文化としての東方project

「○○の流行で東方はオワコン」。こう言われ続けて何年たっただろうか。毎年言われ続け、それでも毎年跳ね返して流行り続けてきたコンテンツだ。今年で言うならば、「ウマ娘の流行で東方はオワコンwwwww」だろうか。(いつもの)(確定演出)(一年ぶり15度目)(ボジョレーヌーボー)


https://twitter.com/kaiuzMP/status/1374039283909107712

裏を返せば、オワコンと言われても廃れないと皆が思っているからこそ、ネタの意味を込めてオワコンと呼ばれるのだ。本当に終わりそうなコンテンツにオワコンとは面と向かって言えない。翔んで埼玉の舞台に、本当に部落差別が存在していた地方でなく、差別と縁がない埼玉が選ばれたようなものである。


さて、そんな東方が廃れない理由としてはいろいろとある。まず一番大事なポイントが、公式からの供給が継続していることだ。どんなに良コンテンツでも、公式からの供給が途切れてしまえば凋落していく一方である。しかし東方は原作のSTG、格ゲーはもちろん、書籍も充実(これは厳密にいえば二次創作なのだが)している。神主のバイタリティには敬服するばかりだ。

続いて、二次創作の広がりだ。今でも継続的に、漫画、小説、アニメ、ゲーム等々の作品が日夜作られている。Twitterを日常的に運用している方は、東方のイラストが否応なしに目に入ってくるだろうし、最近ではソシャゲにも進出してきた。人々の日常に東方が侵食しているのは間違いない。特に私は、ゆっくり実況の存在が大きいと思う。「何で東方のキャラを知りましたか?」という質問に、「小学生のころ、YouTubeでゆっくり実況をみて」と答える人は多いだろう。かく言う私もその一人である。ゲーム実況だけでなく、最近では様々な解説動画にもあの饅頭たちは駆り出されている。知識があっても、口下手でうまく説明できない人に、ゆっくりボイスは自分の知識を披露する可能性を与えてくれるのだ。この広がりは当然だろう。

↑面白いよ

こうして様々なところで東方を知ることができるのだ。サブカル文化に多少なりとも触れた人間ならば、霊夢と魔理沙の名前くらいは知っているはずだ。

こうして広い門戸が用意されれば、後は、東方のどこにハマるか、という話だ。これも、様々な点で沼にハマってしまうような仕組みになっている。

単純にキャラが好き!という人、幻想郷の俗世から離れた世界観に憑りつかれた人、原作STGのルナティックノーミスノーボムに挑戦する人、同人誌を読み漁る人、コスプレをする人、ネットの小説を読む人、書く人、ソシャゲに廃課金する人、ゆっくり実況を観る、作る人。好きになるポイントが多すぎる。

こうして、ユニバーサルな人に受け入れられるのだ。もし機会があれば、博麗神社例大祭に行ってみると良い。小中高生のグループ多いから、マジで。(しかも女子も結構いる)

例大祭関連で少し同人誌の話でも使用。同人誌一つとっても、様々な種類があり、それがまた、多くの世代を引き付ける。ギャグもシリアスも、あまり大っぴらには言えないがR-18も。

こと二次創作においてR-18は結構重要な要素だと思っている。どんなに綺麗ごとを言っても、やはり人間は欲求には勝てないもので、エロがあれば群がってしまうのが悲しい男の性というものだし、そこに時間やお金を割いてしまうものだ。(女性絵師でめっちゃ性的なR-18書く方もいるし、面白い)        

東方projectはR-18と全年齢のバランスが絶妙である。同人誌で言うと、確か3割程度がR-18だったと記憶している。一方めちゃ高いのもある。お前のことだよプリコネ。

↑改めて調べてみると、こちらのデータが出てきた。東方は22パーで、思ったより低かった。ファン層の低年齢化が原因か。一方でプリコネは予想通りであった。この割合が様々な人の需要を取り込んでいるため、同人業界が長いこと続いているのだ。(あとはキャラの多彩さ、世界観の深さ、原作で多く語られないため想像がしやすいなどの理由もある)

その点を考えると、今大流行りのウマ娘はR-18が公式に禁止されているため、少々脆いところがある。これからある程度の期間、同人作品が登場するだろうが、勢いが続くことを願うばかりだ。


そんなわけで、東方が人々に自然と受け入れられているという話を長々と続けてきた。これらを踏まえて私が伝えたいのは、

東方って面白いよね!!!!!!!!!!!!!!!

ってことはもちろんなのだが、

「東方はもう文化なのではないか」

ということだ。文化の定義を「学問、芸術、宗教、道徳のように、主として精神的活動から直接的に生み出されたもの」(ニッポニカより)
とするならば、人々が考え、生み出し、それが重なって多くの人に根付いている東方projectは、もはや文化と呼んで差し支えないだろう。(文化に優劣をつけるつもりではないが、やはり多くの人に知ってもらうことが、文化として成熟していく必要条件であるとは思う。)

東方に限らず、サブカルというものは、われわれの想像より深く、若者と結びついて、文化として社会に受け入れられているのだと感じる。私の友人のプレイリストは、ミスグリや米津玄師と共にグッバイ宣言が入っていた。ブルーカラーのバイトで一緒になった、口が悪いヤンキーっぽい兄ちゃん(正社員)は、パズドラのガチャで爆死したことを隣の仕事仲間に愚痴っていた。

そうした文化の中に、東方projectが少しでも入ってくれるのなら、小5からずっと東方を追い続けた者として、無上の喜びを感じずにはいられない。


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