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CRYAMY全曲考察・序

・はじめに

このブログはCRYAMYの全楽曲の考察、ライブの備忘録、自己満足的なCRYAMYに関するコラムなんかを書いていきたいと思って立ち上げました。
CD一枚ごとに全曲の考察をしていく予定なので、これからふえていく各ページを読んでいただければ嬉しく思います。ライブも、これから足を運んだ公演をこまめに残していって、余裕があれば、過去に書いていたブログから過去のツアーやワンマンライブの様子、与太話なども転載していけたら、と思っています。

全曲考察、と言っても、歌詞の内容や個人的な解釈やエモーショナルな自分語りに終始することなく(それらを否定するわけではないですし、僕の文章にもそういった部分が多く登場します)、楽曲的なこともできるだけ具体的に言語化し、できるだけ一曲一曲濃度の濃い文章を書いていきたいと思っています。CRYAMYのファンの皆さんは一人一人が違う思い入れを抱えて、違う感情をぶつけるように彼らの音楽を聴いている(僕もそうです。)のだと思っていますので、僕なりの解釈として受け取っていただけると嬉しく思います。
また、それにあたってこのページでは、導入としての文章として書いていきますが、このブログを書いていく上での僕のスタンスも示していければ、と思っています。

・このブログを立ち上げた理由

僕自身のCRYAMYとの今までは2018年ごろまでさかのぼって、最初期に会場で無料配布されていたらしい「#1」以外の音源は持っていますし、「CRYBABY」以降の音源はすべてリアルタイムで入手していて、自主企画やツアーファイナル、ワンマンは欠かさずに参加をしているのですが、そのころから僕が趣味でネットでひっそりと書いている音楽系のブログに彼らへの思いを書き記していました。
このブログはCRYAMYについて単独で書き記し、なおかつかつて書いていたブログの記事のアップグレード版のようなものにしよう、ともくろんでいます。文字数が膨大になる記事もあるかと思いますし、今はやりの砕けた文章が得意ではないので、読みづらい箇所がいくらかあるかもしれませんが、ぜひとも追いかけてほしいと思っています。

後述しますが、僕は数年前某音楽雑誌でライターとして就職していました。今となっては青臭いのですが、「僕の好きなバンドを広めたい!」と本気で思って、結局挫折してしまうのですが、その当時の熱意を今、わずかでも彼らの音楽と、それを愛する方々、そしてまだ彼らの音楽は届いていないけれどそれを必要としている方のために、また奮い立たせているつもりです。
そして、おせっかいかもしれませんが、もうひとつ。CRYAMYは2020年から自主レーベルで活動しています。
裏話にはなりますが、当時僕が働いていた会社でインタビューやディスクレビューでバンドやアーティストを担当する際のことなのですが、世のバンドで「完全自主」を謳っているバンドは数あれど、意外とバックにはメジャーレーベルや制作会社、芸能事務所がかかわっているパターンが多かったですし、今でもそうだと聞いています。
ユーチューバーや個人インフルエンサーの台頭する現代では、音楽業界において一種、「完全自主」「プライベートレーベル」というスタンスがブランド化している証拠で、そうは謳っておきながらその実は多額のプロモーション費用を用いることのできる大人がバックにいる…というのが、残念ながら実際です。
しかし、彼らは同時期にデビューしたバンドや大手レーベルに所属しているバンドと比べて圧倒的にメディアへの露出や大規模イベントへの出演が少ないように思いますし、活動もリリースしてツアーをしてまたリリースをして…と非常に泥臭いもので、おそらく数少ない完全自主で独立したバンドだと推測できます。(ここら辺は想像なので実際はわかりませんが…)
雑誌はおろかウェブのインタビューも数えるほどしかなく(事実僕の勤めていた会社では彼らを取り上げようという動きすらありませんでしたし、知っている社員も一人もいませんでした)、ラジオやテレビにもほとんど出ませんし、インターネット全盛の今、サブスクリプションサービスもかたくなに拒みリリースはフィジカルのみ、メンバーのSNSも活発ではなく、やっていることといえばボーカルのカワノさんのとりとめのない日記がインスタグラムで読める程度…と、広く世間に届けよう、という派手なプロモーションに積極的ではないのがわかります。
音楽産業の末端で働いていた人間としては、その様子を見るのがものすごく現状がはがゆいですし、本来そういったものを取り上げるべきだ、とすら思っているので、そういう意味でも、彼らの助けになればと思って筆を進めています。
事実、ツイッターやインスタグラムでは彼らのことを熱狂的に応援しているファンの皆さんの熱い文章が読めますし、それが彼らの活動する上での人気を支える一番の要因だと僕は思っていますので、その一員としてこのブログもささやかに続けていければ、と思っています。

・音楽家カワノについて

こちらはいずれ個別の記事として改めて独立したものを書きたいと思っているのですが、このバンドのフロントマンであり、全曲の作詞作曲を務めるボーカルのカワノさんについて深く考えていくことが楽曲を読み解くうえで欠かすことができません。
前述のとおりメディアへの露出が少ないバンドですが、カワノさんはまめに日記を書き残していますし、その中で影響を受けた音楽に限らず、映画、小説などにも言及していますし、ライブでの発言やインタビュー記事での発言、インスタライブなどでの雑談などからもうかがい知れることがありますので、ここから断片的に、一部想像を交えながらも、それを探っていくことが可能だと思っています。
ここではざっくりと、簡単にまとめたものを書き記しておきます。
そして、これは文句なんですけど、媒体に掲載されているカワノさんのインタビューなんですが、あんまりいいインタビューがない印象です…。カワノさんの内面に深く切り込んだインタビューがなくて、結構表層的なことに終始してばかりじゃないかなぁと感じてしまいます…。
むしろライブで語ることや日記でぽつぽつと話している内容のほうが深いところまで切り込んでいるような気がしますし、その発言に至った彼の心情がこちらとしては知りたいんですけど…、と思うことが多いです。

・CRYAMYに影響を与えた音楽など

CRYAMYの音楽は非常にシンプルなロックサウンドに終始しています。コード感もリズムパターンもフレーズも王道なもので徹底していますし、どちらかといえばそういったものよりもメロディの個性や楽曲の世界観、人間の強度がこのバンドの強みだと勝手に納得しています。
しかし、そうはいってもカワノさんはほかのミュージシャンと比べて比較的自分が受けてきた音楽的な影響を素直に語る人ですし、(以前、「何々と似ている、と言われるのはラッキーだしうれしい」みたいな発言もされていました)知識量もおそらく膨大なものがあると推察できます。
マニアックなゲームBGMのサントラをお気に入りに挙げていたこともあったり、有名無名問わずにマイナーなインディーロックバンドの名前を挙げていたりもしていましたし(SACOYANやPaioniaなんかはカワノさんのおかげで知りました)、吉田拓郎や高田渡、キャロルなど世代から考えて随分古い曲や、YOASOBIやSAM FENDERなど法学と洋楽を問わず最近の音楽も好んでいることを書き記していますから、それらから複合的に影響を受けて彼らの音楽が完成していることが推測できます。
ですので、ここでは個人的に強く影響が出ているのではないか、というものを簡単に上げていこうと思っています。

・Syrup16g

Syrup16g

ART-SCHOOL、ピーズ、銀杏BOYZ、ハヌマーンなど、いわゆるスタンダードなギターロックにくくられるであろう(そしてちょっと暗い世界観の歌詞世界が特徴)の影響を指摘されるCRYAMYですし、事実、実際上に挙げたバンドをお気に入りだと語ることも多いカワノさんですが、一番影響を受けているのはSyrup16gだと思われます。
シロップのサウンドはよく80年代ニューウェイブと90年代オルタナティブロックのあいの子、とたとえられることが多いですが、CRYAMYも同様に、この「ニューウェイブ」な部分を絶妙なバランスで取り入れているように感じられます。
今でこそサビでシンプルなビートでひずんだギターをかき鳴らすオルタナティブロックが若手バンドの流行のひとつとなっていますし、CRYAMYもその範疇に組み込まれることが多いですが、個人的にCRYAMYはサビ以外の空気づくりが独特な曲が多いバンドだと感じます。
彼らの楽曲はAdd9thをこれでもかと多用する以外、基本的にコード進行は単純な響きが多いのですが(この点はシロップとは対照的で、むしろARTSCHOOL的な構造といえます)、絶妙な楽器隊のフレーズがミニマルな展開の中で流れを作っていく楽曲が多いです。この辺は全曲考察の際に触れていければ、と思っています。(むしろ、サビはやけくそ気味に絶叫するのに、ヴァースはとてもポップ、なんて楽曲も数多く存在しています)
これは方法論こそ違いますが、シロップの五十嵐さんが得意とするのと同様、淡々とした展開から徐々に(サビで一気に、ではなく、徐々に、というのがポイント)爆発する手法と同じ効果を発揮していますし、その効果はどちらも「グランジ」ロック的です。
楽曲単体で比べた際は音像や空気感などで上記のバンドたちから漠然と影響は感じられるかと思いますが、最も類似し、近しいのはシロップの楽曲かと個人的には思います。

・CLOUD NOTHINGS

ATTACK ON MEMORY

カワノさんはどちらかといえば海外のロックバンドに言及することも多い方ですが、2010年代に一種のブームとなっていたインディーロックリバイバルの一角を張っていたバンド、クラウドナッシングスからの影響は大きいのではないかと思われます。
アジカンの後藤正文さんがデビュー時にブログで紹介していたり、来日公演ではLOSTAGEやART-SCHOOLといったオルタナの代表格といってもいいバンドたちがフロントアクトを務めたりしています。(僕は渋谷のライブハウスで実際にライブを見に行きました)
カワノさんも日記で時折名前を出していますし、先日は「最も好きなロックアルバム」として紹介していました。
CRYAMYは本人も語る通り、音源もライブもかなり異質な音のつくりをしているバンドだと思うのですが、そのサウンドメイキングはクラウドナッシングスから多くのリファレンスを得ているものと推測できます。
このクラウドナッシングスのセカンドアルバムは、巨匠スティーブアルビニによって録音されたものなんですが、分厚い音圧と整頓されて聴きやすい楽器、という王道なつくりのアルバムとは真逆の、非常に雑然とした、ハードコアライクでパンキッシュな音像で構成されています。
同様にCRYAMYのサウンドって、最近のバンドにしては良くも悪くも整ってないんですよね。録音環境やスキルの面での影響もあるとは思うのですが、楽器や歌声の質感がデッドかつ少しナローで、楽曲には空間の隙間が多くて楽器の多重録音も最低限ですし、なっている楽器の帯域が狭くて団子になっているし、本当にその場で鳴らした音が一切加工されずに飛んでくる印象といいますか…。
決して万人受けすることがない音作りなんですけど、両者に共通するのがそれゆえに生まれる緊張感と生々しさのあるサウンドで、それが大きな特徴になっていると思います。
先日公開された「WASTAR」を聴いて思ったのですが、音作りに関しては最新作の「#4」がもっともこのアルバムの音像に接近した印象です。輪郭がクリアになりつつも全体的にミドルの帯域に集中した硬質のギターの音や、ドラムのべったりとした響きなど、少しずつ前作からの方向転換が見て取れました。楽しみ…。
あと、余談ですが、両バンドともにボーカルのやけくそ気味な歌唱方法と対照的に非常に人懐っこいメロディなんですけど、そこがリスナーの聴きやすさをギリギリで担保している印象です。歌い方も少し似ているような…。

・宮本浩次

宮本浩次(エレファントカシマシ)

これは特に何か言及があったとかではなく、僕の勝手な印象の話なのですが、はじめて彼らのライブを見た時から、エレカシの宮本さんのような、ライブでの、っていうより、バラエティ番組でトークする宮本さんのような、空気を感じました。
みなさんご存じの通り、カワノさんのライブでの振る舞いや発言は突飛で相当変わっています。たいてい見に行ったライブでは対バンを見に来ているお客さんがざわついたり、変なものを見たような顔で苦笑いしている光景は見慣れたものですし、CRYAMYを見に行ったお客さんたちは(はらはらしつつも)それを楽しみに来ている方も多いと推測できます。
一番の特徴はカワノさんのとりとめもなく話し始めるまとまりを欠いた、しかし時にグサッと刺さる曲前の説教じみたMC(失礼)です。サンボマスターの山口さんや銀杏ボーイズの峯田さん、スタイリッシュなものだとイースタンユースの吉野さん、最近若者に人気なバンドですと、マイヘアの椎木さんやSUPER BEABERの渋谷さんのように、同様のスタイル(今あげた方のほうが話のまとまりもよくライブの演出として高度ですが…)の方はたくさんいらっしゃいますし、類似性を指摘する人もいますが、僕は昔、「HEY HEY HEY」でスタジオを変な空気にしていた宮本さんの姿を真っ先に思い出しました。
宮本さんって明らかに変人ですし、ぶっ飛んだ人なんですけど、それに比べてカワノさんって破天荒なパブリックイメージと反して、実際にライブで見ると割と理性的に見えますし、丁寧にしゃべる方なんですね。日記とかもそうですし。なんですけど、たぶん頭の中にある考えがまとまるよりも先に話し出してしまって、結果、話が散らかるという…。プロセスは違えど、同じ結果を出してしまっている印象です。
書いてて思ったけど、カワノさん、一回でいいから試しにバラエティ番組とか出てほしいな…。ライブであれだけの人数のいる空間を(良くも悪くも)変えてしまえる力はあるし、僕みたいなちょっとこじらせてるお客さんはそれすらも「味」として楽しく見守ってるから、存分にそのパワーを発揮してほしい…。でもカワノさん、あんまり表に出るの好きじゃなさそうだし、前ライブで「俺がユーチューバーとかトークショーとかやりはじめたり、小説書き始めたりしたらダサいから殺してくれ」みたいなこと言ってたし(おそらく「建国物語」のデイジーバー公演で)、なさそうだな…。もし出ることになったらそれはそれで真面目にちゃんとふるまいそうだし…。
エレカシも今でこそ国民的なバンドのような扱いですが、デビュー当時はメンバーのキャラもとがっていて、楽曲もおおよそ万人受けとは程遠いものばかりだったので売れるまで相当な期間を要したようで、その辺も今のCRYAMYとタブって見えます。CRYAMYも歌ものとして純粋にポップな曲って一個もないですし…。エレカシもCRYAMYも女子高生とかチャラい大学生とか、聴かなそうだしなぁ…。ライブも、若い方もいるにはいますけど、同時期にデビューして活躍しているバンドと比べると比較的年齢層が高めな気がしますし…。あとどっちも怒鳴る系の歌い手ですね。アドリブもライブできかせまくるし。


カワノさんの歌詞について

歌詞においては言葉にすると難しいのですが…。端的に言えば「歌詞がナチュラル」なところが一番の特徴ではないかと思います。先ほど挙げたARTSCHOOLのように幻想的で現実ではありえない風景や少女を想起させる空間で慰めを求めるでもなく、シロップやピーズのようにドライな視点で悲しい現実を見つめたうえでユーモアたっぷりに自分をフラットな地平に立たせるでもなく、ハヌマーンのように文学的で難解な表現で独自の世界観を構築するでもなく、銀杏ボーイズのように過剰にロマンチックだったり自分を否定するものに対して徹底的に攻撃的になるわけでもなく…。強がったり補足したり、そういった姿がわかりやすく存在しないんですね。
彼の歌詞は(暗い、とよく揶揄されますが)基本的には出来事を淡々と述べて、その時の感情を、それが激しかろうが、穏やかであろうが、一般的な作詞のように飾り立てたり、詩的な表現で作品的に仕立てたりすることなく言葉として並べたものが多い気がします。
「世界」や「完璧な国」のように強い主張や意志がぶつけられる曲もありますが、それも政治家の演説のように人の心を扇動したり、同調させようとする魂胆があったりするものではなく、あくまでただ吐き出しました、という、よく言えば「自然」なものとしてすんなりと耳に入ってきます。
たとえるなら、雑談や手紙のようなものに近いニュアンスといえるでしょう。
カワノさん自身、過去の「音楽と人」のインタビューで「表現的な技法を用いるのは好まない」といったニュアンスのことをおっしゃってたりしますし、たぶん書かれた歌詞は意図的にそういったものを排除して、よく練られて書かれたものだと思われます。そうは見えないけど、いろんなものを意図的に排除して平易な文章に落とし込んだ、意外と相当考えられた、理屈っぽい書き方をしているんじゃないでしょうか。なんとなくライブで一生懸命に伝えてくれる言葉も、衝動的に言っているようで実際は悩んだ末に導き出した事柄なんだろう、とも勝手に思っています。
また、上述したものとは違って、「テリトリアル」や「SONIC POP」のように、一見難解で意味不明な歌詞のものもありますが、こちらはインスタライブで、「あまりにも残酷な事柄は直接的な表現を避ける」といったようなこともおっしゃっていましたので、曲によってはそれぞれ違う書き方をしているものと思われます。この辺の曲の解釈はいずれ想像も交えて描いていけたら、と思っています。
でも「鼻で笑うぜ」とか「やってらんねー」とか、相当にキツイこと直接的に歌ってるような気もするのですが…。気分屋なのかな…。
ここで書いた以外にも、「普通」などで見られる独特の歌詞の切り方や、ライブなどで披露されるアドリブの歌唱など、ほかにもいろいろと書きたいことがあるので、歌詞についてはいずれ単独のページで、実際に楽曲の歌詞を引用したりしながら深く書いていければいいな、と思っています。

影の立役者、ギターフジタレイ

バンドを語るうえでカワノさんの話が大部分を占めることになるのは仕方がないのですが、楽曲でもライブでも、音楽的にもルックス的にも大きな存在感を放っているギターのフジタさんも忘れてはいけませんね。個人的にはナンバーガールの田淵ひさ子さん、レディオヘッドのジョニーグリーンウッドぐらいボーカルと張り合う存在だと思っています。
音源でもライブでも、速弾きやグルーブを作るタイトなフレーズ、変態的な変則ギタープレイなどは見られないですし、決してバカテク系のギタリストではないです。サウンドのつくりも整頓されてはいないし、決して聞きやすいサウンドではないでしょう。しかし、CRYAMYは先ほども述べたように歌と人間のバンドなので、フジタさんのギターは楽曲を先導するというよりも、寄り添って楽曲の強度を底上げする役割に徹している印象です。派手な音を出す瞬間すらも、良くも悪くも楽曲の一要素として自然に存在している作り方をしていると思います。
ただこれからの楽曲考察で詳しく書いていきますけど、フジタさんのギターってCRYAMYにおいて相当大きな存在だと思うんですよね。耳を奪われがちなのは「世界」のイントロで見られるようなファズを踏んでの激しいオクターブフレーズとか、「PINK」や「変身」で顕著にみられるノイジーなギターソロとかになってくるんでしょうけど、彼の歌に寄り添うギターのリードフレーズは絶妙なさじ加減で楽曲にキャラクターを加えています。歌中のさりげなく華を添える、伴奏としてのギタープレイの妙技が彼のギタリストとしての一番の特徴であり、魅力なんじゃないかとすら思っているほどです。
あと単純に、ライブで見たときに彼が一番かっこいいんですよね…。とにかくプレイに華がある。カワノさんもそうですけど、ギタリストは二人ともギターのポジションが低くて、腕を大きく振りかぶってたたきつけるようにギターを弾くんですけど、フジタさんはギターに専念して俯きながら憑依したみたいにギターを搔きむしるんですね。それがカワノさんとは違ったカリスマ性を感じます。顔もめちゃくちゃイケメンだし…。
ライブならではの醍醐味の一つに、彼の狂ったようで神経質なギタープレイの魅力もぜひ忘れては欲しくないな、と思っています。

CRYAMY、別に演奏下手じゃない説

これは僕自身、最近では強く感じている問題なのですが、巷で言われてるほどCRYAMYって演奏下手じゃなくないですか…?確かに演奏は初期から比べると著しいのは事実で(カワノさんなんか歌が相当にうまくなりました。なんなら今ではバンド界の中でも上位に入る歌唱力だと思ってます)、しかしながら露骨にフレーズを外したりリズムががたつくこともないわけじゃないです。まぁカワノさんなんて日によってはまともにメロディを歌わなかったり叫んでるだけだったりする日もあるんですけど、「演奏下手だな」と思ったことって実はそんなにないんですよ。
これも、楽曲の激しいサウンドやライブでの異様な空気によるパブリックイメージによるものなんだろうなぁと思っています。決定的に破綻しきった演奏はこれまで見た中でも数えるほどしかないですし、ここ一年間は長い時間を通してもぶれることはないですし、最後にあったワンマンライブ(リキッドルームでのワンマン)なんて二時間半通して重厚な演奏と歌、強いメッセージ、大箱ならではのクオリティの高い音響…と、これまでとは別種の感動があったほどのクオリティでした。
考えられるとしたら、カワノさんが結構ライブだと走るんですよね…。どんどんテンポが前に前に、と進んでいく印象です。で、メンバー三人がそれについて行ってだんだんギアがかみ合っていく、という感じ。
あと、歌とリードギターのアドリブが日によっては激しいので、原曲通りに進まずに曲が終わるなんてこともざらにあります。そして、そのアドリブは整頓されたものではなくて勢い任せなものがほとんどな場合が多いです。
人それぞれ、ライブでの感じ方はあるんでしょうけど、その日しか見れないものがある、と考えていますので、それすらも魅力として僕は楽しんでいます。

CRYAMYの「リアルさ」と「優しさ」論争

CRYAMYの楽曲でリスナーの間でよく言われているのが「歌詞のリアルさ」「歌詞の優しさ」が大きなテーマのように感じます。僕個人としては、どちらもまったくもってそうだ、と断定するには疑問符がついてしまうんですよね…。
リアルさ、については、僕個人としては彼らの楽曲にリアルを感じた瞬間も共感を覚えた瞬間もほとんどありません。カワノさんの歌詞世界にあらわれてるものは自分に落とし込むにはあまりに現実味がないからです。強烈な生々しさを感じさせられる瞬間はあれど、それが自分の世界と地続きかと言われればそうではないですし、むしろ一種ファンタジーのようにも感じます。
友人が急死したり逮捕されたこともないですし、向精神薬を飲むこともなく、人に裏切られたこともないですし、自分の生まれを悲嘆するほど自己嫌悪をしたこともないですし、逆に、自分を救ってくれるような存在に巡り合えたこともないですし、尊く思える人や出来事も強烈に覚えているという経験もありません。
失礼な言い方になるかもしれませんが、彼らの歌をリアルだ、と言っている一部の人たちって、彼らの曲に酔っている自分の状況を自分の現実のつらさに無理やりダイレクトに変換して錯覚している状況だと思うんですよね。それを否定したり批判したいわけではないです!そういう聴き方もむしろありだとは思っています。けれど、それは決して真に「リアル」ではないと思うんです。
僕個人の彼らの音楽とのつながりは、自分の全く共感できない地平の出来事を潜り抜けた人間の歌う感情を垣間見ることで得られる感動に身を任せることの快感と、そんな人間が導き出した普遍的な愛や悲しみを自分に伝えてくれることや、そんな中でも人間の姿をまともにとらえたうえで歌を奏でる姿に救われることだと思っています。決してリアリティから心を救われているわけではないんですね。カワノさんもいつかおっしゃってましたが、悲惨で過激なことだけがリアルではない、という言葉もありましたし…。
「リアル」という言葉の便利さに逃げないで、正確に自分の感動の正体を探っていくことも、一つの面白さだと僕は思います。偉そうですみません…。

そして、「優しさ」についてです。たしかにカワノさんの歌には人間の存在を肯定したり、ともに絶望の中で耽溺することをよしとするものもあります。しかし、これを単に彼なりの「優しさ」ととらえることへの違和感が僕にはあります。
興味深かったのが、そういうものを志向して作られた音楽を最新の「音楽と人」でのインタビューでカワノさん、軽くディスってらっしゃるんですよね。そしてそのあとに続くのが、「正しいことだと思ってるから言ってる」というようなニュアンスのことでした。これはすごく興味深いし、腑に落ちました。
インタビューや過去の日記で気になるところを読んでから過去の楽曲を聞き返していて個人的に思ったのですが、確かにカワノさんの楽曲って落ち込んでる特定の人に対して視線を向けて優しい言葉を選んであえてかけてる、ってよりは、むしろ人間を取り巻く世界や空間をとらえること軸に彼の思う理想的な人のありようを賛美した言葉を選んでいるように見えるんですね。人に向けて歌ってる、ってよりも、世界の構造に向けて叫んでる感じ。そしてその視線から最終的にそこに生きる人へ声が届くイメージ。
「完璧な国」が顕著ですけど、誰かに対して思いを向けるというよりも、「こうであるべきだ」ということをただ歌にしているように感じます。それか結果的にそこに生きる人たちに対して向かっていくパワーを生んで、それが「優しさ」としてとらえられているんだろうなぁ。
ライブでは目の前にいる人に対してその歌を投げかける姿勢でいることは感じられますが、楽曲として作られた瞬間はきっとカワノさんなりの正義や価値基準に基づいて正しいとされる人間の在り方を描いているように見えます。
自分語りになって申し訳ないのですが、僕は励ます系の曲が嫌いです。自分をよく知らない人間に励まされても、お前に何がわかるんだ、という気持ちになってしまうからです。そもそも、感傷的な気持ちで歌詞をじっくり読んで涙をこぼしながら聴く音楽って、僕自身あまり聴かないんですね。最近だとCRYAMYぐらいではないでしょうか。どちらかというとサウンドとかの格好良さで聴く音楽を好んでいますし。
ただここで述べられているような「優しさ」すべてを否定したいわけではありませんし、なんだかんだといいながらも、僕も彼の歌詞は優しいと思っています。優しくしようと思って優しくしていないとしても、結果的には聴く人にやさしく寄り添う音楽であることは疑いようのない事実ですし、むしろ何の計算も打算もなく、ただ自分の正義に基づいてとられた行為や姿勢が結果的に優しさになることが本当の優しさだと思います。
あえて言えば、CRYAMYはいま最も「優しさ」を体現したバンドではないでしょうか。最新曲の「WASTAR」にそれが凝縮されているように思えますし、個人的には「世界」に次いで、CRYAMYの代表曲になるような予感がしています。

キモ過ぎる自分語り

最後に筆者の自分語りをしてこの記事を締めたいと思います。僕は学生時代の大半の趣味を音楽に関連するもので埋め尽くしていました。趣味で中学生のころにギターを始めてハードロックをコピーしたり、姉の影響でライブハウスにも頻繁に足を運んだりしていました。
学校ではいわゆる陽キャのグループに属して、彼女もいて、それなりに楽しく過ごしていましたが、家庭環境は最悪で、中学生のころに両親が離婚したり、ぐれた姉に暴力を振るわれたり、家の外では明るくふるまわなくちゃいけないのに、家に帰れば地獄が待っているような居心地の悪い十代でした。
逃げるように大学進学で北関東から上京して、東京で四年間を過ごします。この間にバンドを組んでみたり、ライブハウスに行く頻度も増えていったり、CDやレコードを買いあさったりして青春を過ごしました。大学では…あまり周りとはなじめず、それもあって、音楽に没頭するようになっていったんだと思います。
卒業が近づいてきたころに、何か音楽に携わりたかったのと、文章を書くのが趣味だったので音楽雑誌に就職することを目指し、結局某社に拾っていただいて、数年勤務することになりました。今思い返すと充実した日々だったんじゃないかと思っています。けれど、あまり好きではないアーティストにも真剣に向き合わなくてはならないこと、知りたくなかった裏の事情が嫌でも耳に入ってくること、だんだんとやりがいを感じられなくなっていったことが理由で退職。今は普通にサラリーマンをしながら、たまに楽器を弾いてみたり、ライブに行く生活を送っています。

僕がCRYAMYの音楽に出会ったのは社会人になってからのことです。インディーズバンド好きの友人に「やばいバンドがいる」と聞いていたのですが、当時CRYAMYは知る人ぞ知る、といった程度のバンドでした。初めて見たライブイベントでは歌もののバンドの中にぽんと放り込まれたように組み込まれていて、はっきり言って浮いてましたし、ライブも客もまばらなフロアをにらみつけるひねくれたボーカルと荒々しい演奏、なによりメロディが聞こえないほどギターが大きな音を出していて、「確かにやばいバンドだなぁ」という印象で、良くも悪くも、そんなバンドでした。その時はCDを買うこともありませんでしたし。
少し時間がたって、今でも覚えてるんですけど、またライブを見る機会に恵まれた時、ボーカルのカワノさんがステージでよく話すように変わっていたんですね。小さなライブハウスでしたけど、ソールドアウトのお客さんが密集する中で、今よりももっとぶっきらぼうに、けど支離滅裂具合は今と変わらずに、自分の思いの丈を切々と語る姿が妙に当時の自分の胸を打ちました。
大げさではなく、当時の自分は自分のやっている仕事にも、これまでの人生にも、何一つ納得のいかない思いを抱えていたんですけど、「ああ、彼も自分と同じ気持ちを持っているのかもしれない」と思ったし、そのうえで、彼は自分のそんな思いを曲にして、目の前の人間に対して何かを果たそうと本気で思っているんだ、と、気づいたら涙を流しながら「ディスタンス」を俯いて聴いていました。
気づいたらその日、すぐにCDを物販で購入して、いけるライブにはひとりで足を運ぶようになりました。仕事を辞めても、東京を離れても、ライブに足が伸びなくなっても、音楽をサブスクで聴くようになっても、彼らの音楽とライブだけは今も僕の生活の中にあります。

僕は彼らの音楽で自殺を思いとどまったり、人生が変わったり、そんな劇的な変化を遂げたわけではありません。自分にとってなくてはならないもの、依存しているものといったわけでも、もちろんありません。けれど、生まれてきてから今まで、緩やかに死んでいくだけだった自分の心に、一筋光を授けてくれたかけがえのない一つの音楽だとは思っていますし、たぶん一生この感謝を忘れることはないんだろうと思っています。
本人たちに感謝を伝えたいだとか、これが本人たちの目に触れてほしいとか、そんなおこがましいことは思っていないですけど、僕がこうして書き記したものが、彼らの音楽を愛する人や、まだ彼らの音楽に出会えていない人、もう彼らの音楽から卒業してしまった人の目に触れて、彼らの音楽を深く考えるきっかけになったり、CDを買ったりライブに足を運ぶ理由になったりして、彼らの活動に対して少しでも力になってくれたら、自己満足の文章を書いていきますけど、それよりもうれしいことはありません。

おわりに

導入といいつつ、一万字を超えてしまいました…。今後はアルバム一枚ごとに記事を作成して、一曲ずつ考察していこうと思っています。「#4」リリースまでにCDひとつかふたつは載せられるといいなぁ…。
実は今「#3」と「WASTAR」について書き始めているんですが、「#3」は世界の段階でものすごい文字数になってしまってて、もしかしたら一曲だけで上げることになるかもしれないです…。「WASTAR」も同様…。アルバム全曲考察となるとものすごい量になってしまいそうですが…。地道に書き記していきたいと思っています。

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