演劇なんてしたくないという話

「私は演劇なんてしたくないんだ」

と私が言うと

「むっちゃんはアーティストだよね」

と、ささみさんからは返ってくる。


わたしはアーティストという言葉があんまり好きじゃない。

アーティストの存在とか単語かという意味ではなくて、

わたしにその枠組み・レッテルを貼られるのがいやなのだ。

っていうかアーティストだと思うなら思ってもらってもいいけど、「アーティストだよね」っていう決めつけてきな言葉のニュアンスもいやなのだと思う、今思えば。

で、なんでか、と聞いてみたら

「画家でもさ、『俺は絵なんて描きたくねぇんだ』って言うひといるじゃん。それの”絵”を”演劇”にしただけだよ」

と。


私は演劇がやりたいのではない。

自分が読みたいと思ったものを読みたいと思った通りにやるのが好きなのだ。

歌でも絵でもそうなんだけど、

簡単に言えば気分・感情が乗ったものではないとさっぱりやる気にならないのだ。

劇団員には、キャラクターの気持ちを考えたりとか表現したりするのが楽しいという人もいるけど、

わたしはやりたいと思ったキャラクターのことじゃないとさっぱり考えられない。

「何考えてるかわからん」

以上終了。

そして自分が思いついた流れじゃないとさっぱりやる気がでないのである。

詰まるところ、誰かと流れのすり合わせなんてできるわけもなく。

してきましたけど。

演出やほかのひとから意見をもらうのもいやで。

もらってたけど。

なお、自分から聞きに行く場合とか好きな人は除く。

ほかのひとからの視点がないと成長できないうんぬんかんぬん

子供じゃないんだからうんぬんかんぬん

みたいなのもよぎりますが


いやなもんはいや


現時点ではひとまずこれに尽きるのである。

大学時代は、自分の台本で自分の演出で自分が話したいことを話し自分が好きな曲を流しながら自分だけが舞台に立ち、ということをしていて、そのスタンスが自由で自由で最高に楽しかったのだ。

入場料がなかったからとか

客のことを考えてないとか

独りよがりとか

そんなことも思うけど

でもそれでも、私の作品が好きだと言ってくれた人がいた。

それは揺るぎのない事実なのだ。



私は演劇がやりたいのではない。

私はただ表現がしたいだけなのだ。

おまえのそれは表現じゃなくて表出だと理性がうるさいです。

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