自分の世界で完結している話。

ここに書いたかどうか覚えてないので、書くことにする。


先日、友人から踊りのコラボの話がきた。

月1で動画を撮ってアップしようか、みたいな話が出て、やだなにそれ楽しい、って容易に想像がついた。

そのとき友人から言われた言葉がこれだ。


むっちゃんは自分の世界で完結している


その通りだと思った。

自分の想像したものを自分の手で自分の思い通りに作りこむ。それ以上に楽しいことはない。

以前、この友人と共同画をしたことを思い出す。

わたしはただひたすらに自分の領域で絵を描いていた。

友人が描いた領域に立ち入ろうとはしなかった。

友人の子供がわたしの領域に入ってくることにもとても抵抗があった。

わたしは自分がつくった世界で満足していたのだ。

そしてなによりも、その世界が好きだった。

予想外の外的要因からその世界を壊されることを嫌った。


また別の話


インプロ、即興劇のWSに行った時の話だ。

誰かのアクションに対して、リアクションをする。

もうなんのことだかわからない。

アクションに対してリアクションってなんだ?

自慢じゃないが、相手が求める正解のリアクションをすることには自信がある。(まぁそれで苦しいこともある)

アクションに対してリアクションってなんだ?

なにも考えるなと言う。

どういうことだ、何を言っているんだ。


それは一瞬の出来事。


経緯は忘れたが、砂場で遊んでいるシチュエーションだった。

わたしは相変わらず一人で遊んでいる。

自然、相手も一人で遊んでいる。

なにかのタイミングで、相手がトンネルを掘り出した。

それを見て、わたしも反対側からトンネルを掘った。

つながった、と思った。

物理的にも、空間的にも、なにか的にも。

世界を共有するとはこういうことなのかもしれないと思った。

以降、わたしのなにかが変わったということはない。

相変わらずわたしは自分の世界が好きで、ひたすらに自分の世界にこもっていると思っている。外に出かける時間は多いが、外の世界で閉じているのだ。


けれど、どうしてだろう。

踊りになると、誰かの世界に影響を受けるのが苦じゃない。当たり前のこと、になる。

踊りのコラボはまだほとんどしたことがないが、音に影響されるというのは楽しいのだ。

以前少しだけ踊りのコラボをしたとき、相手がまだ開ききっていないのにぐいぐい行ってしまったことをすこし反省した。相手を引き出すというのはわたしには難しい。ぶち破るという発想しかないから(笑)。

私だけが楽しむのも違うし、相手を楽しんでほしいと思うけど、相手が楽しみたいと思わなければそれは押し付けになるし、だったらまず私が楽しもう、になると自分本位になるし、というスパイラル。相手がどうしてほしいかを見極めてそれをやるのも違う気がするしね。相手が満足したら相乗効果は生まれやすいけど。

自分のやり方でアプローチしてみて、相手の反応を見て、またそれに対して反応して、の繰り返しになるのかねぇ。


話は逸れたが、自分の世界、を、少しは開けているのだろうか。

ちょっと開いてみて、自分の心の反応を見て、またやってみよう。

最初は、かめの頭のように、おっかなびっくりでもいいよね。

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