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トイストーリーと理科授業

私の上の息子が幼児の頃、よく映画を一緒に見ました。息子を膝の上にのせて映画を見る時間は私にとって至福の時間で、仕事の疲れも忘れて2人で一緒に楽しんだことを覚えています。彼はピクサーがお気に入りで、特にトイストーリーが大好きでした。主人公であるカウボーイ人形のウッディが持ち主の男の子の成長を喜びつつも、男の子が自分から離れていくことに寂しさを感じる描写が、自分と息子の関係とよく似ていて、私自身にとってもかけがえのない大好きな作品になりました。

それにしても不思議だったのは、3歳の息子が80分あまりの映画を飽きずに最後まで見ていられたことです。他の映画であれば飽きてしまうことがある息子も、トイストーリーであれば何度も何度も繰り返し見ることができました。何が彼をそれほどまでに、この映画にひきつけたのでしょうか。

トイストーリーにはかわいらしいキャラクターが登場し、カラフルな色使いの映像が流れ、気分を盛り上げる音楽が流れます。また、物語の構造は瀬田貞二が提唱した「行きて帰りし物語」構造となっていて、幼児の本能に訴えかけるように見事に構成されています。


行きて帰りし物語については、瀬田貞二(1980)『幼い子の文学』中央公論社.を参照してください。また、矢野智司・佐々木美砂(2023)『絵本のなかの動物はなぜ一列に歩いているのか : 空間の絵本学』勁草書房.は瀬田の理論を拡張した新たな提案をしています。

しかし視覚的刺激や聴覚的刺激という意味では、他の映画も同様の工夫をこらしていますし、キャラクターや色彩や音声だけがこの映画を特別なものにしているとは考えられません。では、映画の構造やプロットに秘密があるのかと考えると、3歳の息子が映画全体の構造を把握できていたとも思えません。
刺激や構造、そして単なる息子の好み以上に、この映画には子供をひきつける秘密があるのではないか、と私は思いました。そして、そのような目で何度もトイストーリーを見てきました。

以下、私が感じたトイストーリーの2つの秘密と、理科教育関係者としての見解を述べたいと思います。


トイストーリーを他の映画と違う特別なものにしている秘密の1つ目は、問題解決のテンポの良さです。主人公のウッディは持ち主の男の子の元に戻るため必死で旅をしますが、絶えずトラブルに見舞われそのたびに解決策を見つけることを迫られます。犬に追われ、爆破されそうになり、UFOキャッチャーに閉じこめられ、トラックに置いて行かれ、仲間に疑われ、不気味な人形に追いかけられ、、、。1つのトラブルが解決すればまた次のトラブルがウッディを襲い、それを解決すればまた別の種類のトラブルが発生します。これら全ては持ち主の元に戻るという大きな問題解決の中の小さい問題解決にあたります。

たくさんの問題が生じるこの映画ですが、問題と問題は複雑にからみあわず、比較的シンプルにつながっています。基本的には1つの問題が解決してからもう1つの問題が起こり、視聴者は安心して物語に没頭することができます。
問題が生じて困ったときに、ふと視線を向けた先にや仲間の言葉に解決のヒントがあり、問題が見事解決されてウッディも視聴者もほっと一安心する。そして前に進むとまた新たな問題が起きるというテンポが絶妙で、視聴者に飽きる隙を与えません。

そして、問題が解決されたときのカタルシスを高める効果を果たすのが、主人公ウッディの表情です。ウッディはとても表情豊かですが、特に困った時にはとても印象的な表情を見せます。元々、ウッディは小粋でキザなキャラクターですが、そんなウッディがピンチに陥った際には、口角をさげ手を振り上げて「もう、おしまいだ~~」と大げさに嘆くのです。その姿はとてもコミカルなのですが、幼児はそんなウッディに感情移入して一緒になってピンチを感じているようです。ウッディが大げさに嘆き、効果音が気分を高め、脅威が見る見るうちに近づき、ウッディと一緒に視聴者も「もうだめだ」と思うからこそ、問題が解決された時の喜びが高まるのでしょう。

トイストーリーに示された、大きな問題解決の中に小さい問題解決が連なるという構造は、研究者の営みや、新たな製品開発の過程、料理をする一連の動作などの日常の問題解決の構造と同じです。そして、それは理科授業で行う問題解決/探究活動とも同一だと言えるでしょう。
大人も、小中学生も、幼児も同じように、大きな目的のために小さな問題解決を繰り返す活動を行っていますが、年齢によって1つの問題解決に従事できる時間、飽きるまでの時間、耐えられる時間の長さは違うものと考えられます。
幼児サイズにスケールダウンしつつも、問題解決の楽しさや達成の喜びを表現できたことに、トイストーリーの面白さの秘訣があるのではないでしょう

この点に関して理科授業を行う上で私が感じることは問題解決の連続性と、対象の学習者に合わせた活動時間の大切さです。我々が理科授業の構成を考える際には、トイストーリーを始めとした映画から、児童や幼児がどの程度集中できるのかという時間や問題解決の構造を学ぶことができるのではないでしょうか。
私が通っていた大学院で、一番受けやすかった授業は45分間を座学、45分間を活動で構成されていた先生の授業でした。そのため、私自身も大学で授業をする際には同じように授業を行っています。大人にとっては45分間が集中の限界ではないでしょうか。小学生だとそれはもっと短くなるでしょうし、幼児だとさらに短くなると考えられます。

小学校の理科授業ではたまに1時間話し合いだけを行う授業が見られます。私自身もしばしばそのような授業を行ってきました。1時間話し合いができるクラスは、それなりに学級経営がうまくいき、児童が前向きに学習に取り組めるクラスです。参観者としても児童がお互いの意見を交わし、考えを深めあっている姿は見ごたえがあり、「いい授業」として捉えられることも多いものです。
しかし、45分間同じ活動に取り組むことは大人ならまだしも、小学生には少しレベルが高い活動であることは間違いありません。集中して話し合っているように見えても、授業の終盤になるとうつむいている児童が増え始め、疲れがうっすらとクラスに漂い始めます。
学習者にとって集中できる時間の長さを見極め、それに合わせた授業設計をすることが、教師の力量の一つなのでしょう。

私はこれまで何度も何度も、学習者が集中できる時間を読み間違えて授業がグダグダになり「もう、おしまいだ~~」と嘆いてきました。子どもが「面白かったぁ!」と鼻の穴を膨らませるような授業とするために、子どもにとって集中しやすい時間配分を心がけることは基本だと思います。ですが、忘れられがちな要素なのではないでしょうか。


トイストーリーに隠された秘密の2つめは、事前学習の大切さです。ウッディは問題解決を行う際に、既習知識を活かして解決方法を見つけます。例えばクライマックスのシーンでは、持ち主の男の子をのせたトラックに追いつくためにウッディはロケット花火で空を飛ぶことを考えますが、花火に火をつける方法がありません。あと一歩で追いつけたのに、無情にもトラックはどんどん遠ざかっていきます。ウッディは例のごとく「もぅ~ダメだぁ~。ぅおしまいだ~。」と大げさに嘆きます。いわゆる大ピンチです。嘆くウッディですが、何かに気づきます。その視線がとらえたのは虫眼鏡でした。「そうだ、これだ!」と虫眼鏡を使って火をつけることに成功します。

実は、この映画に虫眼鏡が出てくるシーンはここだけではありません。映画の中ほどに、ウッディの顔が虫眼鏡で焼けてしまって火が付きそうになるシーンがあるのです。この映画の準備周到なところは、このようにさりげなく虫眼鏡を用いて光を集めると着火することができることを学ぶ場面を事前に用意していることです。映画を見る幼児に虫眼鏡の知識が無くても、視聴者を置いてけぼりにしないように丁寧に伏線が張られていると言えるでしょう。そのように周到な準備が済んでいるために、クライマックスの場面ではウッディの気持ちにしっかり感情移入できるのだと思います。
虫眼鏡だけではなく、マッチ、車のラジコン、ロケット花火、空を滑空するための羽など、クライマックスで使用する器具は、それまでのストーリーに巧妙に織り込まれさりげなく登場しています。決して「虫眼鏡とはこういうものですよ」という押しつけがましい学習ではなく視聴者が納得感をもって自然に用いる器具を学び、その器具を使った問題解決が後に行われるという構造がこの映画には隠れているのです。

このような事前学習はベテランの先生の授業中にも見ることができます。
小学校の理科授業において、児童に実験の準備をさせるためには、理科室のどこにピンセットがあって、どこにスライドガラスがあるのか、ということを事前に児童に知らせておかなくてはなりません。実験の準備の場面になってから、児童にここにこれがありますよと教えて回ってもいいのですが、さりげなく事前に示していれば児童はきちんと覚えていて、改めて教えなおす必要がなくなります。
例えば、演示実験の際に「〇〇さん、そこの棚からピンセットとって」という場面を入れておくと、児童全員がピンセットのしまってある場所を理解します。「ピンセットの場所はここですよ!」とクライマックスの直前に唐突に教える必要もありません。
授業が始まる前にピンセットを用意しておくことは簡単ですが、あえてピンセットを棚の中にしまっておき、1人の児童にとらせることでこのような指導の妙が生まれるのです。


また、塩酸で鉄を溶かした実験ではひどい臭いがします。このことを何も教えずに実験をしてしまうと教室内は「くさいくさい」の大合唱になってしまい、最悪の場合には体調を悪くする児童も出てきます。
この実験においても、演示実験の際に教師が「この実験はひどい臭いがするんですよ」と言いながら手で試験管をあおいで見せて「くさっ」とのけぞってみせれば児童は笑いますし、「臭いから窓を開けてから実験しようね」と言えば子どもは体調を悪くしたりなどせず、自分で窓を開けて対処できるようになります。
大切なことはクライマックスの場面で、学んでほしい情報に集中してもらうために、事前にさりげなく必要な知識をちりばめておくことです。
このような知識を文脈に関係なく教えられることは学習者にとって苦痛ですが、ストーリーの中で自然に織り込まれた知識を得ることは、逆に楽しい体験なのだと思います。


トイストーリーの第1作は1995年の作品ですし、ピクサーはその後もトイストーリーの成功にもとづいて、同じ方法論を用いた映画を何本も製作しています。また、実写映画やアニメや小説など、多くの文芸作品がその影響を受けているでしょう。さらにトイストーリー自体もそれ以前の作品から学ぶことで作られたものですので、もはやここまで私が述べてきた知見はトイストーリーに隠された秘密というよりも、トイストーリーを代表とする一連の作品群の特徴なのかもしれません。

大きくなった息子は、あの頃のように甘い匂いではなくなってしまいました。今では、学校から帰ってきた途端にいってきまーすと走り去っていく、汗と靴下の匂いがするごつごつした体の少年になりました。小柄な私では、今の彼を膝の上において5分も我慢できないでしょう。一緒に映画を見たことは遠い記憶の彼方に過ぎ去ろうとしています。
しかし、彼と一緒に繰り返し繰り返しトイストーリーを見たことで、私は今でもその影響を受けているように思います。願わくば、トイストーリーのように学習者を夢中にさせる授業をしてみたいものです。


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