戦争に対して思うこと

今日は忘れてはいけない長崎の原爆の日。

私自身長崎の佐世保生まれで、私の家族は佐世保から離れた田舎町に住んでます。もちろん被害は沢山あったと祖父は話してました。75年前祖父は戦争に行かせられず、学校でアメリカ人が侵略した際に闘ったりなど訓練をさせられたり、祖母は兵隊さんの為に軍服や戦争に使うものを作らせていたと話してました。もちろん『贅沢は敵』 いまでは考えられない言葉。

人を愛し合うこと禁止
ワガママ禁止
美味しい物を食べるのを禁止
戦争に反対するものは非国民

などこれを思いながら二人は戦争時代を暮らしてたみたいです。

戦争が終わったあと、ふたりは品不足や食うことも制限、そしてせっかく戦争で負けた事の悲しみ、戦争に行ったきり戻ってこない友人がいて、アメリカ人に憎しみがあったらしい。

それから祖父と祖父が出会い、父親と母親に繋がって私が産まれたらしいです。

だから私は思うのは、人と人の過ちを繰り返して戦争をしてしまうのは違うし、もし未来に日本とどこかの国が戦争になる話もあるかもしれない。でもそれは戦争で闘って、亡くなった人達の敬意を忘れることと同じではないかなって思います。それなら戦争なんて反対。この手で誰かを血に染めるのはおもいっきりごめんだ。

長崎県では毎年平和学習で小学校から高校生まで夏休み中に学校に出てきて戦争の話をして、黙祷をします。

その中で私が印象に残ってるのは、一人の女性が原爆にやられて毎日水を呑まないと昔を思い出して、PTSDになった方がいました。

その方は原爆の日に家族全員を亡くしてしまい、一人で食べ物など探し生き延びたと話してました。その人は生きるためにアメリカ人に売春などしたり、物を盗んでは生活を補ってたと話してて、「もし戦争なんてこの世になかったら、私はお父さんお母さんと一緒に楽しく暮らしてた」と言葉を残してました。

もちろん長崎市には原爆病院という名前で原爆の放射線で苦しんで、また入院してる患者さんもいます。

どうかこの地球に戦争などなくして
誰もがみんな幸せになれることを願っています。

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