インドネシア滞在記 最終part 後編

インドネシアから帰国後...

正直言って自分にとっては人生で1番失敗を多くした時間だった。それと同時に人生の中で1番嫌いな時間でもある。失敗した影響というのは今でもその影響は少なからずある。ただ、失敗したからこそ得られたものもある。

帰国後、自分は帰国子女となるため帰国子女のために作られた学校への試験を受ける資格を持っていた。しかし、当時の自分は救いようのないバカだった。面接対策とかも何もせずに突っ込んでいった。面接で面接官に「文系と理系のどちらに進学希望ですか?」と言われて「文系と理系って何ですか?」って聞くくらいバカでした。逆にそこで聞くメンタルを持っていることは評価したいw

もちろん結果は不合格。まぁ、当然ですねw

そして公立中学校に進むことになった。自分には2つ年上の姉がいるが彼女も私立のみしか通っていないため、公立中学校に関する知識はゼロ。期待と不安を胸に編入した。

ここからが地獄の始まりだった。

まず驚いたのは集会のため廊下を移動する時は会話は禁止だった。インドネシアの時は友達とペラペラ喋りながら移動するのが当たり前だった僕にとっては驚きだった。また整列して移動するということも僕にとってはカルチャーショックだった。

そしてこの学校は通称「軍隊学校」とも呼ばれていた。挨拶は先生が廊下にいたら必ずすること。掃除もキビキビとやならきゃいけない。移動も無駄があってはいけない。上下関係の厳しさ。そして1年生で学校生活を叩き込まれるのに自分は0からのスタート。

全てが嫌になった。南国育ちの自分にとってはストレスでしかなかった。勉強を頑張っても周りがとても頭良いので褒められることはなく、頑張っても怒られることばかり。この時は色々とあって心を閉ざした。自分の思っていることは言わずに自分とは違う誰かを演じていた。そしてそのギャップに耐えることが出来ない。でも、逃げられない。そんな生活をしていた。

そんな生活にもだんだん慣れてきて中学校3年生進路を決める時期になった。自分にはどうしても行きたい学校があった。それはビームライフル部という部活がある学校だった。もちろん、僕の実力で行けるわけもなく先生から鼻で笑われた。そこから志望校を下げさせられた。別の学校を言っても下げられた。そして自分の1番行きたくない学校を提示された。

その学校は自分の家の近くにある高校で地元ではあまり評判の良くなかった。そしてなによりそこに投稿する生徒の格好がヤンキーみたいな格好をしていたので行きたくはなかった。

そして自分はとある決断をした。滑り止めの私立高校と1つの公立高校を受けて私立高校に合格した場合は体を鍛えて警察官に、公立高校に合格した場合は大学進学するという決断をした。

その決断をして先生に報告した時に三者面談をした。この決断は絶対に曲げたくなかったのでこれ以上志望校のレベルを落とすことはないと宣言した後、先生と親で話がしたいとのことで教室から出された。

その時の会話を親に聞いてみたところ「このままじゃどこにも受かりませんよ。だから志望校を下げさせてください」と言われたそうです。ただ、自分の両親は自分を信じてくれたのでそれを断ってくれました。

私立高校の受験は見事合格し、絶対に受からないと言われた公立高校受験も見事に合格しました。

その時は先生たちの間でも驚かれたそうです。ただ自分の中では最初に志望していた高校を諦めて志望校のレベルを落として受かった高校だったので何も驚きはしませんでした。

高校入学後は中学校生活とは一変して順風満帆な生活が待っていました。クラスの室長や生徒会役員を務め、今でも仲のいい弓道部のメンバーと一緒に弓道をした。

そして大学入試。

高校の時のどんでん返しがあるだろう!と思い受験するも悉く落ちる。理由はいくつかある。1番は自分の努力不足。その他には少子高齢化による枠の減少、そして運の無さである。あまりにも落ちすぎたためおばあちゃんが親戚をあたってくれて看護系の大学に入ることが出来る様に手配してくれた。

そして唯一受かったのは中期で受かった行きたくない滑り止めの大学。

浪人するわけにはいかないので入学。もちろん行くつもりもなかったので大学に関する情報ゼロ。ただ、他の大学と違って自分たちは制約がいくつかある。例えばクロックス等のサンダルでの登校は禁止、髪の毛もレベル8以下までしか染められない、授業も指定席で出欠は教授が取るなど変わった大学である。

ただ、そこで学べたこともたくさんある。実力も目に見えるようになってきた。そして学部主席という結果も出てきた。何よりこの大学に行かなかったらカンボジアにボランティアに行くこともなかった。

そしてなんだかんだ言ってこの大学が好きだ。自分のやりたいことが制約はあるものの出来る。そして学生生活の中で1番輝いている自信がある。

今輝いているのはインドネシアの経験があったからこそだと思う。もしもあの時にインドネシアに行ってなかったら自分はそこらへんにいるつまらない学生と何ら大差なかったと思う。インドネシアで様々なことを経験したことによって得られたものと南国譲りの明るさのおかげで今とても楽しい。


【終わりに】

最後まで自分の駄文に付き合っていただきありがとうございました。そして途中で書くのを放棄してごめんなさい。ただ、このおかげで色々と振り返ることが出来ました。この投稿をするきっかけになったのはカンボジアのボランティア仲間から「インドネシアに行く前と行った後の心情の変化を教えてほしい!」と言われて始めた投稿でした。

書き始めの頃は「心情の変化ってどんな変化あったっけ?w」と思いながら書いていましたが最後まで書いてみると今の自分の武器になっているものばかりだなと感じました。

そして色々と忘れていた自分の大事にしていたことや、大事にしたいことなどを再確認出来た企画でした。

最後にこの企画を提案してくれた152センチさんありがとう!!

 


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