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2020.12.28 さよなら、ぼくのしごとのおじさん

息子の話に突然謎の「しごとのおじさん」が現れたのは、山田が死んで1ヶ月くらいした頃だった。
「あのね、きょうね、ぼくと、○○くん(保育園の友達)と、しごとのおじさんとぼーるであそんだの」
最初は誰か知り合いのおじさんか、近くの工事現場のおじさんかな?と思ったのだが、話を聞いているうちに、どうやら空想上の友達、いわゆるイマジナリーフレンドのようなものだと分かった。その日から、息子の話には寝ても覚めてもしごとのおじさんが登場した。

おじさんは、おもしろくてへん。
「ねーねー、しごとのおじさんね、おとななのに、うんことかちんちんとかいうんだよ、へんだよね、クックック(笑)」
おじさんは、わるい。
「おじさんね、わるいんだよ。おかたづけしないで、ぎゅうにゅうをわざとこぼしちゃうの」
おじさんは、すごい。
「おじさんね、おっきいくれーんしゃをね、てでもったりね、あしでがんがーんてしてね、そらのね、むこうにもっていったよ。ぼくもおてつだいした」

私も相当感受性の強い子どもだったので、想像上の友達なんて10人くらいいただろう。イマジナリーフレンドって、こういう風に現れるんだなーとごく能天気に考えていたのだが、区役所の保健師さんと電話で話をした時、その話をしたら思いのほか深刻なトーンで「それは心配ですね…」と言われてしまった。保健師さんいわく、おじさんが攻撃的になったり、おじさんのことを怖いと言い出したら要注意とのことだ。なるほど、それはあまり良くないな、という私の心配をよそに、息子とおじさんは空の上でピクニックしたり、一緒にでかい蛇を退治しに行ったり、おじさんの元気のない時には息子がカプリコをあげたりと、至って平和に過ごしていた。

時間が経つにつれて、しごとのおじさんが息子の話に登場する回数はだんだんと減っていった。長らく私も気にせずに過ごしていたのだが、先日のクリスマスの日にそういえば最近おじさんの話を聞かなくなったな、とふと思い出して、息子に聞いた。
「最近、しごとのおじさん元気?」
息子は、えっと少し考えてから答えた。
「仕事のおじさんは死んだよ」
「そうなの?」
少しヒヤリとしながら答える。
「うん、死んでね、違う場所にいった。でもおれの心の中の別の場所だからいつでも会えるよ」
「そうかー」
と、答えにつまる私の反応を見るように息子が念を押す。
「そういうことだよ。ママさん、分かるでしょ?」

分かるよ。だってそれはパパさんはどこにいったの?と聞く君に向かって、前に苦し紛れに私が言ったことだ。違う世界に行ったけど、心の中にはいるからいつでも会えるよ。「ちがうせかい?」と辿々しく言葉をなぞるだけだった息子が、まるで子供が大人を諭すみたいに「分かるでしょ?」と私に念押ししてくる。ひらがなを並べた平面のようだった息子の世界は、カタカナも漢字も混じったように、どんどん奥行きを増していく。理解する、受け入れる、拒絶する、どんな成長の変遷が息子の中であったのかは分からないが、その中で、いつも側にいたしごとのおじさんに、息子はさよならを告げたのだ。

そのさよならは、息子にとってはただの小さな一端なのかもしれないけれど、おじさん、私はあなたと心から握手をしたい。

面白くて変で悪くてすごい、死んでしまったしごとのおじさん。いつも息子のそばにいてくれてありがとう。いつか息子はおじさんのことを忘れてしまうだろうから、こうしてここに書いておきます。おじさん、メリークリスマス。心の中の、いつでも会える別の場所で、来年も、再来年も、その先もずっとずっと、どうぞ良いお年を。

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