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歴史の舞台は高速のすぐ脇に
新東名を西へ下り愛知県に入って最初のインター新城の案内標識に混ざりながら現れるこの標識。
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初めて目にしたとき私はテンションバク上がりでした!みなさんもご存知でしょう。長篠設楽原といえば、あの織田・徳川連合軍が3000丁の鉄砲を釣瓶撃ちし戦国最強、武田の騎馬軍団を葬りさった(諸説あり)あの戦いがあった場所です。
「お〜、あの戦いがあったのはこの辺りなのか?」と思いながらも、私が西に行くときはまぁ大抵が名古屋か鈴鹿で予定があって先を急いでるわけですよ。
それがなんとホンダレーシング サンクスデーは日曜のみの1day、土曜日はがら空きとなった訳です。
城郭、甲冑、刀剣大好き歴女の私はこれはチャンスとばかりにこの地を訪れたのでした。
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史実の時の流れを追って、最初は長篠城を攻めるに当たって勝頼が本陣を構えた小山を登る。よくもまあ、長篠城をちょうど見下ろせるこんな場所があったものだと感心しながら、やっぱりこの場所では「攻め落としてくれるわ!」という目で見てしまいます。
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武田目線の後は徳川目線に変わって長篠城へ。今は曲輪だけが残るまさに城跡ですが、ここの資料館が良きです。お写真はSNS等にアップしないでとのことですので載せられませんが、入場料220円とは思えぬ内容です。
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さて長篠城といえば、危険な援軍要請任務を見事に果たしたものの戻ってきたところで武田に捕らえられてしまった鳥居強右衛門。援軍は来ないといえば命を助け褒美もという甘い言葉には乗らず援軍はすぐに来ることを伝え、結果磔となった勇敢な奥平家家臣です。
援軍が来ると叫んだ場所は長篠城のすぐ近く、処刑された場所は川向うにあります。この方の子孫は家老格として奥平家に仕えたようです。忠臣とそれに報いたお殿様良き良きです。
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この処刑地からほど近い場所に長篠城の川向うに作られた武田の砦があります。徳川援軍との激しい戦いの末陥落の憂き目を見たところですが鳶ヶ巣山砦はクルマで行ける場所と案内されてます。
実際に通った個人の感想では道路がとても狭いので車両感覚に自身がない方は諦めたほうがいいかもです。とにかくそれだけは伝えたかった…のでお写真もなく書かせていだきました。
さて私も長篠城の囲みは解いて決戦地に向かいましょうか…
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やってきました、設楽原の決戦の地。まずは資料館へ。こちらはブログ等へのアップOKとのことです。
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さすが鉄砲3000丁の設楽原。とにかく火縄銃のコレクションが充実。鉄砲好きにはたまらないでしょう。
こちらは入館料330円ですが長篠城との共通券を購入すると合計440円となりますので実質220円。はっきり言ってお値打ち。良いもの見せていただきました。
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資料館を見たあとは戦場を散策。最初に行ったのは信玄塚。お亡くなりになった戦死者をお祀りするために作った塚なのですが、武田の大塚と織田・徳川の小塚があります。1:3位の差があります。もし戦死者の数を表しているのなら…
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次は勝頼が前線まで出てきたときの本陣。信長や家康もそうですけれども本陣は敵から大将本人が見つけにくくするためなのか森の中です。ここは近くに駐車場があってそこから森へ入る感じで整備されてました。なかなか好転しない戦況を聞きながら何を考えたのでしょうか…?
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そしてお待たせ馬防柵。この馬防柵で騎馬隊の攻撃を防ぎながら鉄砲玉を雨あられのように降らせ騎馬軍団を壊滅させたとされてます。資料館の展示にあったのですが、この馬防柵の内側は丘陵になっていて後方に下がると高くなる地形になってます。この段差を使って(一説では)3列に並んだ鉄砲隊がひっきりなしに鉄砲を撃ちかけたということみたい。ホントかは知りませんけど。
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ここに来て一番良かったなと思えたことは、武田軍と織田・徳川軍との間がとてつもなく狭かったということがわかったこと。はっきり言って布陣して対峙した時点で相手が見えるってめっちゃ怖かっただろうなと。
そしてもう一つ。見ての通り、その両軍の間にあるのは水田。今でさえそうなのだから当時も間違いなくそうでしょう。梅雨時に行われたこの合戦、馬防柵などなくても攻めかかった方は騎馬隊も徒士も水田に足を取られて相当動きにくかったことでしょう。そこに鉄砲玉の嵐。武田軍は大損害がでるのが必然でしょう。そんな合戦風景を思い描きました。
そして最後は茶臼山の織田信長本陣。こちらは長篠設楽原PAから直接行くことができます。勝頼本陣のところでも書きましたが大将の本陣は敵から隠蔽されていたのか合戦場を見渡すことはできません。が、しばし信長になって大戦果の報告を受けて
ご機嫌なところを自分の事のように想像してみるのは如何でしょうか?
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PAは下りが織田・徳川軍、上りが武田軍を意識したデザインとなってます。模造刀や戦国グッズも多数販売していました。
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実際にはもっと色々見て写真も取りました。朝8:30ころから2:30ころまでおよそ6時間。とても楽しい時間でした。
そしてこの長い文章を読んでくださりありがとうございました。みなさんもぜひ長篠設楽原を訪れてみてくださいね!
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