読むだけで共感性が養われる記事

人は老いると他人に自分の昔話をしまくるらしい。
飲み会とかで上司が若い頃の話をする、アレね。
最初は休日何してるの?とか
趣味は何なの?とか色々質問してきて
あたかも僕たちに興味のあるような素振りを見せておきながら、「最近の若い子はそうなんだ〜」という相槌から始まり
「オレもお前らくらいの歳の頃はさ、」と綺麗に自分の話に接続する。
アンタが聞いてた音楽とか、当時の恋人の話とか、勤めてた会社とか全然興味ないわ。
初期のガンダムの話をするな。ファミコンがなんだ。時代はスプラトゥーン3だろ。
海外旅行がなんだ。僕はこないだの休みの日にバラ園行ったからな。めちゃくちゃ綺麗だった。クマバチばっかり飛んでて虫の羽音が未だにフラッシュバックするけど…

まあとにかく、人が人に対して昔話をするのは、"老いる"という現象によるものだと考えられがちだが
個人的には、人生のピークを一つ超えてから発生する
惰性の時期に起こるものだと考えている。
人によるが、20代前半の時期からガキの頃の話しかしないようなやつも見たことがある。
その人にとって、その人の中での人生の節目を一つ超えると
その頃のことを思い返したくなる。
自分の中ではその思い出こそがハイライトだからこそ
その思い出の良さ/悪さ/美しさを共感してもらいたい。共感というのは人が最も好む感情の一つだ。
メンヘラがツイッターでメンヘラ仲間と繋がるアレと同じだ。
メンヘラは人に迷惑をかけるな。
深夜に電話をかけてくるな。
22時には寝ろ。

つまり、日常でもインターネットでもなんでも、わざわざあえて知らない他人に自分のことを語る理由というのは「共感」に他ならない。
ただし、知らない他人の夢の話を聞いても微塵も面白くないように
「事実」に対して「実感」がないと共感は生まれない(※夢は事実ではない)。
それゆえに、人はSNSを作り、自分の経験した事実を共有できる人間を探し始めたのである。
いわば、人類はみな共感を求めるモンスター。
よりよい表現力で自身そして他人からの共感力を強めること、それこそが、インターネット/人口膾炙/人身収攬の成れの果てことバズリツイートなのである。

しかし、ごくごくたまにだが、共感力がさほど強くないが確かに面白い話をする人もいる。
持ち前の高い表現力で共感性の低い話題を大作に押し上げる異常者なんてのは例外中の例外だが、そんな技能を持っているわけでなくとも、面白い話をできる人がいる。

それが「好きな人」だ。
人は「好きな人」に対しての共感性が留まることを知らない。
LOVEとかLIKEとかそういう話をしたいんじゃなくて
気が合う人、仲のいい家族、いつも一緒にいる人、ツイッターのフォロワー、などだ。
好きな人との話題は、どんな内容でも面白いもんだ。
みんなはそんな人、思い浮かんだ?
ちなみに僕は学生時代クラスで浮いてました。


あと、学生時代で思い出した。
散々前置きした上で情けないんですけど、一個昔話いいですか?

中学の頃、授業の合間の休み時間中、唐突に隣の席の女に青ペンを奪われた。
当時の青ペンは羽島市では希少価値が高く、一つ持っているだけで大きめの家を買えるほど高価なものだった。嘘だが。
その奪った青ペンを自分の胸ポケットにしまって「とれるもんならとってみて」と一言。
内心ドキドキしながら、おそるおそる取りに行こうとしたらそのまま返してきた。以上。それだけです。
マジでなんの話だったんだ。

あと最近そいつに「あつ森買った?」ってLINEしたけどいまだに返信がない。
以上。それだけです。
マジでなんの話だったんだ。

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