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各位に送った手紙


拝啓


東京都葛飾区の波多野暁生と申します。

令和2年3月14日に娘の耀子と一緒に葛飾区四つ木5丁目の横断歩道を青信号に従って渡っていたところ、左方から赤信号を無視して突っ込んできた軽ワゴン車に衝突され、娘の耀子は死亡し、私は重症を負いました。

娘の耀子は11歳と3ヵ月で人生を奪われました。


私は搬送先のICUで娘の死を知らされました。

青信号で横断し、あと少しで渡り切ると言うところで私の記憶は飛んでいます。

気が付いた時には救急車に乗せられていました。

なぜ自分がICUにいるのか、なぜ娘が死んだなどと言う、意味不明な事が起きているのか、私には全く状況が理解できませんでした。


事件から数日後、私の回復を待って、葛飾警察の捜査員の方が、私の調書を録取しに病院に来ました。

捜査員の方と話を進めるうちに、本件が過失犯として扱われる可能性がある事を知りました。

私は、横断歩道の対面信号が青になってから数秒経過して横断を開始し、横断歩道の中ほどまで渡り切っていた記憶は間違いない、つまり、加害車両の対面信号は赤になって相当程度時間が経過しており、明らかな赤信号無視である。これを、うっかりの過失犯とする事には到底納得が出来ないと申し上げました。

捜査員の方は、「うっかり」と走り書きのメモを取っておられました。


その夜から病室で赤信号無視の取締りについて、スマートフォンで調べ始めました。

そして、信号無視については、危険運転致死傷罪と過失運転致死傷罪のいずれかの適用がある事を知りました。危険運転致死傷罪については、条文を読みました。

法2条七号に該当条文はありました。

「赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」

重大な交通の危険を生じさせる速度とはいかばかりか?と考え、夜に病室から葛飾警察の捜査員の方に電話をしました。

そうすると、本件では速度に関する部分については、要件を満たすと思われると言う話でした。と言う事は、「殊更に無視」と言うのが、引っかかっているのですね?と聞くと、その通りであるとの回答がありました。


ここから私の「殊更」と言う言葉との闘いが始まりました。


さらに数日後、検察から捜査副検事が病院にやってきました。そこで、事件の状況をより詳細に聞く事が出来ました。

加害車両のドライブレコーダーによると停止線手前39.6m地点で対面信号は赤だった、時速は約57㎞、実況見分で停止線手前27.8m地点で赤信号を確認したと供述を得ている、等の説明がありました。

これは殊更無視ではないかと私が問うと、副検事はまだ確定的な事は申し上げられませんと言いました。

本人が赤信号を見たと自供しているのに何故だと食い下がると、副検事は自供だけでは不十分なのですと答えました。


私は、到底納得がいかず、その後も赤信号無視の類型に関する裁判例の要約や、学者の判例解説をインターネットで調べ続けました。

そして、その中で平成26年3月26日の東京高裁の判決が、私どもの事案と似ている事に気が付きました。

その事を捜査副検事に伝え、どこがこの事例と異なるのか、法的要件を満たさない理由を教えて欲しいとお願いしましたが、捜査副検事は、申し訳ない、お父さんのお気持ちはよくわかります、の一点張りでした。

今にして思えば、捜査副検事は法的な要件の解釈について、経験も知識も無かったのだろうと確信しています。


私は、当初依頼していた当方弁護士が刑事裁判に向けて何の支援もしてくれない事に不満を抱いたので、その弁護士を解任しました。

そして、新たに、高橋正人弁護士と上谷さくら弁護士に、被害者支援弁護士を依頼しました。

この2名の弁護士が東京地検宛てに上申書と意見書を合計で3本書いてくれました。

その後、捜査副検事は人事異動になり、新たに正検事が担当となりました。

後で聞いたところによると、当方から上申書や意見書を出さなければ、当該副検事は人事異動の前に過失運転致死傷罪で起訴してしまうつもりだったようです。

新たに正検事が担当となった事で、当方支援弁護士と検察との間で法律的な議論がようやく嚙み合いだし、どの様な補充捜査を行えば危険運転致死傷罪で起訴できるかの検討が始まりました。

そうして、ギリギリの議論を経て、令和3年3月に危険運転致死傷罪での起訴がされました。

令和4年3月に東京地裁で行われた裁判員裁判では、検察の主張が全面的に認められ、危険運転致死傷罪による懲役6年6ヵ月の判決となりました。

判決後に赤信号無視の事案で、この判決を得る事が非常に稀である事を高橋正人弁護士から聞きました。


私は、この「非常に稀である」状況を変えたいと思っています。


裁判が終わり、今年の6月頃から、私から法学者の先生方に接触を試みる様になりました。

本件の判決文、裁判資料等をメールで何人かの先生に送りました。

その中のお一人が昭和大学の城祐一郎教授です。

私は城教授が「ケーススタディー危険運転致死傷罪」(東京法令出版)の著者である事を勿論知っておりましたし、是非、城教授に私どもの事件について、判例解説を書いて頂きたいと考えていました。

なぜその様なアプローチをとったかと言うと、今回の様な「稀」とされている事案について、何が揃えば危険運転致死傷罪で勝てるのかと言う事を、現場の実務家の方に広く知って頂きたいと考えたからです。


残念ながら、今後も赤信号無視の死亡事故は必ずどこかで起きます。


その時に、私どもの事案、判決から得た材料を必ず実務の現場で生かして頂きたい、危険運転致死傷罪で処罰できるものは、絶対に危険運転致死傷罪で取り締まって頂きたい。

その様に考えるからです。その為には、然るべき方による判決の分析と拡散が欠かせないと考えました。

城教授は私の思いをたちまち理解して下さり、娘の魂を絶対に無駄にはしないとまで仰ってくださいました。

そうして、「月刊交通9月号」(東京法令出版)に私どもの事案について、原稿を寄せて下さったのです。

この原稿の中には、今回の我々の事件について、東京地裁が葛飾警察が作成した実況見分調書の信用性を肯定した点が、危険運転致死傷罪成立の肝だという趣旨の記載があります。

これはつまり、赤信号無視で危険運転を勝ち取るのが「非常に稀」である事が常態化している中にあって、葛飾警察が、裁判所に肯定される実況見分調書の作成と捜査を成し遂げたと言う事に他なりません。

この事は、今後の赤信号無視犯を取り締まる上での成功事例として、非常に重要な事だと考えております。

現場の交通捜査官が、どの様な証拠を集めれば、どの様な調書を作成すれば、危険運転で勝てるのかどうかを、知っていて捜査をするのと、知らずに捜査をするのでは、当然ながら捜査の持つ意味合いは雲泥の差があります。

そうであれば、全国レベルで今回の葛飾警察の成功事例を共有して頂き、今後の取締りにおけるケーススタディーとして、絶対に活用して頂きたいと考えております。


裁判所が危険運転致死傷罪の成立を認めようが認めまいが、亡くなった命は戻ってきません。しかし、社会通念上明らかに悪質な運転で命を奪われときに、これを過失犯にしか出来なかった場合、その事に遺族はその後の人生で一生苦しめられるのです。


私は、自身の肌感覚から、まず検察内部に危険運転致死傷罪で起訴するための理論、事例解釈の積み重ねが決定的に不足していると推測しています。

検察は役所ですから、前例からはみ出る様な事はしたくないのは良くわかります。

ですから、前例からはみ出さない様に穏当な処分(過失犯としての起訴)をしていく人が出世し、決裁者になる、そうした硬直的な組織が綿々と受け継がれているのではと思っています。

その結果、当初の捜査副検事の様な、法解釈が良く分からないまま、取り敢えず低姿勢で遺族を煙に巻く事をしている、およそ検事と名の付く仕事をしてはいけない様な人も前線で働く事になっていると考えております。

この事に関して、あらゆる犯罪に法と証拠で対応していかなくてはならない検察組織として、安全運転に徹する傾向を取らざるを得ないという事情も分からないではありません。


しかし、危険運転については、現実の結果と検察の法運用が看過できない程に乖離しています。

結果、現場の交通捜査官が熱意を持って捜査を尽くしても、危険運転致死傷罪で送検しても、検察が穏当に過失に格落ちさせて起訴してしまうと言う事が繰り返されているのではないでしょうか。

これでは、現場の交通捜査官も頑張り損になってしまい、熱意を挫かれてさえしまうと思います。


私どもの事件から2カ月後の令和2年5月に、私と妻は遺族調書録取されるために、葛飾警察に赴きました。

遺族調書の録取終了後にある若い捜査員の方が我々の対応をしました。その方は、通報があって最初に現場に駆け付け、犯人を現行犯逮捕した方だったそうです。

彼は、どうしても私たちに会いたかったのだろうと思いました。

彼は娘は私と加害車両のサンドイッチになって、私をブロックするような形で轢過されたと泣きながら話してくれました。

一緒に轢かれた私の心情を思えば、警察官としては適切な説明ではなかったかもしれません。実際に私は彼の言葉に大きなショックを受けました。

しかし、彼も一人の人間であり、幼い女の子のお父さんでした。それが故に、この事件の悔しさと理不尽さに耐えられなかったのだろうと思います。

彼は、こうも言いました。この様な事件を過失でしか送致できないのは悔しい、この現実を変えられるのは当事者である遺族しかいないと。

署内組織の決定や、検察と警察の関係、こうしたどうしようも無い事に、彼は苛立ち、ある意味傷ついているのだと、私はその時に感じました。

この様に、社会通念上明らかに悪質としか言い様がない事件について、何とかしたいと、人としての良心を持って仕事にあたっている警察官、検察官の方が現場に確かにいる事を、私は知っています。

だからこそ、私は、そうした人達の羅針盤になる様な好事例を現場の交通捜査官の方達に幅広く共有して頂きたいのです。

現場の真っ当な警察官が判断に悩んだ時に、過去にバッチリこの事例がありますと言う事ができれば、裁判で勝てる調書の作成、裁判で勝てる証拠の収集が自信をもって行えるはずです。

悪質事案にはそれに相当する取締りを行う、これが社会秩序の維持と犯罪抑止の基本だと思います。

その為には、現場レベルでのノウハウの共有と研究は欠かせないのではないでしょうか。


今後、不幸にも類似する事例が発生したときに、そのノウハウを積極的に活用して頂きたいのです。


これは、娘の耀子の魂と、私と妻の執念です。


現場の警察官も人間で、職務を離れれば、一お父さん、お母さんである方が多いと思います。

皆さん、絶対に良い仕事がしたいはずです。


そのために、私達の執念を是非活用して頂きたいのです。

それが、私達遺族の願いです。


何卒、実務的且つ具体的なご検討をよろしくお願い申し上げます。

良いご返事をお待ちしております。


敬具

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