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人生の100のリスト -ロバート・ハリス- 潜在意識が書き換わるリスト作成-No11-

人生の100のリスト -ロバート・ハリス- 潜在意識が書き換わるリスト作成-No11-

田舎暮らしをする。
この願望には、いろんな自由を得た後でないと叶わない。
現時点で、この4つが考えられる。
いずれも、
いつかは解決できる問題だとは思うが、今すぐにとはいかないものだ。
・理解
・お金
・時間
・社会活動
と、その前に
具体的にどんな田舎暮らしを望んでいるのかというところなのだが、
そのあたりから話したい。

ひとことで、田舎といってもいろいろだ。
郡山市の郊外がいい。とかそうゆうものではない。
数年前から目指している田舎暮らしは
『桧枝岐村』と決めている。
なんどか遊びで行ったぐらいなのだが、
福島県内でも、
ちょっと特殊な地域だと自分では思っている。

郡山市から行くとなると、
移動費時間でざっくり3時間ぐらいはかかる。
会津若松から田島方面へ。
田島から南会津方面へに行き、桧枝岐村。
天栄村の方から南会津に向かうとか、
白河方面から南会津に向かうなど、
ルートはいろいろあるが、
どのルートでもだいたい3時間程度となる。

尾瀬の玄関口と言われるだけあって、
かなり山深いし、冬場になれば豪雪地帯と言える。
買い物なども、不便ではある。
村内にコンビニはないし、
ベニマルやビッグのような店舗もない。
知る限り、まともに買い物をしようと思えば
田島ぐらいまで足を延ばさないと難しいいだろう。
ただ、ガソリンスタンドは村内にある。
村の補助金があるとかで、郡山市よりは少々安かった。
遠隔地特有の補助金制度なんだろう、
輸送コストがそれだけ大きいのだと思う。

その他、店舗といえば
民宿や温泉。
おみやげ屋さんのような店であり、
生活必需品は村内で調達しきれないぐらいだ。
学校も中学校までしかない。
高校になると、会津若松市などに
下宿して通学することとなる。
なぜ、そういった秘境のようなことろに行きたいかというと、
桧枝岐村の歴史から
平安時代、戦国時代、江戸時代と
それぞれの時代において、
社会から隔離されたような秘境を求め、

移住者が村を作ってきたという歴史がある。
だから、桧枝岐には、
会津地方独特の方言がなかったりする。
年配の方でも、あまり『なまり』がない。
現在社会が忘れてしまっているような
温かさだったり、時間の流れ。
非日常を、感じることができるのが、
桧枝岐村だった。

また、郡山市ではなかなか感じることのできない
マウンテンビューにも癒される。
東北最高峰の『燧ケ岳』をはじめとした、
山々はとても印象的だ。
人というのは、自然の中に
存在させて頂いているんだと、
そんな気持ちにすらなる。
食べ物もどくとくな文化がある。
サンショウウオの燻製のようなものだったり、
水ゼリーという、不思議なゼリー。
かなり濃厚で、ちょっと高価なハチミツ。
お米が育たない環境なことから、
そばの文化が発達したれきしがあり、
桧枝岐のそばはじつに美味い。
また、桧枝岐村をはじめ
奥会津には、数々の温泉があり、
温泉好きにはたまらない地域だ。

しかも、村内の全世帯には、温泉が引かれているという
塩素臭たっぷりの、水道水のお風呂には入ることもなくなるだろう。
と、まぁこんな魅力あふれる、桧枝岐村での
田舎暮らしにあこがれるわけだが、
冒頭であげた、
問題をクリアしていかないと実現できない。
理解されること
家族。妻と娘だ。
妻には理解をえられるとは思う。
その他の問題をクリアしていければとはなる。
娘には、高校卒業後の進路にもよるが、
ついてくるか、ひとり暮らしか。
どのみち、社会に出てからでないと難しいだろう。
両親はちょっと問題だ。
桧枝岐となると、完全に遠くなる。
気軽に行くことは難しくなる。
今、すでに近くにはいないのだが、
だんだん歳をとってきていることは確かだ。
もしもの時には、、、などと
こちらとしても、いろいろ考えさせられる年齢になってきていることは確かだ。
お金の問題
とうぜんだが、お金はかかる。
家を購入しなければならない。
住環境を整えるのは、最低限必要だ。
生活費もかさむ。
自給自足でもしない限りは、買うしかない。
車での移動距離はふえるだろう。
仕事の問題
ここが理解されるかがかなり大きい。
仕事を桧枝岐村でなにか探すというのは難しいい。
多くの村民は、民宿やおそば屋さんなど
観光産業はさかんではあるが、
今からそれをやるのはどうかとおもってしまう。
むろん、軽食ていどの飲食店を妻とやるという案はある。
しかし、それだけで生計がたつとは考えにくい。
やはり、ネットで稼いだりしないと、
村内で収入を得るというのは限界がある。
ネットビジネスや、権利収入。
FXなど。
今やっている収入源をもっと育てていく必要があるし、
それが可能なぐらいの収入を得ていないと、
家族や身内の理解も得られないだろう。
社会活動
こちらも無視できない。
仕事と似ているが、
おそらく、この移住計画が本格的になるのが、
娘が高校を卒業する頃だろう。
そうなると、
ご近所方々や、学校関係者。
今まで支えてきてくださった人達とも
距離を置くこととなる。
会ったりできないわけではないが、
完全に地域の人間関係はムシできないのではないかもしれない。
それはそれで、その時に考えることで、今から何かするという事はできないことではある。
娘のこともそうだ。
娘が桧枝岐村には行きたくないといえば、
一人暮らしをさせることとなる。
それで本当にいいのだろうかという問題もでてくる。
または、県外の大学などに行くとかなると、
娘が帰省するときには、桧枝岐村まで帰ることになる。
郡山市からでも、アクセスは良いとはいえない。
なかなか結構大変だ。
まとめ
こうゆう事を総括すると、
現実的なことを考えると、難しい願望かもしれない。
しかし、この願望はいつか叶うであろう日を夢見ていたい。
もしかしたら、別荘という形で叶うかもしれないし、
または、別の土地に憧れるかもしれない。
私たち家族は
非現実的なことに魅力を感じるたちである。
時間とともに、1つ1つの願望を実現させていく中で
大切にしたい願望の1つが、この願望である。
chiakiでした。

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