スリーイレブン

その時、ワタシは渋谷に向かっていた


まだ開通してそんなに経ってない東京メトロに乗って渋谷へ。
渋谷駅の地上に出ると東口方面で、目の前にはもうすぐ新規オープンするヒカリエがありその外壁はまだ幕みたいな物がかかっていてどんな建物かは見えなくて。
そこにたくさんの人だかりがあった。

「さてはこの後何時にこの幕開けますよ、みたいな感じか。やれやれ。みんなヒマだなあ」

なんて思いながら職場であるライブハウス、キノトへ向かった。
その両手には大量の鍋の具材を持っていた。
その日のイベントで出す予定で買い物を先に済ませていたのだ。

キノトのビルが見える角を曲がると入口付近にまたもや人だかりがあってそこにはデスクのトニーと照明のふじなみもいた。
ワタシに気付いたふじなみが近寄ってきて

「ゆうさ〜ん!地震凄かったですね〜」

と、いつものあの酔っ払ってるかの口調で言ってきた。

地震?

そうです、地下鉄に乗っててちょうど揺れが収まった頃に渋谷に着いてiPodで音楽を聴きながら人混みを抜けてきたので地震が起きた事を知らなかったのです。
そんな彼女は仙台出身で、その時の我々はまだ震源地がどこだとか、そこが、その周辺がどうなってるかなんてまだ知らなかった。
多くのみんなと同じでただのデカい地震だったくらいのつもりだった。
ひとまずワタシはビルに入って(止められたけども)事務所に向かった。

キノト事務所はビルに後付けで作られた場所で、屋上にプレハブ建てたよな感じで。
中に入ると色んな物が落ちてるし、よく見ると天井の柱が少し崩れてたり床が盛り上がってる場所もあった。
ワタシのデスクに壁のように置いてた私物のCDの山は当然崩れ落ちていた。
そうこうしてるとまた地震が起きたのでコレはヤバいと外へ出た。

1階にある系列のライブハウスのデセオにはラウンジがありそこでニュースを観ながらみんなで待機した。
どうやら震源地は福島周辺であることと現地の酷い状況がテレビに映し出されていた。
9.11の時、朝起きてテレビを着けたらビルに飛行機が突っ込んでる映像が流れていた。
映画のCMだと思っていたそれは1人の狂った指導者による現実だった。
今回のそれは抗うことの出来ない天災だった。

ニュースを見ながらこれからどうなるんだろうと思ったがふじなみの様子がおかしくなっていた。
それもそのはず。
彼女の出身地は渦中にある。家族への心配で胸がいっぱいなはずだ。
みんながみんな電話を使ってたんだろうね、電波はパンクしててほとんど使えなくなっていた。
ワタシも東京に住む親や恋人に電話をしたが繋がらなかった。
あの映像を見て現地に住む肉親と連絡が取れないなんて辛かっただろう。
そんな彼女に対して、津波の映像を見た上で

「大丈夫だよ」

と言ってあげられなかったひよっこダメ上司のワタシ。
でもどうしても簡単に大丈夫だとは言えなかった。
彼女は大丈夫だと信じるしかなかったのに。
ごめんな。

ふじなみの家族は無事でその2ヶ月後に彼女はキノトを辞めて地元に帰った。
退職前にイベントを企画して救援物資を募って持っていった。
受付とバーのバイトからライブの照明に進み音響までやるようになって。
仕事の悩み話はモチロン、恋愛相談もよくしてきて妹みたいな感じだった。
強くなったなと思った。
その後、地元のライブハウスで照明をやり、今は照明会社にいてメジャーのアーティストのライブやフェスでも照明の仕事をしているとのこと。
某売れっ子バンドに気に入られてツアーの照明スタッフに指名された時には電話が来て、いつもの酔っ払ってるよな口調で

「ゆうさ〜ん、今度○○のツアーをやることになったんですけど〜泣」

と、電話が来たのでやっぱり強くなったなってのは前言撤回。


その日はラウンジを朝まで避難所として解放した。
電車も止まってて帰れない人もたくさんいたし、イベントで出す予定だったフードも無料で振舞った。
こんな時だ、少しでも休まればいいと思った。
避難所として解放してるとツイートしたらたくさんの人が来た。
普段見かけない人が多かったがバンドマンや常連さんもいたりして。
帰れなくて困ってたから助かったとのこと。
鍋の具材は底をつき、食材を追加で買いに行ったがその時点でスーパー、コンビニで買える物はあまりなかった。
暖かいもの食べるとちょっと安心するしとも思い10店舗ぐらいは周って色々買っていった。
喜んでもらえてよかった。
ちなみにキノトでアルバイト募集をした時に、面接で「私、3.11の時デセオのラウンジにいてあの鍋食べたんです。」と言われた事があった。
モチロン採用である。
残念ながらその後キノトは閉店したが彼女は照明会社に入り、ワタシが現在身を置いてるフラワーズロフトに常駐に近い外注スタッフとして仕事に来ている。


朝になって電車も少しずつ動き始めて1回店を閉めた。
我々も寝ないで朝まで提供してたしで。
スタッフみんなで事務所で寝て、起きてコンビニに行ったら食べるものがほとんどなかった。
買い占めが始まっていた。
こんな時なのに働いてる店員さんには頭が上がらなかった。
近々のイベントのキャンセルや営業するのかという問い合わせに答えてとりあえずその日は夕方にはみんな1度帰ることになった。

キノトは営業することになったが、イベントやブッキングのキャンセルもたくさん来た。
普段ならキャンセル料をもらうが今回は1円ももらなかった。
こればっかりはしょうがない。
計画停電などもあったりでこのご時世に電力の無駄だとか不謹慎だ!とライブハウスは叩かれていた。
それでも営業した。
やっぱりだれかの顔を見ると安心するし、ミュージシャンもライブハウスもそれしか出来ない。
イベントがキャンセルになって丸空きになった日程で急遽連絡して即答で心良く出演してくれたバンド達には感謝しかない。
彼らもライブが出来て良かったと言っていた。
お客さんも嬉しそうだった。

キノトは3.11以降1ヶ月間くらいのチケット売上を全額寄付する事にした。
いくらになったかは思い出せないがまあまあいったはず。
それから5月くらいには通常運転に戻ったったけか。
だがあれから11年経った今もなお日本は原子力緊急事態宣言下にある。
オリンピックを招致した時には政府は本当に頭がおかしいかと思った。

ここ数ヶ月、毎月友人知人世話になった人の訃報が届く。
それはコロナとは関係なく。
もう両手両足じゃ足りないくらいの人があっちに行ってしまったが、それでも毎度慣れる事はなくてしんどくなる。
もっとこういうことしたかったなとか、あの時こう言っちゃって悪かったなとか、もうどうにもならないことを考える。
完璧なお別れなんて出来ないのがほとんどだろね。
だからいつでも悔いのないように接したいなと思う。
終わりは突然に来る事があるのだから。

ここのとこロシアとウクライナの戦争も起きた。
THE BLUE HEARTSにラインを越えてという曲がある。
歌詞の中で

「僕がおもちゃの戦車で戦争ごっこをしてた頃、遠くヴェトナムの空で、血も涙も枯れていた」

とある。
マーシーが本当になにを言いたかったのかは分からないがなんとなく分かる。
戦争なんてクソくらえだ。


俺達、また会えたらいいよな。
その時は会えた事に乾杯しような。

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