2020.11.16 永久凍土の五・七・五・七・七
2020年11月某日、均一な地層のように並んだiponeのメモアプリの一覧画面から、その五・七・五・七・七が発掘されたのは、ごくごく偶然のことだった。近所のスーパーに入り、いくつかの野菜をカゴに入れた後、鮮魚売り場の前でアプリを立ち上げ、朝入力したメモを確認した。ケチャップ、ゴミ袋、トイレマジックリン。ここ数日、いつも家に帰ってから買い損ねたことに気がつき、しまった、と呟いていた些細なものたちだ。あまりメモ帳アプリを使わない事もあり、画面には過去に入力したそんな些細なメモが、消去されないまま、時系列で積み重なっている。
一覧画面に戻り、何気なく画面をスクロールする。早送りのコマのように、パラパラとメモの一覧が流れていく。その流れが止まった時、一つのメモが目に止まる。日付は2019年6月某日。メモには五・七・五・七・七の短歌がたった一首だけ書かれていた。それは娘を出産し病院に入院中、病室のベットの上で私が詠んだものだった。短歌を詠むことを習慣にしているわけではないが、生きることと死ぬことの渦の中にいる時間を、何か形のあるものにしなくては耐えられなかったのかもしれない。だだ滔々と広がり時折津波のように襲いかかってくる感情の波、もしくはただ黙して何も語ることがないようなどこまでも暗い夜。その狭間からこぼれ落ちた31文字の言葉。
鮮魚売り場の什器から漂う冷気に冷やされながら、まるで永久凍土だな、と思った。凍り続ける大地の下から発見されたマンモスは、長い時を経ても腐ることなくその姿を留め、毛並までも確認出来るらしい。iPhoneの中、忘れられた凍ったメモ帳の地層から発掘されたあの日の五・七・五・七・七は、望まぬ寒々とした鮮やかさで、私をあっという間にあの日に引き戻した。
iphoneをスリープ画面にして、ポケットに放り込んだ。会計を済ませて、自転車のカゴに買い物袋を載せた時、またケチャップを買い忘れていることに気が付いた。だけどもう日は暮れて、指先も冷え切っている。リュックの中に1枚だけ貼るカイロがあったことを思い出して、服の上からおへその辺りに貼り付けた。しばらくしたら、少しは温かくなるだろう。
何故書いているのだろうか。と時折考える。何故書いてきて、何故書いていて、そしてこれからも書き続けるのだろうか?自分の身に起こったことの混乱と、それでも過ぎていく時間に、なんとか形を与えようとして書き始めた。子供達に何か残さなければ、という気持ちもあった。最初は簡単な日記でも書ければいいと思っていたが、書けば書くほど彩度は増していった。そうだった、一枚の葉について書こうとしたって、私はあらゆるものを観ずにはいられない。その造形、葉脈の流れ、葉緑体の粒の並び、風が吹けばどのように揺れるか、木の枝、幹、巣食う虫、乾いた皮の手触り、年輪は?どこから来た?どこへ行く?冬の鳥は何故その木にとまり、その葉が落ちた夜に月はどんな形をしていた?
この彩度で自分に起こったことを書いていたら、死ぬしかなくなってしまう。そう危惧して、50本くらい記事を書いたら小説を書こうと思った。どこかでフィクションとして昇華しなければやっていけない。そう思いながらも、細々と書き続けているのだが、書いてるものが少しずつ読まれたり、反応が来るようになった。匿名ではなく、自分と結びつけた場所で書いているということは、やっぱり誰かに読んで欲しかったということでもある。限りなく個人的な私の言葉が、誰かの日々を少しだけ揺らす。基本的には自分の為に書いているのだが、読む人からの言葉や労いを動機の一部にしながら、また書く。書いても書いても何ひとつ分からない。だから書く。
そうして書き続けた先に、書く必要がなくなる日が来ることを私は夢見ている。そこはとても穏やかな場所で、波の音が聞こえ、風が吹くだけで私は満ち足りる。柔らかな陽に照らされて、言葉を必要としなくなった私は、ただ凪のように微笑んでいる。
だけどその日は多分来ない。iPhoneの中の忘れられた永久凍土の氷の中で、あの日のままの五・七・五・七・七が、私の諦めに呼応するように叫ぶ。
風が吹く 助けは来ない 君は死ぬ 君が生まれて また風が吹く
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