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2020.10.28 はやく両肩に虎飼いたい

女を36年近くやっていると、両肩に虎を飼いたくなるらしい。
スマホでお気に入りのアパレルブランドの通販サイトをぼんやり眺めていた時のことだ。カラフルなワンピースやスカートが並ぶ画面をスクロールしていて、目に留まったのはネイビーのカーディガンであった。落ち着いた色のカーディガンですねと思うなかれ、左右の肩の前方には、2匹の虎の刺繍が今にも動き出しそうに舞っているのだ。プジョーか、はたまたPUMAのロゴか?というような横向きで、黄色をメインにしたリアルな刺繍の2匹の虎は、中央に頭を向けて斜めに向かい合っている。あ、いいな、なんか素敵だな…でも虎かぁ…虎なのか…。

私は大阪生まれの大阪育ちだが、これまでいわゆる虎柄やモチーフとしての虎に、興味を感じたことはなない。むしろそこにある大阪的なイメージが嫌だったはずなのに、ここにきてのまさかの虎。単純にそのカーディガンのデザインが素敵だということもあるのだが、同じデザインの鳥刺繍のガーディガンには全くそそられない。虎…トラ…タイガー…とつぶやいて買い損ねているうちに、虎カーディガンは在庫切れになってしまった。だけど何故だか妙に諦めきれず、再入荷通知メールにアドレスを登録した。

20代半ばの頃に佐藤真由美さんの短歌を知って頭を抱えたことがある。
「マスカラがくずれぬように泣いている 女を二十五年もやれば」
化粧に疎い私は、そんな泣き方ある!?と思いながらも、その年代特有の万能感とぬぐえない周囲との違和感、成熟しきらない自意識の危うい楽しさと浅はかさ、その全部を見透かされたような気がして震え上がった。その時、ではこれから30年、40年、50年と女をやったらいったいどうなるのだろうか?と思ったものだが、女を36年もやった結果、両肩に虎を飼いたくなるなるとは、自分でもあまりに予想外である。

しかし、何度見てもやっぱりこのカーディガンは素敵だ。これを着て出かけたいし仕事したいし特別な時にも着たい。あ、それからあの日に着ていけたら良かったな。山田が死んですぐ、山田の職場に荷物を引き取りに行った時とかね。

その日私は数日前に新しく買った、大きな花の描いてあるTシャツを着ていた。その頃は服が欲しいなんて思う気力もなかったが、多分何か新しいきれいなものを手にしたかったのだと思う。家に届いた段ボールの箱を開けた時、息子が「かわいいおようふくだね」と言ってくれた。そのTシャツを着たまま職場への挨拶に出ようとしたとき、その服は派手だから着替えた方がいいんじゃない?正式訪問だし、と言われた。それもそうだなと思って、地味なベージュのカットソーに着替えてから出発したのだった。

職場のみなさんはあたたかく迎えてくれ、同時にとても悲しんでいた。下手したら家族より長い時間を過ごしていた同僚が突然死んでしまったのだから、ごくごく当たり前だと思う。私の振る舞いは気丈に見えたのかもしれないが、自分と世界は全然一致していないように思えた。「いや~友達が多くて連絡するのが大変だったんですよ~ハハ」と軽い冗談のつもりで言ったが、当たり前だが誰も笑わず、言葉は空中に消えた。おかしいな、私、なんでここにいるんだろう。

山田の席を見に行くか?と聞かれたとき、堪えきれなくなって涙がこぼれた。スミマセン、と呟きながらうつむいて、自分が着ているベージュのカットソーが目に入った時、なんで私あの花柄の「かわいいおようふく」をそのまま着てこなかったんだろう、と思った。一体私は何のために、誰のために着替えた?変に思われないため?いやいや、変なのはこの状況の方でしょう。悲しみにくれる未亡人のコスプレしてきたみたい。あぁ、あの花柄のTシャツのまま来ればよかった。もしくはお気に入りの派手な柄の7分丈シャツ。いや、真っ赤なワンピースでも良いし、黄色いロングスカートでもいい。今、この瞬間、最も正式な服装というものがあるのだとすれば、私が一番好きな服のことじゃないのかな。

もしあの日の私の両肩に、2匹の虎がいたらと考える。
涙をこらえて夫の話を聞く私の、肩に虎。
受け取った荷物の中身を静かに見つめる私の、肩に虎。
お世話になりましたと頭を下げる私の、肩に虎、右にも左にも虎。
それはまるで、どうしようもない状況の中に投げ込まれた一抹のコメディリリーフだ。滅茶苦茶に悲しいことはいつも少しだけ面白く、途方もなく面白いことはいつでも少しだけ悲しい。私はその細い糸を辿り、両肩に虎を引き連れて、悲劇と喜劇の間を自由に行き来するのだ。

虎カーディガンの再入荷通知はなかなか届かないが、先日美容院で髪を切ってもらっている時、私の次の予約のおばあさんが店に入ってきた。入ってくるなり、はぁぁと大きなため息をつきながら「あかんわ。75にもなったら体も動かんし…。さむなってきたのもしんどいわぁ」と話していた。だが、濃いあずき色の上着を脱いだ時、おばあさんが着ている白地のカットソーには、小ぶりなピンク色の百合の花が所狭しと咲き乱れ、中央の胸元あたりでは、虎が華麗に飛び上がり、激しく燃え上がる火の輪をくぐっていた。

はいー、肩の虎ぐらいで騒ぎ立てて申し訳ありませんでした。女を75年もやったら、虎はピンクの百合を背景に背負って、火の輪をくぐり始めるらしい。いいですね。しんどかろうか寒かろうが、好きな服を着ているのが一番いいな。

もし私が肩に虎を飼い始めたら、やがてその虎は胸元に移動し、移動している間にいつの間にか咆哮するホワイトタイガーとなり、ラッセンばりの夜空が背景に描かれた虎ロングTシャツになるかもしれない。背面に移動したらどうか。やがてカーディガンは黒スパンコールで埋め尽くされ、背面には大きく光り輝くカラフルなスパンコールで虎の顔面が描かれるだろう。その中央では、スワロフスキーのような謎ビーズが刺繍された虎の眼がギラギラと光っている。

肩の虎がそんな展開を見せるのかは分からないが、好きな服を着続けて、その場所にたどり着いた私は、きっとどんな状況の周りの目も吹き飛ばすだけの力を備えているだろう。つまらない揶揄が飛んで来たら、微笑みながら近づいて、静かに喉笛をかみちぎればいいんだし。

そんなことを思いながら、今日も私はメールボックスを開き、虎カーディガンの再入荷通知メールが届くのを、今か今かと待っている。

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