「いと・くうはく」に明確な目的はない
今日、くうはく時間を共にしてくれた方が
「わたしは目的がほしいから
なにしたいか考えてきた!」
と話してくれた。
この「いと・くうはく」という時間には
明確な目的ややることがないのだ。
それを投稿から気づいてくれたんやろうと思う。
なるほどそれもわかるぞと。
わたしだったら
こんななにするかわからない場所に
行こうなんて思わないという
圧倒的矛盾を抱えながら
「いと・くうはく」という場を
開いているんだけれども。
この「いと・くうはく」という場は
基本的にわたしのための場なのだ。
わたしは
「なにもしない」
「なにも得るものがない」
という時間が圧倒的に苦手で。
だからこうして人を集う、
まあちょっと違うけど
「イベントごと」とすることで
意図的にそういう時間をとっているのだ。
ので、
「なにをするの場なの?」
って聞かれても答えられないし
だから特段、
「楽しー!!!!!」
っていうものはたぶんない。
これだけははっきり言えるんだが
刺激を求めたいならば
別のところに行った方がいい。
だから
「なんも考えん時間が必要なのはわかってるが
ひとりだとワーホリ的に予定をいれてしまう」
ってひとが来たらいいのよね。
んで
こういう、わたしからはなにも与えない場だからこそ
「どんな場?なにする場?」
って聞かれても、平然と
「こういう趣旨の場だが、なにするかは適当」
とかって答えられる。
期待がないからだ。
趣旨は伝えるけど、別に理解されなくてもいい。
理解されたい、というのは一種の期待があって
それは疲れるものなんだなと思う。
とはいえ、
毎回絵を描きながら話すというのは
芸がないんだろうか
なんかおもしろいことを用意した方が
いいんだろうか、とかも思ったりした。
けどまあ話をするくらいなら
考えずに話すための手法として
絵を描くのがいいなと思っている。
なぜかっていうと、最終的に
「この人とはこんな絵ができるのか」
というのが楽しいからだ。わたしが。
というわけで
目的をもってきてくれるのもあり。
ちなみに今日はリクエストに応えて麻雀をした。
麻雀はいくらでもします。
別れ際、
「なにかお渡ししたほうがいいの?」
と聞かれた。
そういえばこういう感じの場だから
「料金は××です!」
とか書いてない。気にしてもない。
まずそういう発想がなかったことに気づく。
お土産をくれてもいいし
お金を置いてってくれてもいいし
物理はなにもなくてもいい。
わたしはわたしのしたいことをしてるから
全然気にしない。
ちなみに「SNSで感想書いて!」とかもない。
自分のための時間だから
別に宣伝するようなこともないからだ。
書いてくれたら
「あの時間はあの人にとってこういう時間だったのだな」
というのが見れるので楽しい。わたしが。
べつにその後の特典もないのでこれも自由。
というわけでわたしも毎週毎週感想を書かないことにした。
書こうかなと思ってるうちに一か月が経ってたし
書かなきゃいけないは容量を食う。
自分のための時間なのに
そんなストレス的容量をもったら本末転倒だ。
というわけで、
毎週月曜日西荻窪。
ファッションではない「くうはく」時間
をすごしたい方は、おいでませ。
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