レッツカンパイエンマノマエ

財布には1つ思い出がある。

小学3,4年生だったゆうじろう少年はもうすぐ誕生日だった。
母は欲しいものが全然わからないから自分で買ってこいスタイルだった。

欲しかったのはファミコンの人生ゲーム2だ。
1が面白いって話題になってて、2は発売したてだった。
近所の中古屋さんで4000円くらいで売ってたので母親に4000円もらってわくわくしながら店に向かった。
店に着いて人生ゲーム2があるのと金額を確認して緊張しながら店員のお兄さんに話しかけた。
程なくして目の前にカセットが入った箱が現れた。
もうその時点で大興奮だ。
あとは明日友達と楽しく一緒に遊ぶだけだ。
まだ2を持ってる友達はクラスにはいなかった。
お兄さんから金額を聞いて、下調べをしていたワタシは母親から誕生日プレゼント代としてもらった4000円をさっと出すだけだった。

が、財布がない。

泣きながらとりあえず取り置きしてもらって、来た道をくまなく探したのだけど見つからない。
何回探しても白い財布は見つからない。
泣きながらお店に戻って店員のお兄さんにごめんなさいして家に帰った。
母親に正直に話したら軽く怒られてまた泣いた。

我が家は片親でお金がないのは子供心にわかっていた。
具無しのチャーハンが3日続く事もあった。
たまに外食する時なんて本当にこんなの食べていいのかなって不安になっていつも唐揚げとライスだけ頼んでたくらいで。
兄はいつも何も気にせず好きなものを頼んでいたがゆうじろう少年はどうしても家のお財布事情が気になってしまった。
ハンバーグとかステーキを本当は食べてみたかった。
何も気にせず注文してみたかった。
母親はほぼ毎日昼も夜も働いていた。
子供3人、女手一つで育てて生活していくのは経済面でも肉体的にもなにより精神的に辛かっただろなと今は思う。
中学、高校の時は警察や学校から電話が行くよな不良で申し訳なかったな、とも。

それ以来、どんなに泥酔しても財布をなくした事はない。

あの日の自分と、母親の怒った顔と、代わりを用意出来なくて悲しそうにしていた顔を思い出してしまうからだ。

ちなみに財布以外はたくさんなくしている。
記憶はもちろん、カバンや服に羞恥心、大してない人望などなど。
大事に到るケガだけはあまりしていない。
あまり、だけど。

7月に父親が死んだ。
具合悪くて病院に行ったら末期癌で余命は2,3ヶ月と言われたらしい。
何年か前に酔っ払った父親から電話がきた。
その前にも膵臓が破裂したり腸も人口のものに手術したりで医者に酒は禁じられたと聞いていたがあきらかに酔っ払った口調だった。
飲んだらダメなんでしょ?と聞いたトコロ返す刀でこう言われた。

「もう子供はみんな成人したし、働いてるしいつ死んでもいい。やりたいことをやる。」

再婚した家庭に出来た子供も成人して肩の荷が下りたんでしょう。
ジャズが好きだった父親は勢いでサックスを買って練習してると言っていた。
いつかお前の店で演奏させろと。
サックスだけじゃ成り立たないでしょと言ったらお前がベース弾けばいいだろと豪快に笑ってた。
ウイスキーをロックで毎日6杯は飲んでるとも言ってたが、ということはもっと飲んでたんだろな。
そこから5年くらいよく生きたもんだ。
我が父ながらアッパレだ。

余命宣告を受け、延命はしたくないと。
もう楽になりたいと。
まあワタシの事をご存知の方は分かるかと思いますが息子の人生が波瀾万丈なら父親の人生もコレまた波瀾万丈で。
そういう事や実際に癌と戦う辛さとかを考えるとそれならとワタシは納得した。
コロナもあって入院したらもう面会は出来ず、そのまま1人で死ぬ事になると言っていた。
そこで父親の弟、ゆうじ叔父さんが車で父親をお前達の実家に連れていくから最後に会っとけとの連絡。
急だったがなんとか調整して実家に行った。

もともと青山大学のラガーマンでガタイの良かった父親は骨と皮だけに痩せ細っていてその姿を見て何も言えなかった。
言葉にならなかった。
分かっちゃいたが、それはもう死が目の前にあった。
疲れたと言って横になったら自分の力ではもう起き上がれなかったので手を貸して起こした。
全身が痛くて起きてる間中ずっと辛いんだと言っていた。

強くて怖かった父親が弱音を吐いた。

離婚してもう30数年経っていたが母親はずっと泣いていた。
泣きながら折に触れてはありがとうねと言っていた。
そんな母親を見てワタシも堪えられなくなった。

今までに友人知人が両手両足じゃもう足りないくらいアッチに行ってしまった。
慣れる事はなく、その都度シンドいが肉親のソレはまた別物。
一緒に暮らしてはいなかったし思い出もほとんどないが絶対的な何かを失ったよな気がした。
あの時、気遣って寄り添ってくれたマイフレンズには一生頭が上がらない。

それと同時に思った。
母親は肉親も兄妹ももういなくなって、離婚したとはいえ一度は一生暮らそうと思った旦那もいなくなってどんな気持ちなんだろかと。

離婚して一軒家からマンションに引っ越してからの母親はお宅紹介みたいなテレビを観ると必ず

「あーやっぱり1軒家がいいな。お前ら建ててくれよ」

と笑いながら我らポンコツ3兄妹に言っていた。
10年くらい前に降って沸いたお金が出来て母親の為に一軒家を買った。
残ったお金でベースとアンプを買って、友人と飲みまくろうと思っていたが家具も新調したいと言い出して全く残らず楽器は買えなかった。

最近はというと温泉の番組を観る度に

「あー温泉行ってゆっくりしたい。お前ら連れてってくれよ」

と、やっぱり笑いながら言う。
散々親不孝をしてきたワタシは近々温泉に連れて行ってあげようと思っている。
やれなかったことをしてあげたいとガラにもなく思う。
いなくなっては取り戻せないのだ。

49日も過ぎた頃、知らない番号から着信アリ。
腹違いの20コくらい下の弟からだった。
なんでも納骨も終わったのでその報告で、とのこと。
彼としても複雑な気持ちだろうに。
セックス、ドラッグ、ロックンロール、のドラッグの部分をアルコールに変えたよなワタシと同じ遺伝子を持ってるとは思えない。
話してみるとまあまあ近くに1人暮らしをしているとのことだったので飲みに行くことにした。
初めて会って飲みに行って話したら彼の知ってる父親像とワタシの知ってる父親像が違ったらしくグイグイ食いついてくる。
なんだかかわいくてしょうがなくて色々話した。
ワタシは小2くらいで父親と一緒に暮らしてないので彼のほうが知ってるはずなんだがそれを言うのは野暮ってもんだ。

父親の携帯の待受画面がワタシのムスコくんの写真だったと聞いた。
ワタシは堪える事が出来ず大人気なく泣いた

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