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刮目、という言葉しか出てこない

 ぶらどらぶ、後半7〜12話が配信開始され、開始されたその日のうちに、全部視聴してしまった。

 Twitterではそこそこ話題になっているが、noteではほぼ無風なのは、何故なのだろう。

 まぁ、それはさておき。

 ぶらどらぶの「わけのわからなさ」は、ガルム・ウォーズのそれと、似ていたように思う。なにかを理解できたと思う間も無く、作品が先に終わってしまった。

 そんなことを思うと、「スカイクロラ」のことを思い出す。
 公開時、当時は特に監督のファンでもなかったのに、ふと劇場に観に行って。あれは一体、なんだったんだろうという不思議な余韻だけが残っていた。
 時が経ち、メルマガが始まって、色んな作品に触れるようになって。自分自身の人生としても、色んなことを経ていくなかで。
 鍛錬を積み重ね、積み重ね、そのなかで、ふと天啓のように、あの映画が「わかった」瞬間があった。

 「ガルム」は、そこまでの情熱をかけて見返してはいない。でも多分、いま、ローマとか、ガリアとか。ケルトとかそのあたりのことに少しずつ触れていて。そういう文脈を形成していくなかで、いつかまた触れたら、そのとき何か発見があるかも知れない。

 話か脱線してしまった。

 ぶらどらぶ、である。

 この作品は、自分にとっては、「パト2」「GIS」「立喰」「アヴァロン」等の視聴体験とは全然違っていた。つまり、これらは観てすぐ分かるし、面白かったわけだが、ぶらどらぶは、そちら側ではなかった。「ガルム」「イノセンス」の系統であった。(ちなみに、「トーキングヘッド」は、自分にとっては後者で、「アサルトガールズ」は前者。ケルベロスシリーズはまだ観ていない)

 一見、すごく敷居が低そうなのに、中身がガルムだったので、ほんとに、不意打ちを喰らった感じがすごい。

 というわけで、監督が「作品として」仕掛けたことは、全然よく分かってない。一方で、「監督として」仕掛けたことは、おぼろげながら仮説がある。
 今作は、異なるスタイルでも、自分の作品が成立するのか、という試みだったのではないか。

 そして、その試みは成立したように見える。

 そして、スタイルの変更ゆえに、いつもと違う反響が生まれている。そこにはもしかしたら、新しい可能性が芽生えているのかもしれない。

 どこかのインタビューで話していたのは、80までは作り続けるつもりだとのことだそうだ。いよいよこれから剥き出しになる本質。刮目、という言葉しか出てこない。

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