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次の一手を模索中【1】誕生〜根治手術

 3番目の娘が20歳の誕生日を迎えました。先天性心疾患〜根治〜余病併発〜再手術〜予後不良〜1級手帳持ちとなかなかのハードルートを辿っております。反省と自戒を込めて。長くなりそうなので何回かに区切ります。お付き合いいただければ幸いです。

 20歳のお誕生日おめでとう。よくここまで育ってくれました。そしてよくここまで育てました、私(誰も褒めてくれないので自分で褒めときます)。かなりの “long and winding road” で、あちこちあたって車体はボコボコ、エンジンはポンコツだけど、とりあえずあなたはまだ自分の足で人生を走ってます。それだけでえらいよ。

 あの日、朝方に生まれて夕方にNICUに連れて行かれ、そしてあなたに宣告された先天性心疾患という病名はわたしたちにとってまさに「青天の霹靂」でした。こんな小説みたいなことが自分の身に起こるなんて。3回目の妊婦生活は余裕だったし、検診でもなんの問題もなかったのに。何が悪かったんだろう。泣きました。でも面会に行ったNICUのあなたは思いのほか元気で、私のおっぱいを吸うその力強さに驚き、そして「泣いてる場合じゃない」と思いました。神様が出してきたこの宿題はかなり難しい。けど、この子はウチを家族に選んで生まれてきてくれた、あのお姉ちゃんたちの妹になりたくて来てくれた、これを育て上げんでなんとする?! ――そこがスタートでした。問題が難しいほど燃えるタイプでよかった。

 乳児期の発達は上の二人とあまり変わらなかったけど、立って歩くまでに時間がかかり、ずっと座ったまま尻で這っていて、「いやその方が大変じゃね?」と突っ込みたくなりました。ようやく1歳7ヶ月で歩き始め、その時に初めて「ああ、この子やっぱり健康な子とは成長時間が違うんだ」と実感。病気のことを私なりに納得するまで2年かかりました。往生際が悪かったなあ。1歳までに2回応急処置的な手術を受けたけれど、そのあとは特に入院することもなく、何より姉たちが愛情いっぱい注いでくれたので、体格も同じ病気の他の子たちよりは大きめに育ちました。でも息が切れやすくてすぐ「抱っこ」だったし、食事にすごく時間がかかりました。ものを食べることが疲れることだとは、健康な自分には想像もつかないことでした。今も小食です。

 16年も前、今ほどネットが日常的なものではなく、先生たちもあまり詳しいことは教えてくれない時代でしたから、私は彼女がどれほどの病気なのかあまりよくわかってませんでした。それでもやっとのことで探し出した子供の心臓病の本を何回も読み、だいたいこれかな~とあたりをつけ、その日を待ちました。今は医学の進歩のおかげで根治手術の時期もずいぶん早くなっていますが、彼女が根治を受けたのは4歳2か月、病名は「修正大血管転位」でした。成長具合が良かったせいで、より難しい手術(ダブルスイッチ)にトライすることになりました。

 朝の9時に手術室に入り、手術が終わったのは日付が変わって次の日の朝4時半。長かった。もう戻ってこないんじゃないかと半ば覚悟していましたが、先生方も彼女も頑張りました。再び会えた彼女は、大量の輸血と輸液で心臓がむくんでしまったせいで胸を閉じることができず、滅菌ガーゼで胸部を覆われておりました。「うわぁ……こんなんありなんか……」でも生まれてからずっとチアノーゼで紫色だった手足の小さな爪がきれいな桜色になっているのに気づいて、嬉しくて胸がいっぱいになったのをよく覚えています。

 入園式には間に合わず1ヶ月ほど遅れたけれど、予定通り幼稚園にも通い始めることになりました。でも、根治手術はゴールじゃなかった。むしろ、ここがスタートでした。

                                ≪続≫


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