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初・初日の出の日

今までの人生で一度も初日の出を見たことがない。そう思い至ったのは1月2日、子供たちを義父母に預けて、近所のコンビニになくなった牛乳を買いに急いだ夕方のことだった。成人して家を出るまでも、家を出てからも、なんとなく大晦日と正月は親の元ににいなければ、という気持ちで、多くの年を実家で過ごしていた。年の離れた末っ子なりの責任感だったのかもしれない。もし今後初日の出を見るとしたら、どこが良いかなぁ。普通に大阪の海沿いや山の上でもいいし、いっそ北海道とかまで飛び雪の中でも見るのもいいし、富士山頂とかもありかもなぁ。そんなことを考えながらコンビニの自動ドアをくぐった。

12月29 日から仕事は休みに入ったが、世間が休みになるということはすなわち、子供とつきっきりで過ごす休みという、新たなラウンドの始まりでもある。

29日はここ数年の恒例、姉の家で餅つきである。実家から年代物の餅つき機が発掘されたのをきっかけに、毎年年末は兄弟集合して餅をついている。とはいえ、ついてくれるのは機械だし、年数を経て我々の手際もやたらよくなっているので、お菓子を食べながら待機し、つきあがったら餅を丸めるという最低限の手順でことが済む(前日から米の準備をしてくれている姉、ありがとう!)。
小中学生の甥っ子たちはもう餅を丸めるのにも特に興味を失っているらしくYOUTUBEを見ているので、今年は息子が工作で培った丸めの技術を発揮し中心になって活躍していた。そして「むすめちゃんもやる!」と高らかに宣言し参戦する娘。粘土じゃなんだけどな~というくらいコネコネし、泥団子みたいな丸になっていたが、本人は満足げだし、初めて食べるつきたてのもちに「おもち…おいち!」と叫んでいる。2回目の餅が支給される頃には、餅丸め職人のようにすっと定位置に場所取りし、準備万端に餅の供給を待っていた。未経験ですが、やる気はあります!餅が好きです!!と目が語っている。はい君、採用、と私が餅屋の店主なら言う。

30日、なんとこの日も餅つきであった。友人がおばあちゃんちで餅つきをする、しかも杵と臼の本格的なやつ、というのでお邪魔したのである。おばあちゃんちで…と言っていたので、友人のご家族がいるのかなぁ~と思って行ったら、親戚一同なのか友人たちなのか分からないけど30人くらい人がいて、寒空の野外で盛大に餅をついている。
全然誰が誰か分からない、全然誰が誰が誰か分からないけど、娘は友人から焼き芋を食べさせてもらい、畑に植えてあった大根の葉っぱを剣のように振り回しながら走り周り、息子は全然知らない男性に空中でぐるぐる回されて爆笑しており、広場でこれまた全然知らない子供たちと走り回っていた。私は全然知らない女の子に「私のジャンパー取ってきて」て言われたけど、私は君のジャンパーどんなんか知らんねん、ていうか君誰や?と思いながら一緒にジャンパーを探しに行った。つきたての餅を食べ、大鍋で煮込まれた大量のおでんを食べた。また来年もおいでね、そう言って駅まで送ってもらった。帰りの電車で、特別な自己紹介が必要がない場所、すごくいいなぁと思った。本来私はああいうワイワイした場所になんか知らんけど参加して、なんかよう知らん人と仲良くなるのが好きだった。そういう場所の特徴は「じゃあみなさんここでちょっと一言ずつ挨拶を…」とか特に誰も言い出さないことだったなぁ。

31日、大掃除も正月準備も全くしていない。手元にあるのは大量の餅……!!こんなん無理でしょ、と早めに諦めて取り合えず正月っぽいものを買いに行くことにする。1人で行こうと思っていたが、息子もどうしても行くというので自転車で出発する。食材売り場で食材を買おうとすると「おぞうにってなに?」「おせちってなに?」「しめ飾りは知ってる!」「かかみもち飾りたい!」と息子がひとつづつ反応する。あとだんだん重くなってくる荷物を「持ったるわ」とか言って、ちゃんと駐輪場まで運んでくれる。えっ…成長すごない…?
大量の食材を買い込んだ後は、花屋で正月用の花を選ぶ。松や千両と一緒に、白いスイトピーとピンクの菊を選ぶ息子。そしてその横にある球根を「あれは?」指差す。水耕栽培のヒヤシンスだった。お店の人に花をまとめてもらっている間もずっと見ているので、水耕栽培の花瓶ごとヒヤシンスも買って帰った。
自転車の後ろに乗った息子は花と、おせちの入った箱を抱えているし、前の席にもハンドルにも、買い込んだ食材が大量に乗っている。ゆっくりと自転車で帰りながら、家までの道に何個しめ縄が飾ってあるか数えるゲームをした。「いちっ!」「にっ!!」と我先に数えようとする息子、「さん!!」と私が見つけると「くっそー」となぜか悔しがる。年末は人が少なくなるのか、いつもより静かな家の周辺に「じゅうさん!!!!」という息子の絶叫が響くころには家についた。
家についたら、息子に花を飾ってもらった。ついでに餅を重ねて鏡餅にし、横にヒヤシンスも飾った。「あ!ちょっとまって!」と息子が折り紙を取り出して何か作り始めたと思ったら、工作の鏡餅だった。それも飾る。お正月らしいのからしくないのか良く分からないが、とりあえず家の一角に山田家お正月コーナーが誕生した。
正月休みになる少し前から息子が「除夜の鐘を聞いてみたい」と言っていた。除夜の鐘、聞こうと思ったら日が変わる12時まで起きてないといけないよ?といったが、大丈夫、絶対起きているのだと宣言する。その宣言の通り、紅白歌合戦をマツケンサンバを踊り狂い、藤井風を一緒に歌いながら完走した息子は、どうぶつの森で可愛い動物たちとカウントダウンをして新年を迎えた。「やったーーーーー!!あけましておめでとうーーーーーー!!!」そう言ってソファの上でぴょんぴょんジャンプしていた。

1日、家族3人、盛大に寝正月をし、起きたころには11時を過ぎていた。お雑煮を作り、買ってきたおせちを食べる。おお!これがお雑煮!これがお節!!とテンションが上がっていた息子娘も、すこし食べ進めるうちに、もういいかな…みたいなテンションになっていた。いやそうだね、お節って特に美味しいものではないよね…特に子供はね…と思いながら私もつまむが、いや、なんかお節美味しいな?と思って箸が進む。お節全然好きじゃなかったけど、これが…加齢か…?とか思いながらほぼ一人で食べきってしまった。

2日、朝早めの時間に大阪天満宮に初詣に参る。まだ人が少なく、ベビーカーでもお参りが出来る。「初詣ってなに?」「おみくじってなに?」「あの水出てるとこなに?」「この矢みたいなやつなに?」「絵馬ってなに?」と息子の矢継ぎばやの正月質問攻めに答えながらお参りの列に並ぶ。前に見えた大阪天満宮の梅の花の印をみて、むすめが「あーっ!おはながかいてあるね!」と嬉しそうに笑う。本殿に参った後「ぼくね、みんなが元気で暮らせますようにってお願いしたよ」と息子がいうので「それ最高やん~」と頭をなでた。おみくじを引いたら、息子は末吉、私は吉で、2人で近くの木に結びつけた。
帰りに近所の友人宅に寄ることにしてお寿司を買っていった。しばらく寛いで帰ろうとすると、米が余ってるからもらって欲しいという。寿司を持って行ったら10キロの米に代わるの、わらしべ長者でもないし物々交換でもないし、料理持って行ったら原材料に戻った、みたいな謎の展開で面白い。米はいつでもありがたい。娘の好物は塩のおにぎりだし。

家に帰ってテレビを見たり、昼寝をしたりしていたのだが、牛乳がないことに気が付いてコンビニに買いに出た。これが、初日の出を見たことがないと思い至った時である。牛乳を2本抱えてコンビニを出た時、あ、休みに入ってから、初めて1人になったな、と思った。年末から今までのことを思い出しているうちに、ふとバラバラと予期せぬ涙が出た。マスクしてて良かったなと思いながら、帰り着くまでに止まるように、帰り道を出来るだけ遠回りして歩く。

去年の大晦日は、一昨年の大晦日は、1人でぼんやりとテレビを眺めていた気がする。でも今年は息子と一緒に年を越した。娘とも、一緒に色んなことが出来る随分とにぎやかな年末年始だったね。
来年はもっとにぎやかに、再来年はもっとにぎやかになるかもしれない。でも一方で、成長というものは、去年はお雑煮を覚え今年はおせち料理を覚え、というようにゆっくりとしたスピードでは進んでくれないみたいだ。息子は今年、お餅の美味しさを覚えたし、除夜の鐘も紅白歌合戦もお雑煮もお節も初詣もおみくじも絵馬も鏑矢も千両も、全部一気に覚えて自分の中に取り入れてしまった。
いくつかのにぎやかな正月が過ぎ去り子供たちが成長した後、また1人きりの大晦日をいつか私は過ごすのだろうなと思う。それは恐ろしくもあるが、その寒々しさにふと安堵も覚える。生き続ける限り、1人になる瞬間がくるというのは宿命みたいなものだから。

とはいえ、まだ時間は残っている。来年再来年その次くらいには、3人で初日の出が見られるかもしれない。私にとっての初・初日の出は、息子にとっても初・初日の出であり、娘にとっての初・初日の出にもなる。その日が、それぞれに過ぎていく時間の流れの中で、同じ場所に打たれたカラフルな点のような日になればいいと思う。

新年あけましておめでとうございます。




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