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博士とは何か、あるいは論文博士のとりかたについて

先日、博士の学位を取得しました。カタカナでドクター、英語だとDoctor of philosophy(Ph.D)と呼ばれるものです。お医者さんのドクターとは違って、持っていれば排他的な業を得られる資格ではありません。そのため、取っても食えないけど、取らなきゃ気持ち悪いということで足の裏の米粒と揶揄されたりします。

博士号とは、学術の分野で一定の成果を挙げたことを示す印、何かの専門分野の話をするに足ることを示すものだと私は考えています。別の視点では、ある分野を俯瞰しつつ、課題設定、問題解決を主体的に行い、一定の成績を収めてきた人、ということもできるでしょう。多くの方にとってはあまり馴染みのない話かと思いますが、今回は博士ってなんだっけ、という話と、大学に通わない博士号の取り方についてまとめてみます。

〈目次〉

1.博士号の制度的なところ

2.博士号の効用、なんで取るのか

3.論文博士をとるまでの実際

4.その博士は損か得か

5.で、博士をとるなら課程と論文のどっちがいいのか

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1.博士号の制度的なところ

4年制大学を卒業すると卒業証書がもらえますよね。あれは学士号(バチェラーオブほげほげ)、というもので、卒業証書をみると「学士(不動産学)」などと記載があります。学部の先には、上級学位を付与するための大学院という機構が存在します。修士(マスター)、博士(ドクター)といった呼称のほうが一般的で、所属は大学院不動産研究科負債学分野、といった感じになります。それぞれ2年ないし3年(医/歯/獣医などは4年)の修学/研究期間を経て、所定の要件を満たした場合に学位が付与されます。自然科学の分野であれば、研究活動を通して論文を執筆し、審査をクリアーすることで学位が得られます。博士の場合には、学内のみならず科学雑誌( #おネイチャー から #学級新聞 まで)に原著論文(学術領域で新しい仮説を提示して、データをもって仮説に関する考察を行なったもの)を掲載されることが学位付与の条件になっていることもあります。

博士号の場合は、大学院に長期入院して取得するケースが大半です。これを課程博士といいます。これとは別に、数篇の原著論文を元にした学位論文の提出/審査によって、大学院に入院することなく博士号を付与する制度があります。このようにして取得した学位を論文博士といいます。課程博士の場合、修士号取得(見込)者を対象に入学試験がありますが、論文博士の場合は大学別に申請可能となる条件が異なります。例えば、修士号取得者のみならず、それと同等の研究歴を有すると大学が認めた場合には、いきなり博士号を申請することもルール上は可能です。私は修士を出て就職したので、論文博士を選択しました。

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2.博士号の効用、なんで取るのか

博士号にはどんな意味があるのでしょうか。先ほど、

・学術の分野で一定の成果を挙げたことを示す

・ある分野の課題設定、問題解決を主体的に行い、一定の成績を収めてきたことを示す

との私見を述べました。これは、職業機会をはじめとした経済的利益に直接繋がるものとは必ずしも言えないことを意味します。実際、日本の新卒採用での雇用条件を眺めても、博士号取得者を経済的に優遇している業界/企業はごく僅かです。博士課程に進んだ場合、日本学術振興会特別研究員というものに応募/採択されれば生活の足し程度の経済的利益を受けられますが、採択されなかった場合、生業がなければ 3、4年間授業料を上納する実質むしょくになってしまいます。奨学金をもらっていれば、学部/修士時代を含めて立派な借金(Force of multiple dept)を抱えることになるでしょう。この観点から、アカデミックに献身する覚悟と才覚のある人、およびお金に余裕のある人(本来的な道楽で #もはや革命しかない )が進むのが博士課程だと私は考えていました。

この考えが揺らいだのは、研究を仕事にして海外の方とお話をするようになってからです。自己紹介の段では、何をしてきた者なのか?という話題が必ずといっていいほど出ます。このとき、ネームカードに Ph.D がないのは研究補助者に過ぎないベイビー、という扱いであることを知ります。おっさんなのにベイビー言われるの超かっこわるい。そもそも、研究の場面では博士持ちでないと組織の代表として出しにくい、といった事情もあります。日本ではあまり実感できない博士持ちのコミュニティがあるんだなー、というのが率直な感想でした。というわけで、学位取得の最初のモチベーションは「外に出て話を聞いてもらうスタートラインに立つため」ということになります。

これとは別に、転職市場でのキャリア採用の案件を見ると、新卒の頃にはなかった「博士号取得者」という要件をもつ悪くない話がいくつか目につきます。私はこれといった専門職資格を持たなかったので、仕事の延長線上で博士をとれれば転職市場にもワンチャン有利?と思えたことが第2のモチベーションです。

第3に、これが一番大きかったのですが、なんとなく、論文書きたいな、みたいなふわっとした動機でした。とれるものはとりたいよね、みたいな。そんなもんでしょう。

これらの理由から、論文博士の取得を目指して動くようになります。

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3.論文博士をとるまでの実際

i)授与条件を確認する

ii)要件を満たして申請する

iii)審査を受けて合格する

が大まかな流れです。

i)授与条件を確認する

論文博士の授与要件は大学/学部によりまちまちであるため、まずは制度が生きている大学を探すことからはじめるのがよいと考えます。そもそも課程を経ない博士号を授与しない大学もありますし、制度は生きていてもウェブサイトでオープンにしていないところもあります。そのため、申請したい大学の事務方への電凸やメールのやりとりを通して、適切な情報を得ましょう。例えば北里大学の場合、下記のような情報が得られます。

https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/kugsms/education/degree/paper.html

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研究歴や原著論文数への言及があることがわかります。申請先で定められた学位授与の要件を意識しながら原著論文を用意すると、無駄がありません。申請する候補の大学を決めたら、自身の研究課題に合致する先生も探しておきましょう。その方に審査をお願いすることになるからです。

余談ですが、某大学の学位授与基準には「本学の卒業生以外には別途、学力試験を課す」みたいな記載があってグッときます。高校生をはじめ受験生は #考えるな勉強しろ


ii)要件を満たして申請する

私は会社員だったので、原著を用意するには社業の成果をーぷんにさせてもらう必要がありました。そのための手続きが整っていることと、少額の予算を執行させてもらえること、職場に理解があること、が揃っていないと学位取得プランは頓挫します。こればかりは勤め先の規則やポリシーに依存するため、運の要素が大きくなります。経済的利益の観点からは、出したい成果があっても戦略上出せない、というケースも企業勤めにはよくあることです。第二、第三の矢を用意して粘り強く社業に取り組むことが重要と考えます。今日も持ち場で頑張りましょう。実際に企業に所属しながら学位取得ができそうかどうかは、なかのひとと繋がりを得るか、無理なら学位論文のデータベースを検索して謝辞を見るとよいです。企業所属であれば、十中八九勤め先への謝辞があります。制度は変わるものですが、将来の立ち回りを考慮した勤め先のスクリーニングには使えるでしょう。

原著論文は、たくさん読んできたはずなのにうまく書けなくてびっくりします。仮説がクソだと実験成果もクソになって #クソ論文オブザイヤー になってしまいます。仮説の解像度が高いことの重要性を嫌でも実感します。が、一方でクソでも通れば論文である、という開き直りで何とかなったりします。こうしてスペースデブリみたいな論文が沢山できてしまうんだな…というのを追体験しながら悲しいリバイス(修正要求)に粛々と応え、原著論文を完成させます。学級タブロイドを濫造してすみませんでした。

要件を満たすだけの原著論文が受理されたら、一編のストーリーとして学位論文を執筆します。原著があるのでここは楽です。1日あれば書けます。審査に足る構成にできる原著論文を用意できるか、のほうが重要だと考えます。

私は能力が少し足りなくて、要件を満たすまでに 10 年の歳月を要してしまいました。仮に課程博士であれば最短で27歳。一方、私は30代半ば。この間に登り基調の主要なライフイベントが詰まっていたわけで、色々考えさせられます。要件を満たしたら、申請候補に正式にアタックし、審査してもらえるか判断いただくことになります。無事、学位論文に値する(審査してあげる)ということになれば、次のステップに進めます。残念ながら基準に満たなければ、次をあたりましょう。お祈り文化はここにもあります。

iii)審査を受けて合格する

審査してもらえることが決まると、大学事務から募集に関する手続きを案内してもらえます。所定の書式を埋め、提出します。住所のほか、戸籍謄本なども必要なので、ホームレスの方は事前に住所を用意しましょう。同時に、審査いただく先生(主査と副査と呼びます)にご挨拶に行くとよいと思います。審査に向けて、プレゼン資料や学位論文の原案に対する修正指示に対応します。必要に応じて学力試験に向けた勉強をします。学力試験と論文の審査に無事合格したら、お疲れ様でした。学位記ゲットだぜ!

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4.その博士は損か得か

勤め先では、取得前後で給与の変化等はありません。機会に関しては、前述の海外のお相手とお仕事をする機会に活かすことがあるかな、といった感じかと思います。いずれにしても、勤め先が学位取得を最大限支援してくれたことに大変感謝しています。要した年月や失ったものに対して見合うものだったかの見極めはまだまだ先と思います。要件を満たすまでの 10 年、色々なことがあります。生活壊してまで取るほどの価値はないかなと。定時でお勤めしながらのんびり取る、そのくらいのスタンスで取り組むのが令和の時代にはマッチするのではないでしょうか。こういったことからも、博士号は足の裏の米粒、という使い古された言葉の真実味を感じます。単純に、論文残せてよかったな、という安堵感が得られること、そういう個人的なものなのだろうと考えています。

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5.で、博士をとるなら課程と論文のどっちがいいのか

企業勤めで論文博士をとった立場から、考えられるプロコンを並べることができます。課程博士に関しては経済的な懸念が大きく、論文博士に関してはそもそもとれない懸念に加え、ライフイベントとの兼ね合いからくる心理的負荷、が挙げられそうです。自身の価値観に合わせてどうぞ、ということになります。これらの情報を総合して、もし私が有能だったら、迷わず課程に進んで企業勤めを目指しただろうと思います。経済的な懸念よりもずっと大きな問題が、歳を重ねるにつれて露見してくるからです。若さとは、自分のことさえ考えていればよいことと同義でもあるのです。

i)課程の場合

<よいところ>

制度に左右されずに学位取得が可能

ストーリー性が高く、深掘り度も高い研究が可能

取得時の年齢が若く、ライフイベントもまだそれほどない

<懸念があるところ>

経済的な負担(3-5年分の経済的利益を逸失)

アカデミア、インダストリィに関わらず就業に関する競争が激しい

ひどいラボに入るとむしょくリスクさえある

ii)論文の場合

<よいところ>

経済的に悪くない身分で取り組める

課程に比べて費用も格安

<懸念があるところ>

プラン実行に不確定要素が多い(論博制度の廃止、社業の利用制限など自分でコントロールできない)

取得までに時間がかかりすぎる

ライフイベントが多い年齢に取り組まざるを得ない心理的な負担が大きい

課程博士への進学を考えている方、論文博士の取得を考えている方の参考になれば幸いです。

それでは。

※社会人特別選抜制度は割愛

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