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2020.6.18 本日の喪主、エミネム

葬式が始まる前、女子トイレの手洗い場の巨大な鏡の前に突っ立って、私が考えていたのはエミネムのことだった。私はラップをあまり聴いたことがないし、エミネムの曲を1曲も知らない。でも、私の知っているエミネムは何故か知らないけれど、いつもめちゃくちゃにキレていて、怒りに任せてナイフで相手を刺す代わりに、マイクを握って言葉で相手を殴っている(たぶん)。つまり私はその時めちゃくちゃにキレていて、言葉で相手を殴ろうとしていたということだ。

葬式の日の記憶はだいぶ断片的だ。朝起きた息子に「今日はパパさんにバイバイする日だよ」とか言った気がする。分かったのか分からないのか、ベッドの上で息子がふざけて私のメガネをかけていた。

斎場の入り口までの植え込みにはやたらと蝶々が舞っていて、3匹もつれ合いながら飛ぶアゲハ蝶はちょっと毒々しいくらいだった。息子と手を繋いで歩いていると、そのうち一匹の小さな蝶々が息子の胸元に飛び込んだ。「イヤーッ!」と泣き叫ぶ息子。おっと、山田が姿を変えて息子に会いに来たのかな?いや息子くん蝶々苦手やねんけど?って、はぁーあぁー、もういややー、目にうつる全てのことはメッセージ!!なんだとしたら、世界、ちょっとうるさすぎ。

斎場の控え室に着いて、娘を座布団の上に寝かせた。生後3週間の娘は、座布団よりも小さかった。泣きもせずに目をパチクリさせている。私はと言えば何をしていても勝手にボロボロ涙が出てきていた。涙を流しながらお茶を入れたりお菓子を食べたりしていたのだが、突然息子が机の上のハンカチをとって私の顔をゴシゴシと拭いた。「なかないでほしい」とはっきり言ったからびっくりした。3年しか生きてないのにどこでそんな振る舞いを覚えたんだろう。君は優しいね。

祭壇に近づくと、棺桶の中の山田は相変わらず、酔っ払って家で寝てるのと同じ顔をしていた。そう言えば昨日のお通夜で、小6の甥っ子が「山ちゃんに聞かせたろうと思って…」と山田の顔の横にスマホを置いて、爆音でナオト・インティライミの曲をかけていたな。はー、おもろいから山田に報告せな、ってちゃうわ。山田は目の前で死んどるがな。

開始時刻が迫ってくると何となくそわそわしていて、何度もトイレに行った。大きな鏡の前で手を洗いながら、昨日のお通夜のことを思い出す。あの人、お通夜みたいな顔してたなぁ、まぁお通夜なんやけど。でもなんか申し訳なかったな、あんな顔させて。私面白いことの一つも言えないで。なんか変なのかなー私。まぁそりゃいつも通りではないと思うけど。そう言えば目も合わない人いたなぁ。なんでだ?えーっと、うーんと、それは私が、

哀れだから

という答えに行き着いた時、一瞬でカッと体が熱くなって、怒りが全身を駆け巡るのを感じた。全ての毛を逆立てて威嚇する猫になったみたいだった。
そっと逸らされる目。それはお通夜に限らず、例えば役所の窓口で、娘の病院の診察の時、いくたびか経験してきたことだ。1分1秒を何とか過ごすことに精一杯で、それに言葉を与えて来なかったが、あれは、哀れみだ。

彼らは私について何も知らない。何が好きで、どんな風に話して、私と過ごす時間がどんなものか。知りはしないが、私をみて眉をひそめてそっと目を逸らす。なぜなら夫に死なれた私が、かわいそうだから。

ふざけんなよクソが。何も知らへんくせに。あらゆる罵詈雑言が頭の中に浮かんだが、全然足りない。怒るの得意じゃないんだけど、キレ散らかしたい時はどうすればいい?このままダッシュで走っていって、祭壇の花の中に飛び込めばいいのか?いやいや、それめちゃくちゃお涙頂戴ですわ、そんなんいらんねん。
そういえば喪主挨拶あるな。マイク握って叫んだらええんか?あれ、もしかしてエミネム的な何か?あの人いっつもマイク握ってキレてるし。なるほど、分かりました。はーい、集合〜。今から人生で絶対使う機会がないだろうと思ってた言葉、言っちゃいま〜す。マザーファッカー!!!!!!!

握りしめた拳を手洗い場の端に打ち付けたら、ゴン、と鈍い音がした。今日の喪主はエミネムや。喪主挨拶は私のマイクパフォーマンス。お前ら目ぇ逸らしている場合ちゃうぞ?目ぇから血ぃ出るまで刮目しいや?全員、道連れにしたるからな。

エミネムと化し怒りに震える私であったが、同時にこの日まで自分が哀れまているなんて思いもしなかったことも考えた。沢山友達に会ったけど、みんな普通だったな。普通に話したり、泣いたり、笑ったり。それって結構難しいことだったと思うけど。だからとりあえず今日まで来たな。これからも、多分大丈夫だとは思いたい。

お経をきくのが嫌すぎて、葬式は自由葬にしてもらい、山田の友人達に献歌をお願いしていたのだが(その節は無茶振りすみませんでした)、くるりのワンダーフォーゲルが流れ出した途端にエミネム云々はどうでも良くなった。そうそうこの人たち、というか山田の友人達の多くは、私がエミネムにならなくても、勝手に歌ったり踊ったりしてパーティを始める人たちで、山田もその一員だったのだ。よかったね、楽しい人生だったね、ってなにも良くないわ。はいもう一回言います。マザーファッカー!!!!!!!

私の喪主挨拶がエミネムだったかは分からないが、山田の葬式はこれまで出た中で一番良い葬式で、これから出る中でも一番良い葬式だったと思う。色々言いたいことがあるかもしれないけど、山田、そこは感謝しろ。

さて、この1年、色々な形で私たち家族に関わって下さったみなさん、ありがとうございました。気が付いた時には怒りを感じたけれど、そっと目を逸らした人たちのことを私は否定出来ない。それはある意味一番平和な方法だからだ。

けれど、そこを飛び越えて手が差し伸べられることが、届けられる言葉が、あるいはそっと届く眼差しの一つ一つが、どれだけ私を支えたかしれない。それは私のことを思いやってくれた、ということはもちろん、なんというか人間同士が関わり合うことにおいての勇気、みたいなものをそっと見せてもらっている気がした。愛と勇気だけが友達さ、ってそんなことあるかい?と思っていたけれど、やなせたかし先生はいつも正しい。こういう時に、友達はいつも愛と勇気の形をしてやって来る。

みんなありがとう、これからもよろしくね。あの日の喪主がエミネムだったこと、ずっと黙っててごめんね。

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