また春に会いましょう〜♪

Twitterを辞めてみた。
末っ子が生まれるほんの少し前に始めたから
何だかんだ4年ぐらいやってたのかな?
最初は好きなこと好きに自由に表現出来る場所として始めてみたけれど
気づけばダウン症が分かった末っ子の情報収集の手段となっていた。
得られたものは情報だけじゃなく
それ以上に必要としていた
同じ子を持つ親御さん達からの共感、共有だった。
心地が良い!満たされた!ちょっとニュアンスが違うかな?
子供産まれてから1番欲していた 安心! が
きっとそこにはあったんだろうな。。


?何で辞めたの?
皆良い人だったし、まぁ中には合わないなって人や
逆に なんだこいつ?って思われた人もいただろうけど。
急に3つの違和感 かんじだしたんだよね。。

⓵観られてる観られてないが気になる。
これはあるあるだね、インスタやFBなんかでも。
言わいるバズったことは1度もないが
ある時 子供の写真を載せた時いつも以上の反響があって、嬉しい楽しい!と共に全く知らない人からの
多くの反応に若干引いた気にもなった。
鍵掛ければ!とかスタンプで顔隠せば!って考えもあるかも知れない
ただ他の人もツイートしてたの覚えてるが
『暗黒期に他の子の笑顔の写真で勇気と元気をもらったから私もそうしていきたい』
この思いが自分の中でも勝ってしまう。
それだけならマシだが次第に
誰に反応もらった、もらえなかったも気になってしまう自分が出てきた。

②順序が代わってしまった。
これはシンプルに子供の写真や動画を撮る際、
記念に!や 成長!よりも先に、ツイート用!
って感覚になってることに気がついた為。
※これが結構辞めた1番の理由かな。。
逆だよね、普通に、、子育てじゃなく被写体になってしまってるもの。

③偏った(感覚が)
良いことでもあると思うし良いことだらけだと思う
悪いとこが見当たらないぐらい
実際自分も ダウン症 ってただ1つのことで
日本中、海外のパパさんママさんと
笑い悲しみ共感共有出来たのに救われたし本当に楽しかった!
グループ・コミュニティ ・言葉変えれば
親の会?
なんでもいいや、顔合わせた座談会スタイルでは絶対出てこない
『うちの子可愛いぞー』
『旦那クソ野郎ー』
『家帰りたくねー』

あっ、我が家だけじゃないんだ!の安心をくれた。
それらは本当良いこと!
じゃあ何が偏ったかって?
例にあげると
夏休み数年振りの同級や先輩とのBBQに自分と
末っ子で参加。
恒例の『何歳?』の問いに対して自分は
『もうすぐ4歳、小さいでしょ?うちの子ダウン症で生まれてきたもんでねー、成長が2倍ぐらいかかるのよ!オムツとかもまだMサイズだし、ぱっと見2歳ぐらいに見えるんだよね。』って
分かるかな?
相手にダウン症のこと知ってもらいたい気持ちが強すぎて説明始まっちゃってるの。
まあ相手は一瞬 えっ!?ってなるよね。
当たり前だわ!
そこに聞いてもない説明が加わるんだから
余計返事しずらいわ。
良いことだと思うよ!
世間の理解が広くなればそれに越したことない。
ただ何となく、優しくていつも共感の意思表示をくれるTwitterの世界に浸かりすぎたかな?って
そんな風に思った。
障害児or健常児の差や壁とかそういう事言いたいんじゃなくて
自分きっと、t13.18の親や障害が分かって堕した親、自閉や歩けないとかの別な障害のある親御さんと会話出来ないなって感じている。
そのぐらい ダウン症児 が関心な
青い鳥な巣に毎日浸かってた。


こんな感じです。
別に辞めて何か始める訳でもないし
またやりだすかも知れないし
だから
また 春に会いましょう〜♪





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