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スリル・ミー2023

スリル・ミー2023、配信が終わりましたね。
今回、劇場で観られたのは松岡・山崎ペアのみで、他のペアは配信で拝見しました。
配信で観た木村達成さん・前田公輝さんのペアがあまりにも素晴らしくて…色んな事が、ストン、と腑に落ちたというか。
消えたら悲しいので、Xに投げた木村・前田ペアの感想・考察をまとめて、加筆してみました。こんな風に解釈する人もいるんだなぁ、くらいに読んで頂けたら有り難いです。
今までのペアも、全て観ている訳ではないので、あしからず…





今まで、特に彼に対して感じていたものって「豊かであるが故の渇望」と言うのがとても大きくて。全て持っているけれど、満たされない。社会がそうさせた、みたいな。けれど、木村・前田ペア、根っこにあるものが、もっとパーソナルで。パーソナルではあるんだけど、社会のあり方、でもあって。その、パーソナルな部分と言うのは、セクシャリティについてなんですが…わたしが今まで観たペアの中で、彼も私もここまで明確にマイノリティ側だと感じたことがなかったので、とても新鮮でした。

木村・前田ペアに関しては「満たされなさ」を強く感じたのは、寧ろ、私の方で。
私は、お金持ちの家のお坊っちゃんで、きっと、望めば何でも手に入る。けど、唯一、手に入れられないのが「彼」だった。このまま大人になったら、親に宛てがわれた相手と結婚するしかなくて、どうやったって彼とは一緒にいられない。良き息子であるが故に自分のセクシャリティを親に話すことなんて出来ない。
私にとってあの契約書は、マリッジライセンスくらい意味のあるものだったろうな、と。指先にナイフを突き立てられる私の恍惚の表情…忘れられません。
けど、彼にとっては、ただの契約書。それ以下にもなりかねない。どんな形であれ、彼とずっと一緒にいられるなら、それで良い。だから、彼を裏切ることを決めた。

それに対して、彼は、何かの拍子に自分のセクシャリティが父親にバレて、それが理由で父親と不仲なのかな、と。
彼に関しては、そうである、という自覚はあるけれど、女の子と遊んだり、自分と「同じ」である彼を支配して、弄んで、罵って、自分の「弱さ」(彼はそう思っていただろうな、と)を克服したつもりになって、自身を安心させている。罪を犯すのは、自分は世間から劣っていない事の証明。自分は強い人間である、と、確認して、高揚していた。それが、放火や空き巣では得られなくなっていく。
そんな自身の境遇とそれらの行為は、自分がニーチェの言う「超人」であるから、と思い至った。超人になるための、過程。
レイと違って、一時でも良いから、自分を裏切らず、側にいてくれる相手が欲しかったんだろうな、と。けど、結局、すべてを受け止めてくれるレイに安心をしているし、依存している。し、そうなるようにしたのはレイなんだろうなと思う。
裏切らないと思っていたレイに裏切られ、取調室に放り込まれて「裏切り者」と言うシーン、怒りのままに言葉を投げ付けそうになるのをグッと堪えて言うの、とても良かったなぁ。

そして、あんなに自分の肉体を「飴」として私に与える彼も、見たことがなくて、新鮮でした。
再会した公園でのキスシーンの笑顔を見たとき、思わず「悪魔だ………」と(笑)弄んで、楽しんでる。それに応える私は、まるで飼いならされた犬の様で。ステイ、と言われれば、いつまでも待つ。言うことを聞けば、ご褒美が貰える。
多分、それまでずっと「ステイ」の状態だったんじゃないかな、と。あの日が、彼との初めてのキスだった。
満足か、と言われて、あぁ、と笑顔になるけれど、最後、一瞬だけ、とても怖い顔をしていて、印象的でした。たぶん、あの時、彼との永遠が欲しいと思ってしまった。
本当に、私の中の動機はシンプル。
最後まで観て、冒頭の陳述の「彼と共に生きてゆくため」がリプレイしました。





わたしが観終わって感じたのは、2人が生きやすい世界であったなら、どれほど良かったろう…と言うこと。それは、今現在も社会が向き合っているテーマで。木村・前田ペアのお二人がどう創っていたのかは分かりませんが、すごく、心を揺さぶられました。


そして、これを書き終えて、高校時代、「主人公の気持ちを答えよ」の解答を読んだ先生に「そうだろう、と言う想像ではなく、本文に書かれていることだけから読み取りましょう」と言われたのを思い出しました。やっていることが、何も変わっていない…

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。



追記(2023.12.3)
ツァラトゥストラの解説書を読んで、改めて、このお二人のペアは、とてもニーチェ的思想に基づいて創り上げられているな、と。
前田さんの彼は「ルサンチマンの克服」、木村さんの私は「永遠回帰」。2人の中のニーチェの「超人」に対する解釈の違いを感じました。