【ライブレポート】2022.7.15/CRYAMY at 下北沢SHELTER/ライブレポート、そして雑記

先日行われたCRYAMYとKOTORIによる2マンライブのライブレポートと、そのライブを踏まえた個人的な雑感になります。この日のCRYAMYのライブは2マンでに尺ということで駆け抜けるように終わってしまったのですが、そこにこもった感情や意志は昨今の社会情勢や人間の営みを敏感に感じ取ってきたであろうカワノさんの意志を明確に反映していて、かつ、完成度の高い素晴らしいライブだったので、ワンマンではないのですが書き留めておきたいと思っていました。

そして、昨日、カワノさんは三年強に及ぶ長い時間書いてきた日記のページを削除しました。出発点は「自分をより知ってもらう」というポジティブなものだったはずのそれがどうして意味を失ってしまったのか、また、その過程で変容していく世の中の雰囲気をどうとらえていたのか。正確にはとらえることはもちろんできませんが、自分が長きにわたって追ってきた彼の日記から感じられる違和感や怒りを抱えてきた部分から、自分なりに解釈しようと思っています。

何よりカワノさん、長いことお疲れさまでした。僕のこんなブログ、多分読みもしないし、読んだら怒ったり嫌がったりしそうですけど、これまで日記を読めてよかったです。これからはライブであなたの言葉を受け取って、最近ますますしゃべってくれないですけど、そのわずかな言葉からたくさんのことを受け取ろうと思っています。

ライブの様子

まず入場して驚いたんですけど、本当に人であふれかえってました。さすがに人数制限は敷かれていたと思うんですけど、視覚的にはほぼコロナの前と変わらずでした。最後にここで彼らを見たのは昨年のワンマンなんですけど、あの時は足元に目印を置かれていたり、割と几帳面に人との距離を保っていた覚えがあるので、とても驚きましたね。

先行はKOTORIでした。ライブを見たことはなかったですけど、楽曲を聴く機会があったのですが、思ったよりも演奏のスキルが相当高かった印象でした。楽曲も起伏に富んだ展開やフレーズも表情豊かで、最近の若手バンドに多い一辺倒な曲を並べて熱量や盛り上がりを重視したものとは一線を画すような音楽的に素晴らしいライブでした。特にMCなどでは互いのバンドに対して触れることは一度もなかったのですが、またこの組み合わせのライブが見たい、と思っていますし、KOTORIのライブにも足を運んでみたい、と思わせるようなライブでした。

セットチェンジの時間でヘアスタイルを大いに変えたカワノさんを筆頭にぞろぞろとメンバーがセッティングを開始。途中、ベースの音が出なくなるトラブルを見てカワノさんが爆笑しているのが印象的でした。勝手なイメージですけど、カワノさんってライブの時は微塵も笑顔を見せないのに、割とこういう場面でにこやかに誰かと会話しているのをよく見かけます。サービス精神が旺盛な方だなぁと思っているのですが、本心ではどうなんでしょうか…。歌詞や文章での突き放す感じから、僕は本当はそういうのも無理してるタイプの人だと思っています。なのでライブ後、見かけてもあんまり話しかけません…。話しかけてる方も多いですけど、なんか怖いんですよね…。そうして後半戦のライブが開始しました。

セットリスト

MC
1テリトリアル
2鼻で笑うぜ
3SONIC POP
4TEN
5CRYBABY
6戦争
7マリア
8月面旅行
9待月
10まほろば
MC
11WASTAR
12世界

恐ろしいことに、冒頭の五分ほどのMC以降、最後のMCまでノンストップ十曲。観客は拍手も歓声もなし。圧巻の展開でした。

ライブの感想と、カワノさんの日記が終了したことについて、そして雑感

joy divisionのSEが鳴り響いて四名が入場。すると、カワノさんはメンバーにぼそぼそと声をかけると、手を挙げてSEを中止させて、いきなり、「ちょっとしゃべっていい?」と。観客もあっけにとられてリアクションを返せませんし、僕も「えっ!」と驚いてしまいました。一気に場の空気が硬直したのを肌で感じました。

そんな観客の様子などお構いなし、という感じで良くも悪くもいつものカワノさんが語り始めたのは、このライブの数日前に銃で撃たれて亡くなってしまった安部元首相の事件について。そして、そこから話は彼の生い立ちまでさかのぼっていきました。

震災をきっかけに自分が生まれてしまったこと、幼いころにイラク戦争で自衛隊の隣人が命がけの戦いを強いられたこと、校舎から飛び降りた友人のこと、そして、それはすべて自分は当事者としてかかわったからこそ、命が失われてしまうということを「大げさ」「ありえない」などと他人事には思ってこれまで生きてこなかったということ。カワノさんはそのあと、だからこそ、音楽をやっていて思い悩む瞬間が多かった、元首相が打たれた夜、音楽の仕事をこなしている自分が悲しかった、と吐き出しました。

そして、それだけの悩みや苦しみを負いながらも、彼は最後にこう結論付けました。「そうやって誰かをへとへとになるまで思って作った曲は誰かの背中を必ず押す」「意味のないことなんてない」と。そして最後に、そんな混乱の世の中を生きている僕たちのために今日は歌う、と宣言して、ノイズをまき散らして一曲目を性急にスタートさせました。

この、曲前にその日その瞬間思ったこと、特に命や世界について、問いかけるような、刺すような、厳しくも理想をあきらめない姿勢をもってしてしゃべくった後に突然曲をスタートさせる姿が、まるで昔のカワノさんのようでした。キネマ倶楽部でのツアーファイナルや、その前のリキッドルームでのワンマンでもその姿は見られたのですが、対バンライブで見られたのはすごく驚いたし、なにより、予測もできなかっただけに深く突き刺さりました。

冒頭のMCではさらに「KOTORIがいいライブをしていたから」とおっしゃってましたし、触発された部分もあったのだと思います。けれど、KOTORIの音楽的に完成度の高いライブを受けて小さく無難にまとめたり、演奏の精度や客の盛り上げを重視せず、「いかにむき出しで挑むか」という部分にフォーカスしたCRYAMYの姿勢にこそ、僕は拍手を送りたく思っています。

そして、これはインスタグラムで書かれていた日記が終了したことにも引っかかってくる発言だと思うのですが、この日のライブでの「ネットやSNSを通すとどうにもパフォーマンスくさくって駄目だ」という発言にも僕は深く考えさせられました。
コロナという社会の構造を根本的に変えてしまう要素が社会をむしばんでから、ロックも映画も、生で体感するという良さというものは現状、大いに失われてしまったことが明白です。そこを一番に大切にしていたカワノさんですから、そのダメージも人一倍だったのではないでしょうか。
そこから代わりに台頭してきたのがインターネットやSNSで主流となった文化でした。ロックバンドに限るなら、若いリスナーのCD離れとサブスク利用の加速やライブハウスを介さないネット発の若いバンドの増殖、宅録や打ち込みですべてを完結させるアーティストの台頭など、良くも悪くも価値観が多様化していきました。それにともなって、ロックバンドやロッカーのパフォーマンスやビジネスの場としてインターネットは、これまでもそうでしたがそれ以上に、無視できない活躍の場となっていきました。

ただ、負の側面も明確化していきました。人とのつながりか他人への関心はどんどん軽視される方へ世の空気は加速し、インターネットの陰湿な部分がクローズアップされるような事件も多く起こるようになっていきました。そして、そことも連動するかのように、社会でたまった人々のうっ憤や暗い感情は現実世界でも他人の命や尊厳を脅かす事件を起こすようになっていきます。原因を病気やウイルスでは片づけられない、社会の病理が牙をむいたのです。
これらの事件は、何か起きるたびにカワノさんも日記で言及されていたり、ライブで実社会での出来事について言及されていたり、決して目をそらしていなかったのはここ二年間で自分が証明できます。

しかし、そんな思想や意志を表明できる場であったはずのライブハウスは活動を停滞し、だからこそ続けるとおっしゃっていた日記も、楽しく、時にまじめに意思表示をしていくために続けていたはずが、インターネット文化の一層の発展に伴って意味が変容していったのではないでしょうか。
SNSの一層の発展でそこで意志や思想を表明するミュージシャンも増えましたし、かつてはそういうものをネットを通して表現することを「ダサい」と抵抗感をあらわとする風潮もあったのですが、若者に人気の文化がネット主流へと変わっていくにつれて、それもなくなったように個人的には感じています。
しかし、だれでも気軽に、そして自由になった弊害として個人的に感じたのがバンドマンなどのアーティストが身近になり過ぎた結果、タレント化が加速したことだと思っています。そして、それにともなって、そこを通して行われる彼らの活動は真剣さよりもカジュアルさが重要視されるようになって、嘘くさいきれいごとや形だけの意思表示も見抜かれず、ただ話題性やインパクトだけを重視する風潮を生むことになってしまったのではないでしょうか。そして、それに伴って、そういった枠組みの中にも、カワノさんの活動は本人の思わぬうちに含まれ、そうみられる機会も加速度的に増えていったのだと思います。

カワノさんは、音楽ではなくてタレンティズムを重視されるそういった場での活動を好んでいないのは明白でしたが、中には彼のそういった純粋な意志の発露を、他のロックバンドたちがやっているような「パフォーマンス」や「宣伝行為」と同列にとらえる人たちも多かったのではないでしょうか。最後に書かれた日記の前の日記で、そういうとらえ方をされるからライブですべてを語るとわざわざ宣言したことからも、そこに対する怒りが、明確な文章にせずとも僕は伝わった気がしました。
バンドが大きくなるにつれて彼らに賛同する人たちは多くなっていきますが、その中にはそういった見方をする人たちも含まれていたからこそ、それが許せなくなってしまったのだと思います。ライブでも「今日いうことなんかSNS通して言えよ、って言ってくる奴らもいるだろうけど」とわざわざ前置きした理由はそこにあるのだと思います。
これは僕の考えですが、ひょっとしたら、SNS上の日記を通して彼の意志をまっとうに正確に受け止めている人などいない、と、彼自身が見限って見放した結果なのかもしれません。最後に綴られた日記からはそういった無念を、はっきりと言葉に出さずとも感じ取れましたし、逆に、曖昧にしているということは、分断を煽ることに対しては明確に強い言葉で否定をしてきたカワノさんの優しさのようにも思いました。

僕は個人的には、日記を辞めてしまってもいいんじゃないかと思っています。たしかに、長いこと楽しんできましたが、それはライブで真剣にメッセージを受け取る、というよりも、どちらかというと読み物などのエンタメ的な楽しみ方をしていた自分も否定できないからです。カワノさんが言うように、結果的には僕らが楽しんでいるということ自体が、音楽とは何も関係ないパフォーマンスになってしまっていたのかもしれません。
少なくとも僕個人は、このバンドをこれからも愛聴していくうえで、できる限り真剣に、彼らに寄り添って、彼らの思うことを尊重していきたいので、個人的にはすごく大きな出来事でしたし、ショックもありましたけど受け入れたいと思っています。そして、僕はそれすらも彼らしい、とすら思っている自分もいることに気づかされました。
また、カワノさんも最後の日記でつづっていましたが、日記の代替案も考えていらっしゃる様子なので、そちらを素直に楽しみにしています。カワノさんの思うような、求めるような空間と求める人たちで楽しめるものが出来上がることを願ってやみません。

冒頭のMCを受けて長々と書きこんでしまいましたが、この後に続いたライブは非常にストイックなものでした。MCなしは当たり前で、曲と曲の間をつぶしていくようなアレンジがされたノンストップなライブ展開を汗だくの四人がたたきつける数十分間は素晴らしかったです。
唯一、一曲目のアウトロの余韻を含んだノイズが鳴り響く中、二曲目の「鼻で笑うぜ」のイントロの前、フジタさんを静止してカワノさんが「今日は人がたくさん多いから、誰かが倒れそうになったら助けてやってくれ」「死ぬなよ、絶対死ぬなよ!」と絶叫していたのが、個人的に胸が熱くなりました。それ以外は本当に、徹頭徹尾歌以外は無言。間髪入れず、次々とシームレスに曲を叩きつけていきました。

最後の二曲を残してここで最後の短いMCが入りました。冒頭での内容を全く同じくなぞって、さんざん、意味のないことはない、とまくしたてながらも、「何もできなくてもかまわない、何故なら俺が当たり前に愛しているからだ!」と宣言してWASTARへ。文字に起こすと荒唐無稽で勢い任せなこの言葉も、ライブでは重く、説得力を持って迫ってきます。僕はここが一番しびれました。
そして、WASTARの轟音を放り込んで、最後に「俺とお前らの希望の歌だと思って歌う!」と絶叫して「世界」へ。セットリストを果たしてどの程度決め込んで臨んでいるのかはわかりませんが、おそらく重要なライブでは確実に最後を飾るこの楽曲を鳴らすということは、数日前に起こった悲しい出来事を受け止めたうえでライブを完遂するという彼の強い決意を感じられました。

終わってみればアンコールなし。曲間も全編通してほとんど存在しないので体感あっという間に終了しました。ワンマンライブを近頃だとみてきたのもあって、本当に短い時間に感じました。
SHELTERでの大音量での爆音や対バンのKOTORIのライブの素晴らしさも相まって、ここ一、二年でワンマンライブを除けば一番のライブだったと思います。そして、改めてこの場にいることができたことをうれしく思いました。

そして、この翌日になっても更新されない日記を見て、カワノさん自身が「潮時」と表現したことも相まって、もう日記を書くことはひょっとしたらないんだろう、と思っていました。結果的にこの日のライブの感想と次にあるライブのお知らせ、そして彼の最後の文章での思いの丈が、最後の日記の記述になってしまいました。跡形もなく消滅した彼のアカウントを眺めると、今も少し寂しいです。

最後に、これは完全に文句なのですが、カワノさん、最後の日記を書いてからたった四時間後にアカウントごと完全に消去したんですね。これ、見逃した方いたら何事だよ、って絶対不穏な感じになるの火を見るより明らかですよね…。せめてちゃんとそれをみんなが見届けるまで残すのが責任ってもんだと思うんですけど…。良くも悪くも人のこと考えない人ですけど、そこは個人的に違うんじゃないかな、と思ってます。願わくばこのブログを見つけた方が、背景を知ってくれるのに役立ててくれることを願っています。カワノさん自身のためにも。

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