苦しさの象徴

旅をしていると、自分の事・振る舞いをよく考えられるからいいね。今日は仙台に向かってる新幹線の中。


わたしは恐らく、対する人によって付ける仮面が違う。人に対して振る舞いを変えるのは、わたしらしさの象徴でもあり、言い換えれば苦しさの根源なのかもしれない。

だから、誰かが居て成り立つ関係よりも本質的には1対1の関係を求めているんだろうな、とも思う。たくさんの人に共感を求める話は、申し訳ないが非常に苦手である。好きなものは、申し訳ないが自分が好きならそれで十分。誰かと共感したいのは、モノの見方なのである。好きを共有できるのは、有り難いことではあるがマストだとは思わない。

いろんな仮面をつけるのは、弱さの象徴でもある。嫌われたくないとか、いい顔したいとか、それって必要なん?とは思うのです。仮面の定義は…ご想像にお任せしますが、不必要なものを削ぐのであればここからなのだろうなと思う。

在り方を決めると、離れる人もいるのだと。
わたしは本当は気づいているはずなのに。
理性と感情を一致させるのは、本当に難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?