見出し画像

徒然駄文

日記と言える程、細やかなものでは無く。大層な何かを語る訳でも無く。
少しの睡魔と少しの退屈、少しの憂鬱に揺られながら文字をつらつらと綴っていく。正に徒然なる駄文と言う表現が相応しい、そんな程度のもの。
 

私という人間は大した趣味や人と変わった何かがある訳でも無く、ただシュルレアリスムというジャンルの特定の画家と映画監督が好きで、太宰治の〝人間失格〟が好きで、エログロナンセンスというジャンルのアングラ作品が好きという、ただそれだけの人間で特筆する事は何も無い。
シュルレアリスムが好きとは言っても特定の画家と映画監督が好きなだけ、太宰治も斜陽はイマイチ好みでは無かった。アングラ好きの間では有名な江戸川乱歩もイマイチだった。

漫画もアニメも小説も映画も音楽も、語れる程多くを知らない。所詮、その程度の人間だ。
無駄に苦悩苦労だけは重ねた波乱万丈な幼少期から大人までの時間だけが、自分にとって唯一それなりに物語としてなにかしらの役に立てる事が出来るモノだろう。
言葉通り泥水を啜り地べたを這う生活だった。
物心付いた時から成人を過ぎてまで絵を長く描いていたが、それも独学。しかもデッサンなどの、そうした類は大して深掘りして学んではいない。
 
全てにおいて中途半端。中身は至って退屈。
それが霧嶋 葉蔵という人間。
   
ただ、そんな自分ではあれど浅いながらも好きなものは好きで。
買い込んで本棚に並べてあるダリの画集や蜷川実花の写真集を「今日はどれにしよう」と選ぶ時間も、手に取り延々と眺める時間も、
大好きなヤン・シュヴァンクマイエルの映画を観ている時間も、鬱の影響で一気には読めずとも人間失格を休み休み読んでいる時間も、
勿論、写真を撮ったり撮って頂いたりレタッチをしている時間も。
全ては傍から見れば中途半端極まりなくとも自分にとってそれらはキラキラと輝いた大切な宝物たちで、出来れば少しでも鬱の悪化を食い止めて一生手離したくないモノ達なのだ。

自撮りも、セルフポートレート(一応、自撮りと分けてはいるつもり)も、自分にとっては大切な自己表現で、これもまた大変ながらも楽しく新しい趣味の一つとなった。

フラフラしつつ、時に迷いながら休みながら
自分という軸だけは常に変える事無くやってきて良かったと思えるし、今後もそうして少しずつ自分なりのペースで歩んでいきたい。
 
自分なりの生き方、自分なりのやり方。
今後も揺らぐ事はあれど、そうして生きていけたらと思っている。

結局の所、自分が本当に困っている時に真っ先に助けてくれるのは他でもない自分自身だからこそ、自分を一番に信頼して信用して
そして自分自身と向き合い、自分自身と共に手を繋ぎ生きていく。それを人によっては孤独と見るかもしれないが、自分はそうは思わない。
仮に孤独であろうとも
孤独ではなく孤高と
自分くらいは自分に優しい言葉をかけてあげたい。
  
山なし落ちなし意味なし。
これにて、それではおやすみなさい。
   
  
𝐺𝑜𝑜𝑑 𝑛𝑖𝑔ℎ𝑡
  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?