#2 祝祭は遠い

今日も雨ですね。前回雨の関する投稿を上げたら、意外と反応が良くて、いろんな方面からコメントをもらって、なんかうれしかったです。

最近もなんか創作意欲が湧かなかったり、なんやかんやで忙しかったりするんですが、雨で強制的に時間を使わされる日は、心が整うというか、いつも毎日生きよう生きようとして、上がりに上がったペースがそっと整うような、そんな気分がしますね。

雨なんてたまに降るくらいがよくって、たまにしか降らないんだからなんか珍しいことをするきっかけにしていきたいですね。「好きな人に好きって言ってみる」とか、「自分を磨いてみる」とか、「読んでない本を開いてみる」とか、「Noteを書いてみる」とか。

ま、今日も頭にある有象無象を書いていくので、くだらないと思って読んでください。


幸せなのか、そう思いたいのか


 最近ふと、自分の幸せについて考えてみた。まー、彼女が欲しくないわけではないんだけれども、「色々やってたら、いつかどっかでできるだろー」とか思ってなかったわけではないんだけれども。まーこればっかりは縁なので、仕方がないことではあるんだけども。

 嬉しいことに「顔がいい」と言われないわけではなく、自分でもきれいに産んでもらっている方ではないかと思う。ただ、そういう発言が逆に、首を絞めてくるというか、「なんか致命的な欠陥」があるのではないかと思ってしまう。まあ、あるのかもしれないけど。

 でも、そーゆー話になったときに、いつも話すのは、「でも今は幸せだ」って話。毎日毎日、一人でも独りじゃないし、なんやかんやで遊びに誘ってくれる人や、面倒を見てくれる人、良くしてくれる人もいて、慕ってくれる人もいて、本当に孤独は感じない。むしろ、今が100%で恋人が付け入る余白がなくて、現状の関係が変わってしまうことが、不安になる自分がいる。

 なら現状維持でいいじゃんって、そりゃそうなんですけどね。

 「嫌われる勇気」で有名なアドラー心理学において、「嫌われる勇気」の対義語として重要であることとして挙げられるのは「幸せになる勇気」なんだとか。こんな風に言われてしまったら、なんか、一人が楽しいってのも、確かにあることなんだろうけど、そう思いたい自分がいるのではないかと。

 自分の中で潜在的に「愛されることが怖い」と思っていたり、「失いたくない」と思って、臆病になっている自分がいて、それを盾にしているだけなのではないかなと。最近そんなことを思ったりした。

 まーそりゃ、みんな持ってたらほしくなるでしょ。小さい時もDS欲しかったし。ただ、風のうわさで聞くような、とんでもない彼女とか、マジでお断り。僕が欲しいのは、空想として思い描いている理想の彼女像にマッチした「彼女」であり、あなたの「彼女」ではないので。そっちはそっちで末永くよろしくやってくださいな。

 

ら、のはなし


僕はどれだけ、あなたと傷つけられているだろうか。

この季節になると、よく思う。

この季節は「大切だった人」の「大切だった日」が多くて。

日付の四桁で、色々思い出して、そのたび「あの時こうしていたら」が連鎖して、鋭利になって、傷がついて。

俺が生まれてくるのが、半年以上違ったから、プレゼントも一方通行で。

もちろん、今更があるなんて微塵も思ってないし、だからこそこんなにも空しいのかもしれないけれど。

こんな風に思って傷ついてることが、あなたも同じならいいのに。


僕自身が幸せになるその時まで、あなたの幸せな不幸を願おう。



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