8月12日

「なんか久しぶりに会ったけど
 食べ方汚くなったなあ、と思った」

休日、梅田駅前。
二人で入った定食屋で昼ごはんを食べてるとき、そんなことを言われた。

「そうかな?」
「うん」
「よくわかんない。前と変わらないでしょ?」
「ううん。でもそれでいいと思うよ」
「……なんなんだろう よくわからないな」

君は拗ねる僕から目を離し、スマートフォンに目を向ける。
鮮やかで赤色の唇とは裏腹に、それを携える表情は暗かった。

……今日は健やかな天気だ。
夏というよりは五月晴れのような、透き通った空だった。
例年、夏になるととてつもない蒸し暑さが日本全体を包むというのに
今年だけはどこか気温が涼しくも感じられた。


大阪に来るといつも思い出すことがある。初めて来たときのことだ。
初めて足を着いた新大阪駅のホームと、乗り換えた市営の地下鉄
待ち合わせにした動物園前駅、歩いて向かう水族館、5月にしては暑い気温
観光目的で立ち寄った新世界の街並み、目の前で喧嘩を始めるおじさんたち
ここは怖いところだと訝りながら飲んだ変わった味のジュース
促されるがまま引いた大吉の恋みくじ
何かをするわけもなくただゆっくり過ぎていく時間
夜になるまで歩いた道のり
一日を共にした遠い日の君……

日々を無駄に消費していく僕に、心の支えをくれたこと。
会うたびに関係性が変わって、次第にその境界が曖昧になっていっても
変わらず僕の相手をしてくれていたこと。
遠く離れた、顔も知らない友達との日常生活を教えてくれたこと。
君と過ごしてきた日々の出来事を思い出しながら、これら全てが今から過去形になることを悟った。

「……最近仕事が本当に辛くて」
「そうなの?」
「うん、そういうのもあるのかも」

情けない言い訳をしてしまう。
仕事が辛い。これが「食べ方が汚くなったこと」を説明できる理由にはならない。仕事はいつでも辛いものだ。
君からの僕の見え方が変わっていったのは、こうやって常日頃のように
本心と向き合わず はぐらかすような態度を積み立てていたからに他ならない。
君と目が合うことがなくなっていることに、僕は今の今まで気づかないでいた。

「……そう。それなら、私が支えてあげるから」
「……」
「だから大丈夫だよ」
「ありがとう」

傷つけないように、言葉を選ぶように
初めて会った時よりもよそよそしく、気遣いの言葉をくれる。

「……でも多分、もう僕らはダメなのかもしれない」

表情の変わらない君を見て、
それなのに「支えてあげる」と言ってくれた君を見て、
居た堪れなくなった僕は、頭に浮かんだことをつい言葉にしてしまった。

こちらに向きなおして君は言った。

「……そうなのかな」

「そうだと思うよ」

「私はそうじゃないと思うけどなあ」

君の視線は僕を見ているようで、どこか遠くを見ていた。端正な顔立ちは一向に表情を変える気配がない。

「……ちょっと今から歩こうか」
「えー、日差しが暑いからちょっとなあ」
「行きたいところがあるんだ」
「そうなの。分かった」

店を出て、電車に乗り
あの日、二人で通れなかった道を歩く。
帰り道、一人で歩いていたら迷い込んだ繁華街だ。

「どこに入るの?」
「……ごめん、特にこの店に行きたいとかは無かった。
 この辺りを一度歩いてみたかったんだよね」
「……そうなんだ」
「付き合わせてごめん」
「いいよ」

僕のわがままに付き合ってくれるやさしさに触れながら
街道沿いを歩いていく。
目的も用もなく、繁華街を少しだけ散策した。
都会の人波に飲み込まれ、危うくはぐれるところだったねと笑い合いつつ
いつも通りお別れの挨拶をして解散した。そしていつもより早く家に着いた。


その日からは、絶えずやりとりしていたお互いの近況報告もしなくなった。たまにくる連絡はバイトと友達の愚痴くらいだ。
通話をする機会も次第になくなり、日に日に僕の時間が増えてきた。着々と、君と会う前の状態に逆戻りしていった。
ただあの頃とは違って、君がいない夜に、僕は何をしていたのかずっと思い出せないままでいた。
9月が終わる頃には、めっきり会話をすることもなくなった。


10月の半ばになった頃、久しぶりに君の方から吉報が届いた。
溽暑を免れ涼しげな気候とともに、秋の訪れは
僕たちの関係性の終わりを告げた。
少しだけ考えて、どうぞ幸せになってくれと願いながら
返信はせずそのまま寝ることにした。

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