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初めて講演した雑感

昨日、今日と娘が通っていた小学校の近辺に行った。
昨日は人と会うために小学校の中に入った。

葛飾教育の日と言うものがある。
要は土曜日参観だ。
月1回、土曜日に一日通しの授業公開がある。
1年、2年、3年、4年くらいまでは、ほぼ毎回参観していた。
3年生くらいになると、参観する保護者のメンツが大体固定されてくる。
あのデカい父親は今日も来てんだな、くらいに思われていたかもしれない。
適当に参観して、地元の図書館に寄って、一人で街の鮨屋にランチに行き昼から飲む。そんな事をルーティンにしていた時期があった。

事件以来初めて入った小学校は、空気感も佇まいも何も変わっていなかった。
あれからもうすぐ3年、当時を知る教員がどの程度まだ勤務しているのかは知らない。
校長と副校長は変わっていた。

今日は仕事の用事があり、また小学校の近くに一人自転車に乗って行った。
小学校方面に行くためには、必ず事件現場の交差点を通らねばならない。
今日も、控え目に花が居た。
花の真横で子連れの女性が自転車の補助いすに座った女の子に飲み物を与えていた。

私は、交差点に居る花を見て、母に連れられている女の子が飲み物を口にする後ろ姿を見て、ここでうちの子は死んだんだよ。そう心で呟いた。

娘はおっちょこちょいで、ボケている所も多かったが、後ろに目がついている子だった。
参観日、私がのっそり教室に入ると、振り向かなくても、ああパパ来たなという背中に変わった。
そして、タイミングを見て私を目視する。
何事も無かったかの様に、黒板に向き直る。
成長すればするほどその仕草は洗練されていった。(様に思う)

何処かに書いたかもしれないが、娘ならどう思うか、どう笑うか、そしてどう悲しむか。
その事をいつも考える。
その事を考える事でしか、娘に出会えなくなった。

闘っている闘っていると、盛んに言うが、何と闘っているのか。
「無知、無関心」だろうと思う。

知見の拡充、拡散と言えば聞こえは良いが、結局は無知、無関心との闘いである。

然るべき人が然るべき知見と覚悟と責任を持っていて当然だと、疑いも無く信じている人が殆どであろう。
私も自分を棚に上げてその様に思っていた。
多くの人は、「実は世の中はそうはなっていない」と言う事を知らなくても良いまま、日常を重ねて行くのであろう。

知らなくても良い事を知らないままに日常を重ねて行く。
これは皮肉ではなく、本当に幸せな事であろう。

体験して初めて知る理不尽がある。

私は2023年2月13日、神田運転免許更新センターで警視庁管轄の交通捜査官、約220人を前に自身の体験を、きっちり1時間話した。
初めての講演だが殆ど全くと言って良いほど、緊張はしなかった。
しかし、冒頭の2~3分で、自分でも想定外のこみ上げるものがあり、声に詰まった。
顔面の中心に全神経を集中し堪えた。
こみ上げるものが何だったのか、自分でも良く分からない。
警察官の前で、「娘の魂」などと言わねばならない、悔しさと虚しさがあった。同時にやっとここまで来たと言う思いもあった。

1時間の私の話を、現場の交通捜査官達はどの様に聞いたのか?
先輩遺族からアンケートを取る様にアドバイスを受けていたが、今回の講演はアンケートはNGだと言われた。

事件でお世話になった何人かの方に間接的に感想を聞いた。

まず、220人もの交通捜査員が一か所に集まり話を聞くと言う事自体が異例の事だったそうだ。
被害当事者の話を聞き、その後に城先生の実務講義を聞く。
そうした体験は今までに無かった事なので、刺激を受けたと言う声があった。
一方で、もう少し被害者しか知りえない苦悩や悲惨さを訴えた方が良かったと言う意見も頂いた。

私は、事件を境に、日常を失い、安定した給与を失い、娘を失った。
何もかもが、何もかもが変わってしまった。

次の講演があるのかは、今は分からない。
多少のカスタマイズは必要だと思うが、やはり、苦悩や悲惨さを前面に出す気はない。
苦悩や悲惨さを生々しく語る事が聞く人の心に一番訴えかけるだろうとは思う。
そうした話が、無知、無関心の人に新たな気づきや志を生むには一番効果的かもしれない。

しかし、今はまだ、私はその事を話の中心には置きたくない。
私は、警察官、検察官、役人、政治家、学者、学生、そうした人の前で自身の体験を語りたいと思っている。
それが実現するかは分からないが、いわゆる人の心に訴えるウェットな話をしたくはない。

然るべき人が然るべき知見と覚悟と責任を持ち、人知れず仕事をしている事に敢えてアクセスしたいと思っている。

そう言う遺族がいても良いのではないかと。

娘なら、この私の思いと言うか頑固さをどの様に思うだろうか。
良くも悪くも相変わらずだね、と言う気がする。

2023年3月18日毎日新聞夕刊

今日、刑務所にいる加害者から手紙が届いた。
3通目の手紙である。

最初の手紙は全く見当違い甚だしい内容だった。
私は全て赤い字でもっと考えろと、裁判で読み上げた意見陳述を同封して、返事を出した。
そして、今日、3通目が届いた。

刑務所の中で、映画「0(ゼロ)からの風」が上映されたと言う。
それを観て、己の罪の深さを呪ったそうである。

生命のメッセージ展に関するビデオも見たと言う。

やはり、己の罪の取り返しのつかなさを知ったと言う。
私はこの映画を観た事が無いし、生命のメッセージ展も見た事がない。
今のところ、見に行く予定もない。
しかし、先人達が魂を削って作り上げたモノが、娘を殺した加害者が事件から約3年近くを経て、ようやく己の罪について客観的に認知するきっかけとなったのは間違いない事実だと、今日、手紙を読んで知った。

我々は事件を境に、何もかもが変わってしまった。
何もかもが。
その事の全てを語る事は出来ない。

ダイバーシティ(多様性)とか、インクルージョン(包摂性)とか、複眼的とか、そうしたお題目でお茶を濁す事が、ある種の潤滑油になる事を知っている。

しかし、実際に現場で仕事にあたる時、こうしたお題目がクソの役にも立たない事も知っている。

私は体験者として私が語らねばならないと思う事を、語らねばならない相手に、コールし続けたい。

良くも悪くも相変わらずでいる事が、娘と共に生きて行く事だと思う。




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