おいていかれる、気持ち。
※タイトルは、フルーツバスケットから引用しました。
イベントまで、残り半月となりました。
当初の妄想とは異なり、いろんな人がかかわってくれるイベントと相成りました。
話は変わって
私は、けっこう思い付きで人を紹介する。
紹介するきかっけは話を聞いている中で思いついたりとか、まぁいろいろだ。
で、実際に友人同士がつながる。
そうすると、もやもやするのだ。
なぜかといえば、一人になるからだ。
友達同士は仲良くなって、友達をとられてしまう。
いじめられて一人になった過去があるから、それが呼び起こされているのだろうと。
そうだと思っていた。
けれど今日、友人と話していて思ったのだ。
おいて行かれたくない
表現は違えど、友達が言っていたことはこうだ。
「友達が両方とも進化していくと、自分も友達たちもうれしいよね。これが循環なんだよ」
そう、友達同士はうれしいだろう。
新しい世界が広がっていくのだ。
友達がうれしいのなら、わたしもうれしい。
けれど、一人になるのはさみしい。
そして、おいて行かれるのがいやなのだ。
新しい世界が広がった友達二人は、先に進んでいく。
わたしは?
わたしはどうなのだろう?
私も新しい世界に行かなくては。行かなくては。
あせる。ひたすらにあせる。
友達は先に行ってしまう。おいていかれる。おいていかないで。
これが、わたしの根源根源なのだと思う。
どちらもさみしいことに変わりはないのだけれど。
で、今回。
当初、わたしは自分一人だけのオンステージの予定だった。
けれど、ぜんぜん人が集まるイメージがつかない。どうしよう。(そもそも人を集める必要があるのかというと、人が来てくれる=愛されてる的なところがある。わたしひとりのオンステージじゃ人が来てくれる自信がさっぱりなかったのだ。誰得なのだ?と。)
そこで「好き」から想像して、「好きな人たちも呼んでしまおう!」である。
そうしていまの形式に至るわけだが、某パフォーマーを依頼したところ「××とコラボをしていいか?」と話があがる。
正直戸惑った。
私は「私の好きな人だけでイベントを囲みたい」という構想があった。
コラボをオッケーにしたら、そこから外れてしまう。
残念だな、と思ったけど、オーケーを出した。この時のオーケーの理由は「妥協」と「あきらめ」である。
で、次の人に依頼をしても「〇〇とコラボをする」という。これは私がほかの人にギター頼んだりとか、と提案をしたからだ。これはもうオーケーを出す。しょうがない。
そのあとは「ドネーション制にしてもいいか」と。禁止する理由はない。イベント自体がドネーション制だからかぶるのはどうなのだろうとか、私より目立つのか~とか思ったけど、もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ。投げやりである。
極めつけは「私の友達(むっちゃんの知らない人)をお客さんで呼んでいいか?」と聞かれる。もうイベントが私の手から離れ始めている、だめなんて言えない。
好きな人たちが繋がったら面白いと思っていた。
けれどいま同時に、私がおいて行かれることが怖くてしょうがない。会場で、みんなが盛り上がってる中で私がひとりぽつんとなってるのを想像するとひたすらに怖くてさみしい。
そしてわたしは、主役の座が奪われることを恐れている。上の怖さとは別。目立ちたくてしょうがない。埃のようなプライドだ。
総じて私は、会の中心でありたくて目立ちたいわけだったけれどそれができなかったチキンヤローだ。
オッケーを出すというよりも、ただひたすらに流しているのだ。
ひとまず、手放しにしてやってみよう、と。
そのくせ、頭の中はいっぱいいっぱいだ。
ステージの時間とブースの時間は同じくらいの時間にしたいがどうしてもねじ込みたい人がいてできなかった、ブースの人に申し訳ない。
ステージの順番は私の独断で決めていいのだろうか?リハの時間は?順番は?準備は間に合うのか?自分の準備は?
ひとまず今は。
「乗り越えられるから、いまその現象が起こってるんだよ」
という友人の言葉を胸に、やっていこう。
※出演者、出展者各位>いろいろ書いてますがネガティブな意味合いはありません。むちこの内省です。
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