ずっと考えてはいるけれど

 高校2年の4月。新しいクラスに一歩入ると窓際に座っていた女の子が「おはよう」と声をかけてきた。廊下側の扉と窓側の席とはそこそこ距離がある。初めは自分に言われていると思わなかった。知らない子だし。いや私は彼女を知っていた。この学年唯一のベトナム人だったからだ。名前も知っている。彼女をLとする。Lは何故か私に挨拶してきた。普通挨拶しないだろう。今まで話したことがないのだから。戸惑いながら会釈するとLは名乗りよろしく、と言った。他に入ってくる新しいクラスメイト達にも同様の会話を続けていた。 後にLと仲良くなってから聞くと、これから毎日同じクラスで過ごすのに挨拶もしないなんてみんな変だよ、と。確かに。分かる。でも…。名前がおかしいとか他の子よりも大きな体格を笑う子もいた。しかしLはそんなことには慣れっこのようで相手にしていなかった。Lは明るく聡明で周りから好かれるタイプの子だ。彼女との他愛ない(と思っていた)お喋りは大人になってから少しずつ意味の分かるものになっていった。

 ボランティアで通訳をしてるの。お母さんがやれって。今は妊婦さんの検診に付き添って日本人の医者の言うことをベトナム語に訳してる。その人が全然言うこと聞かないの。運動してねとか〇〇を食べてとか。全然会話にならないの。だから私の言ってることが分からないのかって聞くと、それは分かるって言うの。じゃあやれよ!赤ちゃん死んじゃうんだよ。親戚のおじさんが強制送還されるの。その子供は日本にいられるんだけど、それもいつまでだか。日本で生まれて日本で育って日本語を話すのにベトナムに帰るって、どういうこと?
 望まない妊娠や中絶を現実的に感じたこともなく、日本で暮らしているのに在留資格が切れるなんて話も当時は全く理解していなかった。何で日本語も話せないのに妊娠してるの?相手は何してるの?日本で産まれたのに追い出されるなんてことあるの?いやでもだって、日本人じゃないなら、しょうがないんじゃない。

 今私が住んでいる街はある外国人が多いことで有名だ。テレビや雑誌で取り上げられる印象は面白い多文化地域であるかのようだが実際には逆に感じる。差別的であり、差別しても良いと思われているような、笑っても良いような空気。A人とする。彼らはまず日本語の読み書きができない場合が多い。公園の注意書きには日本語と英語とA語が併記される。ボール遊び禁止など。普段歩いているだけでA人はよく見かける。一目で分かる。容姿もそうだし話している言語も聞きなれないものだ。例えばコンビニ前でたむろしていたり、ラジカセのようなものを担ぎ大音量で音楽を聞きながら歩いたり、開け放した窓から日本ではない国の音楽を響かせていたりする。A人が日本人と一緒にいたり話したりしているところはほとんど見ない。
 ある日会社の人と車に乗っていたときにA人の話になった。聞いた?この前どこどこであいつらがどうした、という内容で、だからどうした?と思った。A人だからではなく日本人でも同じことをする人はいるはずだ。なんとも困ったのはその話題を選んだ人が世間話の、ある意味面白い話で、ウケるはずだと思っているような雰囲気だったことだ。彼はきっとこれまでこの話を振れば相手は自分がA人にされた嫌な話をできて話題は尽きないのだろう。私はのれない。だが何と言えばいいのか分からなかった。曖昧な返答を続けているとヘイトは垂れ流されてくる。こんな大人が親だったら子供もA人を差別するだろう、いや学校なんて閉鎖的な空間だったらより一層顕著に表れるはずだ。差別はいけない、いじめはだめ、と言いながら自分が当事者であると気付かない。私はその話は面白くないと伝えたかった。こんなことがあって、〇〇はこんなことされたって、A人ってほんとひどいよな。何でこの地域ってA人ばかりなんだろ。「すごい、差別、ですね〜…。」とだけ言った。 A人はこの地域に2,000人以上暮らしている。
 すると次に彼が選んだのはホームレスの話だった。あの時間いつもあそこにいる、とか汚いとか、ありきたりの流れ。女のホームレスがいるんだよ、いつも同じ服着て歩いてる。怖いんだよね。一時期さ…お腹が出っ張ってたの。妊娠!?でしばらくして凹んでてさ。妊娠だとしたら…ホームレスなのに…汚いのに。
 女のホームレスが幾ばくもない金銭で売春するのも、ある話だった。売春ではないかもしれずもっとひどい経緯かもしれないが。そのホームレスは大丈夫だったのだろうか。凹んだお腹で路上生活をしているなら逮捕されていないということだ。流産したのか産むだけ産んだのか。私たちはホームレスを嘲笑していい立場にいないはず。なのに嘲るのは、その人の性格の問題よりも知識なのかもしれない。さらに言えば私がもっと知識豊富であればその場の流れをやんわりと変えることもできたのかもしれなかった。こんな風に思ったのは「ヘルシンキ 生活の練習」という本を読んだからだ。この本はすごく面白く目から鱗が落ちまくり膝を打ちまくりで一気に読み終えた。その中で子供がクラスメイトにフィンランド語の発音を笑われる場面がある。筆者は相手の親に謝罪されるが「まあ子供同士の話ですから」と意味の分からない返しをする。日本であったらこの返しは意味が分かるはずだ。子供同士の悪意のない些細な諍いですよね、気にしてませんよ、と。ここで意味が分からないとされたのは問題は違うから。クラスではその後「物事を笑うこと」と「人を笑うこと」の違いを学んだそうだ。笑った子供は自分が後者を笑ったと理解し、アジア人が自分と比べてフィンランド語の発音が下手であることが面白いトピックではないと分かる。人を笑うこと。ベトナム名を笑い、A人を笑い、ホームレスを笑う。自分も周りの人も甚く差別的であると思う。その二つの違いすら理解していない。

 今のウクライナとロシアに対する思いも差別や偏見に満ちているのではないかと思う。ウクライナ人は被害者であるという前提が何故か定義されている。色んな人が「プーチンめ」「戦争反対」と言う。誰も違和感なく発言しているようだが"No war."と"We stand Ukraine."は両立しえない。戦争にNOを言うのに応戦はしてもいいのか?そもそも日本が真珠湾を宣戦布告前に奇襲したのとは訳が違う。私はロシアとウクライナ、どちらの側にも立たない。世論は奇妙だ。一辺倒にロシア人の蛮行とウクライナ人の悲劇を語る。反対側の意見がでないのがおかしい。ウクライナの民間人が手を縛られてTシャツを頭にかぶせられて銃殺された、プーチンは戦争犯罪者だと糾弾する。ヤフーニュースを見ても類似する記事ばかり。待ってほしい。そもそもウクライナ人の18~60歳(!)の男性は国外出国を禁じられている。武器を貸すから戦えと呼びかけたのはゼレンスキーである。殺したのはロシア人。なら殺させたのは誰?何故そんな最前線に民間人がいるのか。フランスがロシアに武器を輸出していたことも最近明るみになったが特段フランスを強く非難する声すら見受けられない。

4月7日現在ヤフーニュース国際面の見出し記事は以下の通り。

  米 キーウの露軍が全て撤退と分析
  G20 露参加なら米国は不参加
  米 露軍の民間人虐殺は「意図的」
  米が露新興財閥1人起訴 本人逃走
  米 ロシア最大手銀行の資産凍結へ
  ウクライナ 東部住民に退避要請
  暗い表情 母が語ったブチャの恐怖
  露兵が被ばく ウクライナ閣僚証言

8つの記事のうち5つが「アメリカが~する」という内容である。プーチンの言う「ネオナチがウクライナでロシア系住民を迫害している」は嘘なのはゼレンスキーの言うことが本当だからではなく、アメリカが言っているからなのか?日本が制裁を加えたり何かを調査したりすることはアメリカほど頻繁にはないようだ。ゼレンスキー自ら日本の国会で語るに日本はアジアで唯一ロシアへNOと言ったらしい。日本以外のアジア圏の国は違う。岸田首相がよく言う国際社会と連携し~というフレーズは矛盾する。

 出入国在留管理庁の資料によると(https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/07_00003.html)
令和2年 申請者数3,936人のうち定住難民は0人で条約難民は47人、
令和元年 申請者数10,375人のうち定住難民は20人、条約難民は44人である。対し3月2日から3月12日までの時点でウクライナからの避難民は29人が受け入れられている。数の面でも異様である。名古屋入管のウィシュマさん死亡事件に代表されるように、日本の入国管理局では差別と虐待がひどいと聞く。難民申請をし何カ月、何年も収容される実態と比べても、ウクライナ人に対する待遇は厚すぎる。一方ゼレンスキーの演説に首相が「感銘を受けた」と語ったことを考えると人数は少ないようにも思う。自分が住む地域のA人に対するヘイトを見ても、私は日本は排他的で差別的であると思う。そんな国に何故ウクライナ人は受け入れを許可されるのかと考えると彼らには物語があるからだと思う。ロシア、プーチンに虐げられ、家族はバラバラで命からがらに逃げてきたかわいそうな人達、というイメージ。事実かもしれないが、その物語だけでこれからずっとやっていけるとは思わない。私の周りではA人の話題となれば「国に帰れ」と言う人もいる。中国人の爆買いを揶揄するのと同じテンションで扱われる。
ウクライナ人であるなら庇護を受けるべきなのだろうか。

 今日私はTwitterでウクライナ兵士が「ロシア語を喋ったから」という理由で女性達を柱にしばりつけ顔を緑色にしている写真を見た。緑色は「ロシア語を話した」という意味合いらしい。着色をある人はペンキだと言い、ある人はなかなか落ちない傷薬の一種だと言い、ある人はすぐに洗い流さないと失明の恐れがあると言っていた。言われてみれば確かに女性は静かに目も口も閉じていた。泣き叫んだりしていない。薬が粘膜に触れないようにするためだろうか。もしかしたらフェイクかもしれない。フェイクだから日本で報じられないのか?他にもアルコールを売ったという理由で高齢男性が柱に縛り付けられていたり、理由は分からないが軍人が普通の服を着た民間人に暴行を加えている映像もあった。ウクライナの民間人の手を縛り銃殺するのは戦争犯罪なのにこれらのことは犯罪ではないのだろうか。こんな状況でも私の頭はお気楽で、何故フェイクだと思ったのかというと、あまりにも作られたような残虐な映像で、目前にいる人が助けないのが不思議で、もしウクライナ兵士の暴行を目の当たりにしているなら恐怖を感じてカメラなど向けられないはずだと解釈したからだ。写真や映像を思い返して数時間考えていたら全く違うと気付いた。そんなんじゃない。元々の映像は見せしめの意味で嘲笑する立場の人間が撮影したのだろう。笑ったり危害を加えたりしながら。気付いた後にまた言葉を変えて検索する。今度はウクライナ兵士がロシア兵士の脚を銃で撃ち出血死するまで蹴り続けたことが話題となっていた。これだってフェイクかもしれない。他にある映像も見た。穴が掘られた前で男性が数人座っている。目隠しされ下着だけを身につけ手は後ろ手に縛られている。その手はキツく縛られているのだろう鬱血とし変色していたせいで最初手だと思わなかった。ロシア人捕虜らしい。他にロシア人捕虜が荷物のように積み上げられた前でポーズをとるウクライナ兵士(とされる)写真も見た。Twitterの情報だから真意は定かでない。けれどロシアによるウクライナ人の虐殺について本当とされるなら逆のことが起きていたとしても不思議ではない。自分がロシア語が分かれば、ロシアでTwitterが制限されていなければ、今得ている情報以外のものが入ってくるはずだった。

 2010年、ウィキリークスで公開された映像ではイラク戦争時のアメリカ兵も民間人を殺していた。上空からゲームみたいに撃ち救助の人をも撃つ。一説によるとイラク戦争の民間人の犠牲者は11万人といわれる。何故だかプーチンを戦争犯罪者として糾弾する声をよく聞くのだがイラク戦争時やこの情報漏洩時には聞かなかった。
 戦争犯罪って何?原爆は民間人を殺さなかったの?一体誰が原爆投下の戦争犯罪者として裁かれたというの。アイヒマンは裁かれて実際に手を下していたユダヤ人が裁かれないのは何故でその線引きは誰がどう決めているのか。731部隊の軍人は人体実験のデータと引き換えに戦争責任を免れた。ベトナム戦争で枯葉剤を撒いたのは戦争犯罪ではないの。アメリカは今も原爆も枯葉剤についても謝罪していないし、日本も加害者の立場として謝罪していないと言う人もいるだろう。日本人は元々矛盾する社会の枠組みのなかに生きているのにプーチンだけ杓子定規に扱うのは何故なんだろう。日本やアメリカが加害の一端を担っていた戦争の時にはだんまりだった口で、私はプーチンを断罪できず戦争反対とも言えず平和すら祈れない。

もっと難民を受け入れるべきとかプーチンを支持するとかは思ってない。
ただなんだか変でおかしいと思う。

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