Twitterってそんなに偉い?

タイツがどうこうで燃えてるらしい。まあタイツというのは基本女性がはくもので、イラストも女性向けにすれば良かったのではとは思う。ただ、そこで性的消費がどうとか言われているが、その気持ちがよくわからない。そりゃ学校や職場のような公的空間で扇情的な写真やイラストがでかでか張り出されていたら不快に思って当然だろう。なぜなら、そこにいる他人というのは、自分がその人を選んだわけではなく、不可抗力でたまたま一緒に過ごしている人であるからだ。

ところがTwitterは違う。自分のTLに表示されるのは自分がフォローした人のツイート、RTがほとんどだ。(たまにいいねだけで表示されることもある。これでいったいどれほどの人が顔を赤らめたのだろう)広告も表示されるが、あれは自分に興味のあるものが主であるし、なにより気に入らなかったら独裁スイッチのようにブロックして消し去ることができる。これらを踏まえると、Twitterというのは私的空間の割合が高い場所だと考えられる。

扇情的なイラストが目に入ったなら、そのイラストレーターを、あるいはそんな画像をRTするフォロー者をミュートなりブロックすればいいわけで。そういうことをせず騒ぎ立てるのは、言うなれば、家で一人でアレな漫画を読んでいる最中に誰かが壁を突き破る。そしてその誰かが「そんな本を読むのは子供の教育に良くない、性的消費だ、やめろ」とずけずけ言い放つようなものである。自分が言われる立場になったら、勝手にさせてほしい。そう考えるに違いない。プライベート空間に口出されるのはいかんともしがたい不快感があるのだ。

ところが最近、Twitterがどうにも公になってきている。デモ活動を行ったり、デマゴーグを行ったり、そして世論としてメディアで取り上げられるようになったり。そんなにTwitterは偉いのだろうか。どんどん堅苦しくなっているように思えてならない。やはり人間、場所さえあれば論争を始めてしまうのが、コーヒーハウスから続いた近代民主政治の特徴なのだろうか……。

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