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グダバニ

タイバニ2、ネットで見るのもなんだなぁと思っていたら、NHKで放送が始まって。
見始めてみたら、すぐさま駄作だと分かって。
それでも、義理というかなんというか、もしかしたら面白くなってくれるかもしれない、なって欲しい、なかったとしても、見始めてしまった以上は続きが気になるし、と、色んな言い訳を作って、我慢して、見続けて、ようやっと、今日、最終回だーと思って見てみたら、まだあと一回あった。

さすがにもうガックリきてしまって、ネットでネタバレを見たんだけど、これ、大人しく待たなくて良かったな…と
我慢して我慢して、待って待って、待ち続けてこの最終回を見たら、暴れてたかもしれない。

いや、しかし、よくもまぁ、こんな、出来の悪い二次創作みたいなものが作れたものだなぁ。
伏線でなく、伏線らしきものだけばら撒いて、一切回収しないという、手つきの悪さ。これを、悪意でやっているわけでも無さそうなのが不思議というか、怖いというか。

大衆、メディア、正義、欺瞞。
分断、不信、葛藤。
マイノリティの社会参画と自己受容。

プロットは悪くないのに、ほんと、なんという、ひどいことをするのだろう。
オードゥンなんかも、いいキャラクターで、掘り下げ甲斐があったのに。勿体ないことをする。

なんというか、こう、話の恣意性とでも言おうか。
見れば見るほど疑問符しか湧いてこない、設定やシナリオの不整合。
映像としても、ひどく出来が悪い。
テンポもグダグダで、緊張感がない。

そもそも、続編など、作るべきではなかったのだろうなぁ。

唯一、ユニゾンだけが良い仕事をしていた。
「これが運命だったんだ、期待してかい?なにも言わなくても伝わりそうだから、とりあえず今は、黙っておこう」なんて、うまいこと言い過ぎ。

と、思っていたら、「ジュラシックワールド3」にも、同じグダグダさがあったなぁと、思い出した。
エンタメの世界も、いよいよ地盤沈下が深刻なのかもしれない。

***

それはそれとして。タイバニというプロジェクトの企画意図とは、なんだったのか。プロットや設定から察するに、そこには並々ならぬ意気込みの気配がする。
そもそもの出発点は「ヒーローがサラリーマン」であった。年をとり、世代交代という名のアイデンティティ・クライシスにさらされるヒーロー。一生懸命やっても「壊し屋」と揶揄され、キャラクターが被る若手に追い抜かれるヒーロー。スポンサーの宣伝をするヒーロー。そんなもん、ヒーローであるわけがない。しかし、それが罷り通るエンタメ界。非常に意図的な、エンタメ界の自己批評である。
正義は悪によってこそ支えられる、という構図は見事である。正義と悪は表裏一体などではない。正義のなかに悪があり、悪のなかには正義がある。正義から悪が生まれ、悪から正義が生まれる。正義とは悪のことであり、悪とは正義のことである。
つまり、暴力、ということである。
「2」の、暴力を喪失する、というプロットには、まさしく重要な意味がこもっていた。サラリーマンヒーローという逆説の、意味の倒置が起きたはずだった。誰もが誰かのヒーローである。青臭くて青臭くて、ちょっと引いてしまうぐらいの青臭いメッセージだが、鏑木虎徹であれば、それを正面から問うことが、可能であった、そのはずだった。
たぶん、色んな大人の事情と、制作者のスキル不足が、この作品をグダグダなものに、してしまったのだろう。
それはまぁ、仕方のない話なのかもしれないのだけれど…生まれてくるはずだったタイバニ2が、なんとも、不憫で、憐れである。

***

1週間が経って、ようやく一応最後まで観たわけだけども…本当に、最後まで疑問符だらけの作品だったなぁ。警察署長の掌返し。ヒーロースーツへの変身。バナーの蹴り。ラーラの母の改心。ユーリの自死。3分に一回、ポカンとせざるを得ない、ありとあらゆる描写が適当演出のオンパレードであった。
虎徹の正気に帰るシーンをどう描くのかと思っていたら、まさかの「割愛」には笑った。セリフによる説明だったのか。
オードゥンが最後、縄でぐるぐる巻きにされて終わったのも、もはや、笑うしかなかった。笑

整合性とか、そういうものを、一才、放棄してしまった、駄作・珍作とも言えない、これは一体なんだったのだろう、、、ある意味、事件である。キャラクターを殺してしまった、無差別テロみたいなものである。
真犯人は、演出の無能なのか、それとも、スタッフの無能だったのか。はたまた、座組や出資者の問題なのか。
中途半端にプロットが良かったのが、かえって残酷だった。いやはや…

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