あの日の私。今日の私。

私は小さな頃から人見知りで

お母さん以外ダメだった。

父も、姉も、兄も。

そこに母がいなければ

私は泣いてばかりいた。


少しだけ大きくなって

小学生になった頃、

両親が共働きになり

鍵っ子になった。

真冬の夕方4時半に1人、ピアノ教室に通った。

たかだか5分の距離も

薄暗い道が怖くてたまらなかった。

雨が降って雷がなっても1人だった。

当時はケータイなんてものはまだなく、

不安で仕方なかった。

寂しさと不安で、夕方の西陽が苦手になった。

1人が耐え切れず、叔母に電話をしたりした。

小学校低学年なんて

友達と遊んでもみんな門限があって

当たり前のように4時半には1人、家にいた。

苦しかった。怖かった。寂しかった。


だけど、私はそれを言えなかった。

子供ながらに言ってはいけないと思っていた。

多分、一度だけ、

お仕事やめて、おうちにいて…

って言ったことがある。

その時に返ってきた返事が、

寂しいよね。ごめんね。

だったと思う。


それを言った母の表情を見たら

もう2度目など言えるわけがなかった。


大人になればわかる。

これから進学していく姉と兄がいた。

兄弟2人とも私は歳が離れていたし

それぞれにお金がかかっていたと思う。


これは、

母も、祖母も同じ思いをして育ち、

また

同じように言ってはいけないと子供ながらに感じて言わずにきた家系だ。


あの時代には珍しく、

私の祖母はバリバリの営業マンだった。

だから、

小さな私にヤマハのピアノを買ってくれた。

そして母は

私にピアノも書道もスイミングも習わせてくれた。


今もそれだけは褒めてもらえる事だ。

字が綺麗だね。

ピアノと言ったら葉命だよね。

泳ぎ行こうよ!

と。


そして、物心ついた時から

人付き合いが苦手で避けた。

お友達いるから公園行こうか!

と言う母に、

お友達がいるから行きたくない。

と答えてたのは、

今でも覚えている。

なんなら

そういうとこは、

今も変わらない。


どう考えても

素直に甘える子供

にはなれなかった。

もう少し甘えられたら…

とは思うけど

想いは時に人を苦しめてしまう

とわかっていたから

私の本音を引きずり出そうとする母の誘導にも

私は泣きながら、

"なんでもないっ!!!"

と答えた。


学校で嫌なことがあっても

友達とケンカしても

イジメられても

誰にも頼れない性格だから

強くなるしかなかった。


その分、

たくさん泣いた。

西陽が差す部屋で膝抱えてワンワン泣いた。


それでも、

ただいま!遅くなってごめんね!

と帰宅した母に抱き締めて貰えば

心が落ち着いた。


寂しさを伝えることに

何の意味もなかった。

抱き締めてくれれば治るから。


私には、

本音を打ち明ける相手なんて誰一人いなかった。


だから

今でも本音を探られるのは苦手なまま。

私はずっとポーカーフェイス。

人前で泣いたのは、

多分、

世紀末レベルの大げんかを友達とした時と

息子のように溺愛していたハムスターが死んでしまった時。

そして、大切な人が消えた時。



どんなに仲のいい友達も

お前はホントに言わないよな!

と言うくらい

唯一無二の相方的存在にも見えないみたい。


言葉にするクセがなかったから

言葉にする方法を知らないのね。

文字でなら書けるのに

人には上手く喋れないの。


それに、

誰かといる時に、その事は考えないしね。



そして大人になって社会に出て

人と接する機会も増えて

人と接することを避けてきた私には動物園のライオンコーナーにぶち込まれたような恐怖感と

生きなきゃ!と臨戦態勢になる私とで

もうヘトヘトだった。


そして、

今の業種についた時も

上司とのうまい付き合い方もわからんくて。

だけど業績だけは出せたのね。



それはね、

ただただ私が異常なほど人見知りで

ただただ人を安心させたい思いが強かったから

だったの。


人見知りだからこそ

人見知りの気持ちが痛いほどわかる。


人見知りだからこそ

どういう対応が心地いいかがわかる。

声や、距離感、笑顔、言葉、体の向き。


だからね、

今はそれこそが私のスペックだと思ってる。


大人になってからの友達には

包容力の塊!

と言われたりした。


だからかな

私はどこにも属さないの。

んー、どことも適度な距離感で繋がり続けてる。というべきか。


赤信号みんなで渡れば怖くない。


それにだけはなりたくなかった。

そうなってしまったら

私が誇れる自分でなくなってしまうから。


1人だったら絶対にしないことを

多勢になった途端してしまうのは

私の美意識的には完全にアウトで。


誰かの言う陰口や愚痴に耳を傾けなくなったのも

私の美意識に反するからだと思う。


キラキラしてる人と一緒に生きたいと思うようになった。

そういう人と出会って

不満の扱い方を知った。

私を叱ってくれる人がいたから

私は今こうして生きれてると思う。


愚痴を言っても何も変わらない

そう教わって

変えたい現状の渦中にいることに気が付いて

何を変えたいかが分かり始めて

変えたい方向性のビジョンが見え始めて

変えたい事変えるためには上に行く事だ

と悟り

そこから私は店長への道をひた走った。


余計に友達づきあいが悪くなった。

仕事にのめり込んだことで

約束を立てれなくなり私から離れていった人もいた。

それでも構わず私は続けた。

これだけは譲れなかった。

成し遂げないと気が済まなかった。

投げ出せなかった。

引き止めることもしなかった。


だって少なからず

その時の私は

何よりそれが大切な事だったから。


その景色を見る!の一択だった。

真夜中まで休憩室で電卓をはじいた。

人が変わったように

寝る間も惜しんで店長を目指した。



その日にお会いしたお客様情報も漏れなく毎日日誌にしてつけた。

全部の記録を残した。


それからだった。

そんな私に気付いた人たちが

私に声をかけてくれるようになった。

ライバル店の店長さん

館の営業担当さん

警備員のおじちゃん

お弁当屋のおいちゃん

気付いたらみんなが、私を励ましてくれて

毎日差し入れをくれた。


そして気付いたら

各テナントの店長が集い、

みんなで電卓を叩いた。


居酒屋に行って

お酒を飲んでも

電卓を叩いた。


明日の売り上げの話をした。

戦略を一緒に考えたりした。


私にとっては最高に楽しい時間だった。

あれはホントに大きなムーブメントになった。

志高い人たちと過ごす時間に

私はすごく支えられて

そんな人たちと肩を並べて歩いてる自分を実感した時

私は絶対にやり切れる!

と思えた。



正直しんどかった。

毎日が睡眠不足で

だけどエネルギーは枯渇せず

日々今目の前のこと、目の前のお客様に集中して

全身全霊で生きた。


それでも、

前途多難だった。

たくさん傷付いたし、傷付けた。

上司からはお前が嫌いだと言われたこともあった。

私が青かったから。

それでも私は諦められなかった。


店長は偉い。店長は怖い。店長が苦手。

そんな現場で

誰が幸せになるんだ?

ってずっと思ってた。


一昔前のアパレルは、

ホントに体育会系で軍隊でした。

イエッサー!

と聴こえてきそうなほど。


だから、

カゲでビクビクしてるスタッフもいる。

空気が悪い時はお客様にも感染する。

むしろ

空気が硬直してた。


私は実績だけ出せばいいと思ってきた。

気持ち良くない職場だから

せめて、文句は言わせねぇと

数字を積んだ。


そして私に罵声を浴びせた上司から


新店を立ち上げる。あんたに店長を任せたい。


そう言われた。


この時、初めて

この人が私を認めてくれたような事を言ってくれた。


あんたの顧客力が必要だ。あんたの接客力で力を貸して欲しい。


と。


そして、私は都内新店の店長に就任した。



挫折と苦悩と試行錯誤しかなかった。

そして一年が過ぎ、


私は元いた仲間のいる今の場所に戻り

店長をしている。


今は次期店長を育成中です。

人材育成は本当にやりがいがあります。

メチャクチャ大変です。

思いもよらぬミスもあります。

どれだけリスク管理をしても

なかなかなくなりません。笑


でも、

こうして笑顔のある、平和だけど日々戦えるお店になれたことは

本当に店長になってよかった!

と感じています。


たくさんのものがこぼれ落ちていったけど

この景色を見れてることを

当時の電卓仲間に伝えたい。

嫌な思いをさせてしまった私から離れていった人にも。

私が私でいることを許せたのは

壁でしかなかったことが

私の取り柄になった時だったのかもしれない。


それまではウィークポイントでしかなかった。

だけど

それを裏返せた時に

人を笑顔にできた。


それが私の1番嬉しい対価なんです。


中には年間で車一台買えるくらいのお金を費やして下さるお客様も数名います。


私の接客力、顧客力と呼ばれるものは

本当に私のウィークポイントがひっくり返っただけなんです。


本当に何も特別なスキルじゃないんです。

ただあっただけのものなんです。



noteで初めて

少しだけ私を知って欲しい

と思って書いた記事です。



きっと才能とかスペックに気付くだけで

人生変わっていきます。

すごいスピードで。


そして、その才能やスペックは

もしかしたら私同様、

ウィークポイントが姿を変えただけかもしれません。


なんか、

今日は伝えたい気分なのかな。



メチャクチャ長くなりました。

もし最後まで読んで下さったなら

本当にありがとうございます。


次からはまた葉命節でnote書きますよ!

不定期にwww



では、

ご静聴誠に有難うございました。


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