いなくても

泣ける。

実は今日のテーマは、「親孝行について」だった。

ありし日の母との会話、病気の母について自分も息を上げながら、必死に悩んで、一家を預かる“責任者”・“保護者”としての私の抑えきれない悩み、葛藤、憔悴… そして落ち込んだりしながら日々を過ごしていた10代のある時、私は母や家族の状況についてどうすればいいかを、必死に考えて、哀れな状態や母と対峙し向き合っていた。

私は解決したい母の状態について向き合っていて、憔悴しきって落ち込んでいた私に対して、ずっと溜め込んでいたように思っていた事を一言。

「小っちゃい頃、よく踊ったり歌ったりしてたのに、何でしなくなったの〜。。」

あなたの事でこんなに悩んで苦しんでるのに、よくそんな事言えるね!

そんな事を咄嗟にぶつけたくなったが、あまりの不意打ちな母の言葉に、身体の中で言葉が突っ掛かった。

だいぶ顔を落ち込ませ、残念がってるような、多少不満顔で怒りもにじませてるようなそんな表情で、私に普段は怒ったり、声を荒げない母が、感情と共に言葉を投げつけた。

多分、後にも先にもそんなシーンはこれぐらい。

歌ってくれない私が不満なんだとか。

たしかに、幼少の頃、母が病気の症状で精神的に気分が落ち込みそうだったり、おかしくなりそうな時は率先して歌ったりして、気分をそらしたり、意識的に上げられるように努めた。

私の歌は、母の気分をあやすものだった。

いわば、歌いたくて歌ってる感情的なものより義務的なもの。

しかし、私が物心つくかつかないぐらいの頃は違っていた。

私はよく歌い、よく踊っていたようだ。

たまに伝え聞く幼い頃のエピソードに、「バレエか英語どっちを習いたい?」と言われた時に、私は今となっては理解できないんだけど、迷わず英語!と選択したそうだ。

バレエや踊る事も充分楽しがっていたはずなのだが、幼き日のわたしは、Hello new worldな知的好奇心のほうに心持っていかれていたようだ。

そんな幼き日に戻って聞いてみたい。

なぜそれを選んだの?バレエより楽しそうと思ったの?

全く無垢な瞳、無邪気な心で、今のわたしには意図できない、その時英語を選びたかった理由を、楽しそうに答えてくれるに違いない。


母を癒す歌、

野に咲く花のように

この歌詞や、歌の世界観と同じように、母の心も安らいでくれたら、と何度も何度も症状が出そうになる違和感を感じたら、歌ったものだ🤔

親孝行、とは一体何なのだろうな…?

親孝行したいときに、親はいず。

というものの、

私が居て、母と会話をして、微笑んだりして、悩んだりもしてきた日々が、あえて“親孝行”と冠して行動するより、きっと充分、わたしと母には幸せだった。

そして、この文章を書くに、涙が禁じえない。

でも今は、なき母がいた証拠でもある。

この涙の温度も、起き上がった後の布団のぬくもり、かけてくれた声、思いやり、すべての温かさを思い出す。

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