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次の一手を模索中【2】グレーゾーン~余病

 幼稚園から小学校にかけてのことです。ここからは初めて触れる話になります。グレーゾーンの母は基本ひとりだという話と、カーブは思いもよらない方向から曲がってくるという話。

 根治手術をクリアし、幼稚園に通い始めた娘3号。公園遊びなどできなかったため同年代の子たちと接するのはほぼ初めて、うまく仲間にはいれるか心配でした。しかし、年長者(下は姉の友達から、上は近所のおばあさんまで)に可愛がられる生活を続けてきた彼女には、いつの間にかハムスターのような「小動物的ななにか」が備わっており、引っ込み思案で口数は少なかったけれどわりと順調にお友達の中に入れたように思います。

 ことあるごとに主治医の先生から言われていたのが「心臓は手術でちゃんと直っているから、普通の子と同じように生活できるよ」という言葉でした。生後すぐ入院した時から同室だった子とよく比較されて、「○○ちゃんに比べたら、3号ちゃんは大丈夫だから」とも言われました(その子はご両親の意向で当時としてはかなり早い年齢で根治にチャレンジしたが、重い心不全が残ってしまっていた)。

 でも、お友達はみんな、当たり前に走ったり飛んだりしています。かたや3号は、つい半年前にようやくアパートの駐車場までの50mを歩けるようになったばかり。そもそもの基礎体力が全然違います。そして、彼女の成長と同じ速さで回りのお友達も成長していきます。差はなかなか縮まりません。体調を崩して休むことも多く、主治医の先生にそう言われるたびにジレンマを感じるも反論する元気もなく、「はあ……」と生返事をしながら「いやそれ、けっこうむつかしいですよ」と心の中で呟いておりました。

 それでも2年の幼稚園生活を経て、ようやく治した心臓が身体に馴染んできました。小学校入学です。この時点での彼女の状態は、心臓の機能は健常児のだいたい85%くらい、運動制限はレベルD。持久的な運動はすぐ息が切れてしまうので続けることが難しく、縄跳びはNG、走るのは校庭一周が限界。球技でいえば、パス練習はやってもいいけどゲームには参加しないでね、という感じでした。先生や学校にも説明が必要でしたが、何より本人にきちんと理解させる必要があると思い、2つのことを約束させました。

(1)「キツイ」と思ったらすぐ休ませてもらうよう自分で言うこと

(2)できることは一生懸命やること

 「無理をして具合が悪くなったりしたら、先生もお友達もびっくりするし、病院だって他に具合悪い子がいっぱいいるんだから、いつでもすぐ入院できるとは限らない。だから自分で気をつけて、無理はしない。その代わり掃除とかほかのことでできることは、まじめにやんなさい。病気を言い訳にしないこと」

 幼稚園生活の中で、ほかの子にできることができない(主に運動系)ことには気づいていました。そのたびに「なんでできないの?」と悔しがり、それに応える形で病気のことを話していたこともあり、彼女は私の話を理解したようでした。学校の先生方にもご協力をいただき、小学校生活も比較的順調に滑り出せたと思います。今度はちゃんと入学式にも出られました。1年の終わりに転校することになった時、クラスのみんなからいただいたお手紙の中に私あてのものが一通ありました。ある子のお母さんからで、「うちの子は場面緘黙症で、学校ではひと言も喋らないのですが、3号ちゃんがいつも話しかけたり一緒にいてくれたりしていたと先生から伺いました」と感謝の言葉がありました。嬉しかった。姉たちやそのお友達からもらっていた優しさを、彼女はちゃんと次につなげていたんだと思うと、その成長がちょっぴり誇らしくもありました。

 しかしこの頃の母はと言いますと、常にもやもやしたものを抱えておりました。きっかけは入園よりずっと前、公園で顔なじみだった3号の同級生のお母さんと話していた時のことです。心臓が悪くてね、入園前にもう1回手術しなくちゃならないんだ、そう話した私は、彼女にやや強い口調でこう言われました。

「ねえ、なんでそんなに何回も手術しなくちゃいけないの?」

 一瞬言葉に詰まって、それから「……やらないと死んじゃうから?」と応えたら、今度は相手が口をつぐみ、その日はそのあと一言もしゃべってくれませんでした。

 その時、初めて気づきました。病気の子どものいる家庭では当たり前のように手術のことを話題にするけれど、健康な子の家庭ではそれは非日常なのだということ。こんな小さい子の体を何回も切るなんて、私には考えられない。声にはそういう咎めるような色がありました。私だって、何度も手術なんて受けさせたくない。やらなきゃならないから送り出しているのです。でもそんな気持ちは、今はたぶんそのお母さんには伝わらないし、伝えても共感してはもらえないのかもと思いました。それからは、ほかのお母さん方の前でも3号の病気のことは軽く触れるだけにするようになりました。話したあとのあの微妙な空気は、なんともいえない居心地の悪さだったから。

 そして3号はすべてにおいて、どちらかというと動きはスロー。特別教室への移動などは階段があるとなおさら遅れ気味になり、一緒に歩いてくれるお友達はいたけどイライラする子もいただろうと思います。ですから私も娘も周囲に対していつも「ご迷惑をおかけして申し訳ない」という気持ちだったような気がします。

 一方、検診に行けばたくさんの通院中のお子さんに会います。ケアの必要なお子さんも多くて、お世話するおかあさん方のご苦労はいかばかりかと思います。それに比べると3号は、検診も2ヶ月〜3ヶ月に1度、服用している薬も少なく、自分で通学できているし、体調も悪くない。先生は相変わらず「まあ、普通の子と同じように(以下略)」とおっしゃる。この頃の我々母娘は、日々の些末な心配ごとは言い出しにくくなっていました。

 右を見れば、なかなか健常児のみんなと同じようには生活できない。左を見れば、療育児のみんなのがんばっている姿があり、それとわが身を比較すると、些細なことかもしれない不安や心配を声にするのははばかられてしまう。グレーゾーンにいる私と娘は、どちらの世界とも距離があって、ぽつんとひとりでいるような、どちらに対しても「申し訳ない」という気持ちを抱きながら生活していました。過ぎてきた今なら、自意識過剰だったのでは? なんて思えるけれど、そのただなかにいる時はそうは思えませんでした。だから、もし今同じような気持ちになっている方がいたら言いたいです。「グレーゾーンはグレーゾーンなりに別の種類の心配や気苦労があって大変なんだよね」って。


 さて、娘は3年生になりました。相変わらずやせっぽちだけれど運動会の徒競走では万年ビリを返上して3等賞になり(みんなで歓喜)、お友達と公園に遊びに行くことなども増え、楽しく学校生活を過ごしていました。ところが、異変は全く予想もしていなかった方向からやってきたのです。

 小3の6月頃。「腰が痛い」と訴えることが多くなりました。痩せていてお尻の肉がないので長時間座っているのは苦手でしたから、「尻が痛い」じゃないのかなぁ、などと思いつつ、もうちょっと肉をつけろとか成長痛じゃないのかとか言っていましたが、辛そうだしなかなか解消されず、だんだん心配になってきました。検診の時に先生に相談しましたが、「ん〜、心臓の調子は良さそうだけどねぇ」と、いつもの反応。いやぁ、なんかおかしいと思うんだけどなぁ‥。

 自分の勘をもっと信用すべきでした。検診の間が空いていたのも、毎回レントゲンじゃなかったのも不運でした。主治医の先生が異変に気づいたのは半年後。突発性側弯症でした。ようやく別の病院の専門の先生に見てもらえた初診で、そのままコルセットを作るよう言われ、あれよあれよという間に型を取られました。持ち手につかまって胸からお尻まで、石膏のついた包帯で身体をぐるぐる巻きにされながら、「なんで?」ととまどいの表情を見せている3号を、笑ってごまかしている自分に激しく怒りを感じていました。ごめん。私がもっと早く、もっと強く先生にお願いしてたら、こんなことには‥。

 心臓が馴染んで、身体が成長し始めたのと同時に急激に背骨が曲がり始めたようでした。あまりひどくなると歩けなくなることもある、車椅子になってしまうこともあるとのこと。これ以上曲がりが進むのを防ぐために、3号は硬い大きなコルセットを常時装着しなくてはならなくなりました。

 側湾症という病名は見聞きしたことはありましたが、こんなに早く背骨の曲がりが進むなんて思いませんでした。心臓の奇形が関係したのかもしれません。でもこういう症状の出方は、娘の通っていた病院ではあまり見られないことだったようで、先生方もほぼノーマークだったみたいです。そうですよね、循環器は専門だけど、ほかの科の病気ですもの。判断は難しいだろうと思います(でも、気づいてほしかったけど)。

 ですから、心疾患をお持ちのお母さま方も、そのほかのお母さま方も、どうか気をつけてください。腰が痛いとお子さんが言ったら、側弯症を一度疑ってみてください。こんなに進みが早いのは珍しいかもしれないけれど、私のように気づいたときには遅い、なんてことになりませんよう。

 薄っぺらい身体をコルセットで締め付け、ようやく動かせるようになった身体にまた制限がかかることになってしまいました。体育の時間だけ、保健室で着脱することになり、養護の先生にもご迷惑をおかけすることになってしまいました。通う病院も増えてしまいました。私もへこみましたが3号はもっとへこんでいたと思います。胸の傷が擦れて、キズパワーパッドを常備せねばならなくなったけれど、それでも気を取り直して、不便ながらコルセット生活にも徐々に慣れてきました。母は改めて思いました。

「私も娘も、病気とは一生付き合っていかなければならないんだなあ。心臓だけじゃないんだ」と。

 この言葉はこの後、後悔とともに何回も私の中で戻ってきます。

                              ≪続≫

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