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やるべきことを、やるだけでよい

 先輩経営者の新事業が軌道に乗り始めていると聞いて、慌ててヒアリングしてみると、これが驚くべきほどに、示唆に富んでいた。ご本人は、勘とか直感でやってると謙遜するが、聞いてみると、全然そんなことなかった。

 話を聞いて、新事業とは、潜在的な、目に見えないものを、ありありと、見抜くことなのだ、と、思った。
 もし本当に、その価値があったら、お金を出したいよ、という人たちの存在。
 もし本当に、その価値を生み出すとしたら、時間を出したいよ、という人たちの存在。
 その新たな価値を生み出すに足る、己の知識経験、認知。

 その未来の価値は、あるべき文脈に置かれたら、おのずと、育ち始める。自分の意思で、手足を伸ばし始める。
 そのためには、顧客の目線に立つことが究極的に大事な問題である。

 「顧客の目線に立つ」をやってるつもりで、できてないのと、本当に立つのとでは、天と地の差がある。
 99.99%の人は、経験が、己の眼を曇らせてしまっていることに、気づくこともできていないのである。

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 事業開発方法論って、なんなのかなぁ、と、やっぱり、思う。

 10年なり、20年なり、その道を歩き続け、なおそこに染まりきらず、飽き足らず、新たな価値の可能性を信じ、探し、試す、こういうことを日々の生業のなかで、実践し続けること。

 ただ、それだけで、良いのではないか。

 そういう積み重ねがない人間が、目的的に、インスタントに、かつローリスクで事業を生み出したいと願ったとき、そこに、手段としての方法論が欲され、それ自体が商売として成立してしまう。
 しかしその先にあるのは結局のところ、お勉強のためのお勉強でしかなくて、最初の目的である事業開発は遠のくばかりである。

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 方法論を、売る方も、買う方も、結局のところ、それで別に困らないのである。

 で、新価値そのものは、そういうお勉強業界とは全然違う場所で、ポコポコと生まれたり育ったりしていく。

 このあたりが、いまどきの事業開発教育業の問題なのだろう。

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 で、それはそれとして、じゃあ己には、何が見るのか。これが、もう、最大の問題である。おそらくそれはすでに見えているはずで、大事なのは、目から曇りも鱗も落とすこと、なのかもしれない。

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