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今後のキャリアを考えるメモ

先日へべれけキャリア相談会でのお話をお聴きした後、AIの躍進や業界の変化に晒されている現状を振り返って、今後のキャリアや人生でやりたいことが定まってきたのでメモをとる。
また、現在ブランディングからアウトプットまで一貫して携わっている機会があり、その過程で社会に対してどのような価値を提供するか、人生をどう楽しむか考えるきっかけがあった。そこで、自身の考えを見直せるレベルで整理するために外部に発信する体でここに書いていく。

やりたいことは何か

誰もが自由に思想をつくり、交流して共存する世界にしたい
誰もの思想・主義・哲学を他人に言葉・演出・相互作用で伝えたい。そのために現状最も適切な手段であるWebを、"誰もが思想をつくる舞台"にする。そして、思想をつくる者とはクリエイターのことだと私個人は思っている。つまり、Webを"誰もがクリエイターになれる舞台"にする。
この考えは中村勇吾さんの発言が原型になっている。

「Webっていうのはコミュニケーションの舞台そのもの」
中村はウェブサイトの役割をただの情報発信の手段とはとらえない。インターネットだからこそ実現できる新しいコミュニケーションの舞台だと考えている。

プロフェッショナル仕事の流儀 第82回

Philosophy: A stage anyone become a creator

どうやるのか

Webを"誰もがクリエイターになれる舞台"にするためには、
まず"クリエイターになれる = 思想をつくる"とはどういうことかを伝える。それは、言葉・演出・相互作用などによって思想を具現化することである。
それらを漫画・バーチャル空間・Webサイト・VTuberなどあらゆる手段で伝えていく。最初に、自分が思想をつくる状態を体現していることが伝えるうえで最も伝わりやすい。そのために、仕事ではWebの受託制作でクリエイターの思想を最高純度に具現化して伝えるためのお手伝いをする。個人では漫画などを制作して自己の思想を発信し、思想を具現化することやその過程の楽しさを知ってもらい、クリエイターになる背中を押したい。

なぜやるのか

やる理由は、大きく分けて2つある。

1. 思想が見たい

1つ目は、クリエイター = 思想をつくる者に惹かれたから。思想とは人の持つ人格・哲学・主義で、どんな時代やどんな地域に生まれ、どんな人に出会い、どんな経験をしたかによって形成されるものだと解釈している。それは唯一無二のもので、その人をその人たらしめているものだと考えている。例えば映画で言うと監督をはじめ、脚本・演出・俳優・音楽 … エンドロールのように此処には書ききれないほどの様々な役職が存在し、それぞれが自己の思想を元により良い映画を作ろうとしている。私は映画のパンフレットなどに綴られたそれぞれの役職のこだわり、つまり思想に惹かれたのである。そんな思想は私の知らない世界や楽しさ、心を揺さぶる体験を与えてくれる。そして私は人々が見ている景色をもっと見たい、人々の思想をもっと知りたいと思った。いま、形として何かをつくっていない人にも大切にしている思想があり、それを言葉だけでない作品として思想が具現化したものが見たい。それが広がって誰もがクリエイターになる。そんな世界にしたい。

2. 競争から脱却したい

2つ目は、誰もが思想を自由につくれるようにしたいから。
そのために、今のクリエイターを競争社会から脱却させたい。競争というのは一時のコンテストやアワードのような業界全体の質を高める目的のものでなく、終わりのない、どれだけ儲けたかやどれだけいいねを貰えたかといった数字だけを追い求めて他人と比較して相手を打ち負かす目的のものである(勿論、数字を追い求めることが一概に悪ではないが、そのために思想を曲げるようなことは私個人は美しくないと感じている)。そんな競争社会では、どれだけ賞を貰ったかか・どれだけ儲けたか・どれだけ注目を集めたかでその人の作品が評価され、(賞も儲けも注目も、その作品が素晴らしいためということが往々にしてあるのは理解したうえで)現状では最も大切な思想が伝えきれていないのではないかと危惧している。そして素敵な思想と具現化された作品であっても、やれ数字が足りないだのやれ〇〇(系統の似た作品)の下位互換だなどと言われ、自分の思想をつくり世に出す権利が奪われているのではないかと感じている。学校や職場でのいわゆる暗黙的なカースト制度の風潮と表すと分かるかもしれない。そんな世界にしたくない。
この考えはアドラー心理学の解説本が原型になっている。

ライバルと呼ぶべき盟友の価値は、大いに認めます。しかし、そのライバルと競争する必要はひとつもないし、競争してはいけないのです。
アドラー心理学の提唱する「横の関係」を貫くのは、協力原理です。誰とも競争することなく、勝ちも負けも存在しない。他者とのあいだに知識や経験、また能力の違いがあってもかまわない。学業の成績、仕事の成果に関係なく、すべての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味がある。

自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ 幸せになる勇気

思想をつくり伝えるとは何か

目標の誰もがクリエイターになれる舞台とは、誰もが思想をつくり伝える舞台である。では、具体的に思想(人の持つ人格・哲学・主義)をつくり伝えるとはどういうことか。それは、社会に対して自分の考えていることや変えようとしていることを、クオリティー・ビジュアル・ストーリーを高めた作品をつくり広げることである。例えば、新海誠さんが監督の映画「すずめの戸締まり」では、新海さんの伝えたい思想をある種映画としてのエンターテイメントに昇華した物語をつくり、映画として社会に問いかけている。そこでは、脚本・演出・作画・音などあらゆるものが思想を伝えるための理由に基づいて設計されている。他にも、アニメ「響け! ユーフォニアム」では被写界深度やカメラワークによってキャラクターの心情を表したり、背景作画や手ブレ的表現で実在感を出したりと、その作品で伝えたい思想のために一つ一つの工夫が積み重なっている。最近では、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の演出解説を読んで、思想を伝えるための工夫に衝撃を受けた。
(下記リンクは Hiroshi_Yasuda さんのぼっち・ざ・ろっく!演出解説)

このような演出をはじめ、様々な要素を用いて思想を高い精度で発信することが、思想をつくり伝えることではないかと考えている。

なぜWebなのか

映画・動画・絵画・本・立体物・ゲームなど色々な媒体がある中でなぜWebなのか。最も適切な手段である理由とは。Webには、一方通行である他の媒体と違いインタラクション、つまりコミュケーションがあるからだ。クリック・タップ・スクロールへの反応といった小さなものから、言葉を交わす・仮想空間を自由に動く・商品を買うなど大きなものまである。そこには程度こそあれ閲覧者の意志、思想が介在する余地がある。それこそが制作者と閲覧者の思想が交わる舞台であり、思想をつくるだけでなく交流することができると感じている。そういった意味では、Web以外の媒体でゲームは近しい存在だと思う。"Detroit Become Human"という自我を持ったアンドロイドを操作し、プレイヤーの思想によって選択肢を選び、物語の結末が変わるゲームがある。この表現をWebに持ち込んだものが理想かもしれない。例えば、
"すごい明日体感ドラマ"というWebサイトは、ユーザーの選択によって動画の内容が変わる、インタラクションムービーを見られるものである。このサイトのように、特定のプラットフォームに縛られず、思想が交わる媒体としてWebが現状一番適切だと考えている。

対象は誰か

まずは誰に対してのフォーカスを絞って進めていく。アニメ・ゲーム・イラスト・VTuberといった二次元的なオタク文化、つまり空想や想像を形にしている、あるいはそれらが好きな人に主にアプローチしていく。なぜなら、それらは現実世界に存在しない自身の経験や想像から創られた、思想の反映された純度が高いものだと私個人は考えているからだ。無論それ以外のものにも純度の高い思想はたくさんあるが、私の人格を形成する上で影響を与えたであろうものがいわゆる二次元的なオタク文化であり、その界隈に対しての親近感と報恩したい気持ちが特段強いからである。
二次元的なオタク文化というと定義が難しいが、少年期の私に影響を与えた作品を例に挙げると解像度が上がる。まず挙がるのが"PLUTO"という漫画で、この作品でロボットの定義や自己のアイデンティティや感情・国家間紛争・哲学的なことなどを考えるきっかけになった。他には"放浪息子"という漫画で、この作品で自分らしさや他者との違い・自由などを深く考えるようになった。他にも漫画では"ブラック・ジャック"や"火の鳥"、ビデオでは"ほしのこえ"、映画では"スターウォーズ"や"千と千尋の神隠し"など、列挙できない数の作品がある。それらに共通して言えることは、社会に対しての問いが前面に出ている(と私個人が感じている)ものである。

なぜ思想をつくることにこだわるのか

幼少から少年期にある種の閉鎖的で抗えない状況があり、唯一自身の意見を表せられるのが美術の作品だった。アイデアも技術もそこでは相対的に良かったため、それこそが自身の存在意義だと思った。しかし美術的な専門学科の高校に入ると、それが間違いであることを痛感した。そこでは時間をかけて唯一無二の表現をして他者に認められようとしたが思うようにはいかなかった。その時にそもそも他者に認めらるように思想を曲げるのではなく、自由に自身の思想を表現すること、それができる環境が大事だと思った。

ここまで振り返り、Bees&Honeyの今村さんのカンファレンスでの講演をもとに、自分は何者なのかを考えてみた。

Roots 起源

When どんな時代に生まれ育ったか

いわゆる"Z世代"。パソコンやインターネットが身近にあって、それらを使って情報を得たり交流したり制作をすることが当たり前だと感じていた。

Where どこの国や地域で過ごしたか

日本の中部地域。閉鎖的で保守的な文化を感じ、それに対して自身の価値観では違和感を抱いていて、打開したいと思いながら過ごしていた。

Who どんな人と出会ったか

クリエイターを応援したい人・徹底して理論を詰めて物事を進める人・誰に対しても分け隔てなく接する人・一つのものを追求する人 などなど。

Personality 人格

Archetype 

自己解釈的アーキタイプの割合。書籍"ブランド・アーキタイプ戦略"参考。
創造者 40%, 魔術師 20%, 無法者 20%, 探検家 10%, ありふれた男女 10%

Preference 嗜好

もっといろんなジャンルの嗜好を探っていく必要がある。
※敬称略。

Movie

  • STAR WARS(ジョージ・ルーカス)

  • 千と千尋の神隠し(宮崎駿)

  • すずめの戸締まり(新海誠)

Comic

  • PLUTO(手塚治虫×浦沢直樹)

  • 放浪息子(志村貴子)

  • ブルーピリオド(山口つばさ)

まとめ

結局のところ、自由な思想を表現できて互いに共存できる世界にしたいよねっということが人生でやりたいことであり、キャリアにつながると思った。人それぞれ思想は違うから、同意はしなくても互いに侵害しない道を探り、歩み寄って理解を深めていけるようにしたいと考えている。そのために思想を高い精度で表現できる技術を身につけ、それを伝えていくことが必要だと認識している。また、仕事という意味でのキャリアでは、ディレクションからアウトプットまでを一貫して行うことで依頼者の思想を高い精度で伝えられる価値を提供していくことを目指そうという結論に至った。そしていわゆるオタク文化のクリエイターにフォーカスを当てた理由は、思想が自由に表現できることと、私個人の思想に大きな影響を与えた文化であること。その文化を大切にしたい。
AIの躍進を感じて改めて自身の存在意義を考えて振り返り、ここにメモとして自身の思想を整理することで、方向性を言語化できた良い機会になった。


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