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2020.4.30 クソ重い愛のはなし

「愛してるんだね」と目を潤ませながら言われた時、一体なんの話をされているのか全く分からなかった。そう言った彼女の目線の先に、私の左手薬指にはめられたままの結婚指輪があると気が付いた瞬間、驚きで卒倒しそうだったし、その反面なぜか彼女の潤んでいる目をみて笑ってしまいそうだった。はぁ、愛、アイ、それはつまりLOVEの話ですね?

山田が死んで数ヶ月は結婚指輪をつけていた。結婚して7年、朝起きて眠るまで、眠っている間も、結婚指輪は常に左手の薬指にあり、もはや指の一部のようなものだった。突然結婚生活が終わってしまっても、それまで続けてきた生活や習慣そのものは何も終わらない。結婚指輪を外さないことに習慣以外の理由は特に感じていないつもりだったが、なるほどね、彼女には私が夫への愛を誓い続けている健気な妻に見えたらしい。

その日、家に帰ってから結婚指輪を外した。特に涙は出なかった。

彼女が流した涙に他意はなく、私を大いに心配してくれていることも分かっているのだが、いやぁ、愛の粉を振りかけて味わう私の話は美味しかったですか?とか聞きたくなる。おかしい、人は悲しみが多いほど人には優しくなれるはずなのに、私は全然優しくない。悲しみこらえて微笑むよりも、涙枯れるまで泣く方がいいのかな?あー、脳内の武田鉄矢が五月蝿い。どっちも散々やっているし、今はとりあえず何かを殴りたい。

ぐるぐると巡る考えの中で、これは”私の話”なのに、と思った。でも、私の話って何だろうか?臨月で旦那が事故にあって意識不明になり、娘が生まれて旦那が死んだ。全然意味がわからん。何にも分からないけれど、甘い愛の粉を振りかけた話で、涙なんか流されてはたまらない。私の絶望も歓びも、語ることができるのは、世界で唯一私だけなのだ。

語ること、つまり書くことを決めたのはこの時で、書き始めるには更に数ヶ月の時間がかかったけど、今でもこうして少しずつ書き続けている。

外した結婚指輪の行き先は、考えた結果、アクセサリー作家の友人にオーダーして山田のものと合わせてピアスにしてもらった。金色の輪っかと小さな石がついた美しいピアスになった。友人はオーダー会で製作したアクセサリーの写真をSNSにUPしているのだが、私のオーダーを受けて「さすがにSNSにはあげられないな…クソ重くて…」と呟くので、めっちゃ笑った。いや、ほんまクソ重いわ。クソ重いオーダーに美しく答えてくれてありがとう。

ピアスの小さな石の揺らめきを見ながら思う。
私が”私の話”を心ゆくまで語り尽くしたら、「愛してるんだね」と涙を流した彼女ともきっと一緒に愛の話で泣けるだろう。語り尽くしてしまえば結局全部、クソ重い愛の話なのかもしれないし。

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