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んで、今どこにいるの?

コンビニで買った菓子パンを食べる時って、それを作る工場の人たちの事を意識するってあんまりないじゃないですか。それと同じように、漫画家という職業だとか描いている作者の事など考えずに漫画を読んでいた俺に、「これを描いている人がいるんだな。」と、当たり前の事を気付かせてくれた作品が、昨年亡くなったさくらももこ先生が描かれた「ちびまる子ちゃん」でした。

素朴で味のある可愛らしい絵柄で描かれたエッセイ調の漫画の中には、作者であるさくら先生自身のエピソードが数多くあって、その中で漫画家になろうと奮闘する姿も度々登場するんですよね。そういうお話の数々を読んだ俺は、ただ漠然と好きだった「絵を描く」という行為に、何かぼんやりとした目標のような物を感じ取ったんですよ。ああ、こういう職業があるんだな、楽しそうだな、と。

それまでは、思い付いた物を適当に描いていただけだったのが、こうすると漫画っぽい!とか、漫画だとよくこういう表現をしてる!みたいなのを意識するようになり、そしてそこから徐々にノートに鉛筆で漫画の真似事みたいな物を描くようになり、中学生くらいになると自分のお小遣いで漫画用の紙とかペンを買って使ってみたりするようになって。…多分この辺は身に覚えのある人も結構いそう。そうそう、スクリーントーンってこんな高いの!?とかね。

そうこうして時は流れ、高校を出てどうにか社会に出て…で、気付くんですよ。あれ?ちょっと待って!社会に出ちゃった!と。大人になったら漫画家になってるハズじゃなかったの!?と。

一応これでも学生の内に何度か原稿を完成させてどこかの出版社の新人賞的なやつに応募してみようかな~、くらいには思ってたんですけど、思ってただけっていうか、中途半端なまま完成させてなくって。鉛筆で描いたネームみたいな漫画が出来たらそれを友達に見せて、適当な感想を貰ったらそれで満足しちゃったりしてたんですよね。この辺もあるあるじゃないかなって思うんですけど。

そうして会社に勤めながらもそれでもまだ漫画を描こうとどうにかペンを動かしている日々の中で、ふと思うんですよ。

「これも、いい思い出じゃないのか…?」と。

簡単に言えば諦めたわけなんですが俺の中ではそういう単純な物ではなくて、何ていうかこう、思い出にする事を選んだって感じなんです。

例えばどうにかこうにか漫画を描いてそれを何かの賞に応募して、何の賞にも引っかからなかった場合。1度や2度どころか、何度回数を重ねていっても何の賞も貰えなかった場合。そこで俺が手にするのは「あなたにに才能はありませんでした。」という、救いのない無慈悲な現実だけなんです。そりゃあ努力も根性も熱意も足らないってだけの事かもしれませんよ。でも、自分が子供の頃から夢見ていた物が、時間をかけて思い描いていた物が、こちらをチラっとも振り向いてくれる事もなく、ただただまばゆい光を放ちながら遠くへ行ってしまうだけなんじゃないのか?って考えたら、俺にはそれがとても怖い事に思えたんですよね。

でもここで挑戦しないという選択肢を選ぶと、希望とは呼べないかもしれないけれど救いのある何かが手元に残るんです。それは「もしかしたらあの時本気で頑張って何度か賞に応募していたら、漫画家になれたかもしれない。」という、たられば話。現実を突き付けられるよりも、あの時ああしていればなぁ!と、友達と酒を飲みながら話せたら、そっちの方が傷付かずに済むしいつまでも夢を夢として見続ける事が出来るんですよね。例えそれが正しく美しい事ではなかったとしても。

努力って報われる物だとは思うんですが、そこにセンスや才能みたいな物が絡んでくると、実際ちょいちょい報われなかったりする場合があるじゃないですか。もちろん何事においても努力や頑張りを重ねなければ形になる事もないので絶対に必要な要素ではあるんですけど、「徒労」という言葉が言葉として辞書に載っちゃうくらいには、重ねても形にならないっていう事もあるんですよね。それに比べたら「思い出は思い出のまま、あこがれはあこがれのまま。」の、なんともまあ優しいぬるま湯加減ときたら。何なのこの温水プール、もうずっと入っていられる。おうち帰りたくない。

…という俺が、あんな仕事をしたりそんな会社に就職しながら、給料を払ってくれない会社に見切りをつけて無職になって、金もなく持て余した時間に自暴自棄気味に描いた4コマをTwitterで披露したらいつの間にか連載をいただく事になったりするわけだから、何か、結果オーライ的な形にはなった?の?かな?その辺は今でもよく分かんない。だって本来努力や根性や熱意で掴み取るはずだった物を、体感的には運で手に入れちゃった感じがするから。

ただ、今こうして漫画家…って言っていいの?コレいつも引っかかるんだよなあ。胸を張って自分の事を漫画家です!って言えない感じ。それこそ、ポロっと手に入れちゃった肩書きだからだと思うんだけどまあそれはともかく、日々4コマを描いてると気付かされるんですよね。「あ、ここ全然ゴールじゃない!」って。あの頃おっかなびっくりしながら結局いい思い出って事にして逃げ出した目標が全然最終到達地点でも着陸地点でもないな、って。だって星デミ+を描かせていただいているリイドカフェだけを見ても物凄いセンスの持ち主たちの中に紛れ込んでいるわけだけど、もっと視野を広げたら、もう何をモチベーションにしてるんだか一切想像がつかないくらいの大大大先生がゴロゴロいるんですよ。そんな所に何かの間違いで俺みたいなのが迷い込んじゃったわけ。何なのこの広過ぎるダンジョン、もう逃げ出したい。おうち帰りたい。

多分ね、俺はバチが当たったんだと思うんです。臆病になってはあらゆる場面で逃げ続けて何もしない事を選んでばかりいる俺を見た神様が、もういい加減目に余って「言い訳ばっかグダグダ言ってねえでやってみろよオラァ!」って、俺という名の桃色の菊門に4コマという名のそそり立つ天罰棒をぶち込んで来たんですよ。ローションもなしに。もう辛いし苦しいですけど、ヒイヒイ言いながら描いてますよ。毎日、ね。

こんな事ばっか言ってたらまた別のバチが当たりそうなので、今日はこの辺でやめておきましょうね。神様、明日もよろしくお願いします。

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