「個人投機家」達によるスタンドアローンコンプレックスの可能性
友人が、個人が株の取引をするのは「投機」であって、「投資」ではないはずではないか、と書いていて、なるほどと思った。
株式会社を誰かが設立するとか、新しい事業を生み出すとかいう場合に資金を提供し、事業開始の機会を提供するのは、まぎれもなく「投資」である。
一方、すでに上場されていて、売ったり買ったりするマーケットに並んでいる株とは、株の持ち主同士の売買なので、事業者に直接「投資」する行為ではない。有価証券を売買することで、利益を生み出すのは、「投機」である。
と、こういう風に理解した。そうだよなぁ、と、思う。長年の疑問が氷解して、実に清々しい気分であった。多謝。
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ここで、あえて一歩踏み込んで、考えてみる。「投機」的行為に、「投資」的効果は発生するのだろうか?
投機によって、株価が上がるならば、答えはYESなのではなかろうか。
その株を事業者自身が保有しているのであれば、株価の上昇は自身の資金力の強化につながる。これは、投機行為が間接的に投資的効果を生んでいる、と、言えるのではないか。
事業者自身の株の保有率が極論、ゼロパーセントだったとしても、株主のもつ時価総額が増えれば、その株主の事業への資金提供能力が向上する。結果、事業者への機会提供につながる可能性が高まる。間接性を二乗する感じなので、やや心許ないが、まぁ、投資的効果がゼロだということもない。
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しかし、もう一歩、深く考えると、話はまだまだ決着しないことになる。
株価が上がったり下がったりするのは、個人の投機による結果ではなく、市場参加者全員の投機の和による結果である。つまり、いくら個人が「投資」と思って株を買っても、他人が「投機」と思ってそれを売ってしまったら、後者の勢いが前者を上回った場合、結果的には投資的効果は発生しない。
というかそもそも、株価とは上がったり下がったりをし続けるものだし、売買行為の外側にある政治やら環境変動やらの影響を受けるものである。
投機が投資につながるから、良い事業をやっている企業や事業方針に共感したら、応援の意味を込めて株を買おう、なんて言われることもあるけれど、株式取引の仕組みをよくよく考えると、いささかナイーヴにすぎる考え方なのかもしれない。
巨大な資本を有するプレーヤーが議決権を維持するために、一定以上のシェアを確保して、経営方針の安定化を図る、ということであれば、また別だけど。
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結局のところ、冒頭の考えに回帰して、投機はあくまで投機であり、投資はあくまで投資である、と、そんなふうに理解するのが、わかりやすいのかもしれない。
だとすると、「個人投資家」とはそもそも存在しない。いるのは「個人投機家」だけである。
ただやっぱり、面白いのは、個人投機家の投機行為の和が、ときにムーブメントとなって、投資的効果を発生させることがあるのもまた事実であるようにも見える。
そう考えると、「個人投資家」とは、金融界のスタンドアローンコンプレックスなのだ、と、言えなくもない。
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