「ロシーさんは覚えてますか? ちょっと前に町にやってきた、ミズキさん」

「ああ!」ロシーさんは紅茶をすすりながらうなずきました。「覚えてますよ。人魚の方ですよね」

「そう、その人魚のミズキさんなんですが……全然町で見かけないでしょう?」

 たしかに、とメアリーもうなずきました。

「でも、人魚さんですもの。町まで歩いてくるのは大変ではなくって? 誰かお手伝いをしていらっしゃるなら別ですけど……」

「その『お手伝い』がぼくなんです」

 ドンちゃんがため息をつきながら話を進めます。

「そもそも、ミズキさんがはじめて街に来た時……ぼくが海坊主さんに取材をしようと《思い出の入り江》に行って、倒れていたミズキさんを見つけたんです」

 《思い出の入り江》とは、ブラック・ドッグ・タウンの外れにある入り江のことです。そこには海辺で暮らすおばけたちが住んでいます。

「ミズキさんは元人間の人魚で、なんで自分がブラック・ドッグ・タウンにいるのかわからなかったようなんです。とりあえず、ぼくがこちらまで背負ってきて、住民登録をしました。それで、《思い出の入り江》にある洞窟に住むことになったんですが……」

 そこでドンちゃんは、ふう、とため息をついて頭を抱えるようにしました。

「ミズキさん、それ以来一回も洞窟から出てこないんです」

「えっ」

 ロシーさんとメアリーが目を丸くします。ワラシが手を大きく振りました。

「ワラシ知ってるよ! それって、『引きこもり』ってやつだよね!」

 ワラシのことばに、ドンちゃんが力なくうなずきました。そんなドンちゃんにメアリーが首をひねります。

「でも、どうしてですの? ブラック・ドッグ・タウンに来たおばけは、みんなすぐにこの町になじみますのに……」

「それがよくわからないんですよ。周りの人魚や半魚人たちともうまくいってないみたいで、どんどん居場所がなくなってしまったようで……。ぼくもたまに様子を見に行くんですけど、全然顔を見せちゃくれません」

「ふうむ、そういうおばけの方はたまにいますけど、引きこもってしまったのは気になりますねえ。食事なんかはどうしてるんでしょう?」

 ロシーさんが眉を寄せながらたずねました。

「ほかの人魚の方が言うには、洞窟の中は浅瀬のようになっていて、貝や魚がいるんだそうです。人魚はそれだけあればじゅうぶん生きていけますから」

ドンちゃんの返事に、ロシーさんはもう一度、「ふうむ」とうなりました。ずっと引きこもっていられる環境であるうえ、本人に出る意思がないとなると、どうやって様子を見たらいいのでしょう? 部屋に入ってきたときの元気はどこへやら、ドンちゃんが悲しそうにつぶやきました。

「ミズキさんは、岩やワカメなんかで洞窟の入り口をふさいでましてね……。お手上げですよ、これじゃ、お手伝いもできやしない」

「あ、あ、あの」

 その時、それまでじっと黙って話を聞いていたキヌタが声をあげました。みんなが一斉にキヌタを見つめます。キヌタは少しどぎまぎしながら言いました。

「ド、ドンちゃんさんは、なんで、そのミ、ミ、ミズキさんって人魚のお手伝いをしたいの?」

 今度はみんな、バッとドンちゃんを見ました。ドンちゃんは、あー、とか、うーん、とかうなった後、こう言いました。

「それが、ぼくにもよくわからないんですよ。なんかミズキさんのことが気になって、気になって……。彼女が今、ひとりぼっちだと思うと、こう、胸のあたりがざわざわして……それで……」

「それって、もしかして、恋?」

 きゃあっ! と、声をあげて、メアリーが空中でぐるぐる転げまわりました。心なしか、透けたほほが赤く染まっているようです。ワラシもキヌタも、そわそわしながらドンちゃんを見つめています。当のドンちゃんはあわてて手をぶんぶん振りました。

「そ、そういうわけじゃ……!」

「いいんですのよ、隠さなくて。ああ、わたくし、ラブロマンスが大好きですの! ああ、運命の出会いを果たしたふたり……。心をとざした恋人のためにがんばるなんて、すてきなロマンスですわ!」

 うっとりと目を細めるメアリーに、たじたじになりながらドンちゃんが言いました。

「と、とにかく! ロシー町長、一度ミズキさんに会ってもらえませんか?」

「もちろんです。今から《思い出の入り江》に行きましょう」

 ぽん、と膝を叩いてロシーさんが立ち上がりました。

「そうしてもらえると助かります!」

 ドンちゃんが笑顔を浮かべて言いました……と、言っても、包帯でぐるぐる巻きの顔なのですが。しかし……。

「だめですわよ、ロシー様!」

 メアリーのするどい声がしました。やれやれ、また仕事が残っているとどやされるのか……とロシーさんがしぶい顔でメアリーを見ました。すると、メアリーはぷう、とほほをふくらませていましたが、その目はわくわくと輝いていました。

「ひとりだけついていくなんてずるいですわ! わたくしもドンちゃんの想い人にお会いしたいですもの! わたくしも一緒に参ります!」

「ワラシも行く!」

「ぼ、ぼ、ぼくも!」

「ええっ!」

 今度はドンちゃんが声をあげる番でした。ドンちゃんとしては、ロシーさんにだけついてきてもらえたらよかったのですから。

「えっと、そうすると、ぼくと、ロシー町長と、メアリーさんと、ワラシさんと、えっとー……」

「キヌタ!」

 キヌタがはっきりと自分の名前を言うと、ドンちゃんが「ああ、キヌタくん……」とつぶやいて肩を落としました。

 困っているドンちゃんを後目に、やじうまたちはわくわくと出かける準備を始めていました。

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