見出し画像

SAC_2045

攻殻機動隊の新作をまだ観ていない理由は、だいたい百個ぐらいあって。一つ目はネットフリックスに入会していないのと、二つ目はゆっくり動画を眺める一人の時間というやつが目下のところ、ほぼゼロに等しいくらいにないことで、三つ目はネットに流れる毀誉褒貶が半々ぐらいなことが妙に引っかかるからでもあったりする。

スターウォーズが、あるいはドラゴンボールが、あるいは忠臣蔵が、戦艦ヤマトが、相棒が、エヴァンゲリオンが、とか、いくらでも例は挙げられるんだけど、そういうあらゆるヒットコンテンツが、「いつかの感動の再現を求める声」によって再生産され続けるのと、攻殻機動隊は一線を画していると思っていた。それはなぜかと考えると、作品より監督が優先されていた体制にあったのかもしれない。同じキャラクターなのに、全く異なるアプローチ、世界観。同じ作品なのに、全く別の作品として成立する懐の深さ。

ビジネス環境含めて、色々と漏れ聞こえる話を自分なりに総合して思うのは、本作は随分と妥協を重ねた結果の産物なのではないかなぁということだ。結果、話の筋書きやアクションはよく出来ている一方で、別のある部分においてはなにかがひどく欠落してしまうという、少々いびつなものになってしまったのではないか。

多分、作品的な凸凹と見る動機のマッチングが良い人にとっては、ビジュアルやらなんやらは目をつぶって普通に楽しめるものになっているのだろう。一方で、ゴーストインザシェルやスタンドアローンコンプレックスに初めて触れたときの感動をもう一度再び、と、思う人にとっては、欠落に目がいっちゃうのかもしれない。

過去作をなぞるなら、スターウォーズぐらいに莫大なコストをかけて徹底的になぞるしかない、ということなのかもしれない。それができないのならば、常に革新し続けようとするしかないのかもしれない。ファンを泣かすぐらいに置いてけぼりにするバーバリズム。

期待に応えるだけでは仕事にならない。

期待を裏切るばかりでは、次の仕事がこない。

その困難を生き抜くために、押井監督は「勝利条件を発見せよ」という。

最も危険なのは、中途半端に妥協することなのかもしれない。お金を出す人たち(それは観客もスポンサーも含む幅広い人たちのことだ)にとっての、「便利で使えるパーツ」になってしまってはいけない。用が済んだらそれでおしまいになってしまう。自分も面白くないし、結局それでは、見る方も納得いかない作品になってしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?