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2020.8.12 やさしい骨

お盆だから花でも飾るか、と花屋に行ったが、走り回る4歳児と泣き喚く1歳児を連れてゆっくり花を選ぶのは早々に断念した。店先に置いてあった、小さなバラとガーベラのブーケを買って家に帰り、花瓶に水を入れていたら、息子が「パパさんのとこ、はなをおくところないね。ほねのうえにおいたら?」と言った。骨の上に置いたら倒れちゃうかもなぁ、と言う私の返事が聞こえたのか聞こえてないのか、息子は遺影の横に置いてある鈴のようなおりんを鳴らした。チリリンと澄んだ音がした。

特に信仰している宗教もなかったので、山田の葬式は無宗教だった。位牌も仏壇もない。元々使っていたIKEAのベンチが高さも幅もちょうどよくて、その時に家にあった布をかけて、遺影と遺骨を飾った。骨壷の入っている桐箱は白い布で包まれていたが、いかにもな風体が嫌で、山田のTシャツで包みなおしていた。水ぐらいは供えるか、と思ってベトナム旅行に言った時に買ったテキーラグラスに水を入れて供えている。何かそれっぽいものがあった方がいいかな?とある時思って、ネットで小さなハンドベルのような形をしたおりんを買った。

そのうち遺骨をなんとかしなくては、と考えているうちに1年以上が過ぎた。山田家の墓は随分田舎の、車でしか行けない場所にあるらしい。スーパーペーパードライバーの私には随分心許ないし、なかなか気軽には足を運べない。ならば近くに墓を立てるかとも思うが、立派な墓を立てたら、自分がそこに入るまでのカウントダウンが始まって、正真正銘の「未亡人」になってしまうような気がして少し怖い。つまり「まだ死んでない奴」として過ごす余生な。それがやりきれないなら思い切って海に散骨するのもいいかもしれない。私が死んだら骨はその辺に撒いて欲しいし。最近はスイスに遺骨を送ると人工ダイヤモンドにしてくれるサービスもあるらしい。死んでなお輝き続ける…って人生をかけたギャグか?とまぁ、色々考えてはいたが結局結論が出ないまま、山田の骨は相変わらずIKEAのベンチに置かれている。

「パパさんのおなかはどうなったの?」「あしは?」「めは?」「あたまは?」「くちは?」父親の死を巡る息子の疑問は、日に日に具体的になっていく。当たり前だ、ある日目覚めなくなり永遠に話も出来なくなるなんて、全然意味が分からない。葬式の日、息子に骨を拾わせるのはあまりにも酷な気がして、火葬場には連れて行かなかった。斎場にいた父親の体が一体どこに忽然と消えたのか、ずっと不思議だったのだろう。パパさんの体は星になった、とでも言えば良かったのかもしれないが、繰り返される質問にうまく答えることが出来なくて、とうとう骨の話をした。
「火葬されて、つまり火で焼かれて骨になったんだよ」
「なんでやくの?」
「みんな死んだ人はそうするんだよ」
「なんでほねになるの?」
「火で焼かれるとそうなるの」
「ほねになったらどうなるの?」
「お墓に入れたりするんだけど」
「おはかってなに?どこにあるの?」
息子を慰めるような言い方をいくつも考えていたはずなのに、結局私は混乱して答えに窮し、白旗をあげるような気持ちで、遺影の横にある桐箱を指差して言った。
「パパさんの骨、あの箱の中に入ってるんだよ。見る?」

えっ、みる!と勢いよく答えた息子の前に桐箱を運んできて置いた。周りを包んでいるTシャツを取り、箱の蓋を開けると、骨壷が割れないように詰められた綿と「火葬許可書」と書かれた封筒が入っている。それらを取り出して、つるりとした白磁の骨壷の蓋を開けた。両手に納まるほどの骨壷に、ギュウギュウに詰められた骨。息子が勢いよく伸ばした人差し指が、一番上に乗っていた頭蓋骨の薄い欠片に触れたら、サクリと軽い音がして砕けた。驚いた息子は手を急いで引っ込めて、しばらく骨を見ていたが、そのうちテレビの前の椅子に座って録画している仮面ライダーを見始めた。「ちょっと怖かった?」と頭を撫でたら「こんど(従兄弟の)おにいちゃんたちに、パパさんのあしとかおなかが、ほねになったよっておしえてあげないとね」と私の目を見て言った。

間違えた。こんなことを、したいわけではなかったのに。もっと優しいやり方がきっとあったはずなのに。明日になったらこのことを忘れててくれないかな。無理か。子ども達を傷つけることが一番怖いはずなのに、私はいつも間違える。そしてどんなに優しい話を用意していたって、私はこれからも間違い続けるだろう。優しさは私を生かすが、私を立たせるのは、骨壷に納まった軽い骨の茫々とした厳しさだから。

お盆用に買ってきた花は、結局息子が桐箱の上に乗せた。娘の手も届かない位置だから、これで良かったのかもしれない。骨の上に、花を供えてくれてありがとう。君が父親の骨に触れたことを、少しでもやさしく覚えていることばかりを望む。

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